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いせざき・けんじ●1957年東京生まれ。大学卒業後、インド留学中にスラム住民の居住権獲得運動に携わる。国際NGOスタッフとしてアフリカ各地で活動後、東ティモール、シェラレオネ、
アフガニスタンで紛争処理を指揮。現在、東京外国語大学教授。紛争予防・平和構築講座を担当。著書に『東チモール県知事日記』(藤原書店)『武装解除 紛争屋が見た世界』(講談社現代新書)などがある。
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日本ができる様々なオプションとは、具体的にどんなことなのか?集団的自衛権と国連的措置の違いは? そして国連憲章7章と、憲法前文、9条、98条との関係について、さらにお話を聞いていきます。
編集部 政府・与党が新法を国会に提出し、23日から国会での議論が始まっています。民主党も対案を出すそうですが、どんな内容になるのか注目されます。小沢さんの主張もここにきて少しトーンが変わってきたようですが、それにしてもなぜ今のようなタイミングで、「政権とったらISAF参加」ということを言ったのでしょうか?
伊勢崎 小沢さんは、憲法9条による神学論争にけりをつけたい、この機に“がらがらぽん”をやりたいんでしょう。そこは、私にも多少理解できるところがあります。
編集部 というのは?
伊勢崎 例えばルワンダでの大虐殺では、100日間で80万人が死んでいくような状況になりました。そのような時にはもう政治的な交渉はできませんし、国際社会の責任として鎮圧のために軍事力を使わなければならない状況です。
もちろん悪人が全世界から全部なくなればいいけれど・・・例えばアフリカ、それも資源もない小さな国に、国益といった観点から身銭をきって自国の軍を派遣し、人権が脅かされている人々を守ってあげようというような国はなかなかないのです。そのための国連の介入であり、人権とか人間性の保護を考えた軍事介入のニーズはあると思うし。だから国連憲章7章は重要なのです。
けれどもそのことがすぐ、日本が武装した自衛隊を、国連に送るべきということではありません。国連も万能ではありません。失敗することも多々あるのです。もっとも小沢さんが言っているISAFは国連指揮下のブルーヘルメットではなく、NATO軍指揮下の軍事活動ではありますが。そこは、前回(その1)で、誤解を指摘した通りです。
国連の平和維持活動に大型の歩兵を出す必要がある場合は、発展途上国が申し出ることが多いです。理由は、国連から見返りとして、その派兵の規模に応じて「外貨」が入るからです。少し失礼な言い方になりますが、発展途上国は、軍事行動の「大義」よりも自国への「経済的なインセンティブ」によって、派兵しています。しかし、経済大国である日本は、国連へは相当の分担金を出しているわけですし、それを取り返しにいく必要もないでしょう。
国連的措置としての平和維持活動では、紛争の当事者国自身が健全な治安維持能力を持つように派遣される警察協力も大変重要なコンポーネントですし、敵対する武装勢力間の停戦を維持するため敢えて将官を非武装で現場に送る軍事監視団は、少数ですが平和維持軍本体より重要な役割を担います。非武装でできる様々な重要なオプションがあります。しかし、日本はそういうことをほとんど議論してこなかった。実績もほとんど積んでいません。自衛隊の大部隊を出すか出さないかという視点からしか、世界情勢を見てこなかったのですね。
事実これまでの“神学論争”では、「憲法9条があるから、とにかく(武装・非武装にかかわらず)どんな形でも自衛隊の海外派遣はダメ、海外の紛争地への派遣はダメ」とやってきていたわけですが、それによって、日本が国際情勢に対応できなくなってしまったら、逆に平和憲法の良さが失われてしまうし、「9条があるから国際貢献ができない」という改憲派の言い方に、世論が取り込まれてしまうでしょう?
だって護憲派は、自衛隊の海外派兵についてはすべて9条を盾に、反対してきたでしょ? 自衛隊の幹部がニューヨークの国連PKO本部に出向することにも反対したんだから・・・。
編集部 それは市民が?
伊勢崎 まあ、護憲的な立場をとっていたメディアを中心として、「一度許すとこれがなし崩し的に広がる」といってね。警戒感があるのは、わからないでもないですが。
編集部 確かにそうですね。「9条があるから、国連の活動に協力できない。紛争地においての人道的な協力ができない」となると、まるで9条が悪者扱いですからね。日本の特性を活かした様々なオプションについては、具体的にどんなことなのか、考えていかなくてはなりません。
伊勢崎 アフガンは今、史上最大の腐敗国家となっています。象徴は麻薬。タリバン政権崩壊後、麻薬ビジネスは急速に息を吹き返し、今では世界で流通する麻薬の93%の産出国になっています。9割ですよ! 地方警察が麻薬ビジネスと結びつき、元軍閥たちが麻薬マフィア化している。人類史上最凶の麻薬国家です。麻薬栽培・取引は、アフガン国内で明確に違法行為と定義され、麻薬対策は国策の大きな柱に位置づけられ国際支援も重点的に行われているのに、この状態です。なぜこんなことが起こるのか? 内政腐敗ということに尽きます。私が武装解除した軍閥たちがマフィア化し、国会議員や政府の要職に就いているのです。私も開発専門家としていろいろな破綻国家の内政をみてきましたが、想像をこえた腐敗国家になってしまっています。これだけ国際社会の手が多国籍軍を含めて、入っているのにですよ。この観点から言うと、世界から孤立している北朝鮮よりも深刻な問題なのです。
編集部 もともと根があったとはいえ、なぜそんなに腐敗が進んだのでしょうか? やはり戦争ですか?
伊勢崎 まあ、そうですね。そもそも、タリバンと戦いながら、つまり戦争をやりながら内政復興するということに無理がある。2001年のボン合意の時、協議のテーブルにタリバンを入れなかったからという政治的な失敗もあるでしょう。タリバンはアフガニスタン人ですからね。もちろん、アルカイダに通じていたわけで、それを嫌ったわけですが、当時の国連特使のブラヒミさんも、「あの時に、タリバンを入れて、包括的な和平を作らなかったのが、問題であった」と。
編集部 しかしそんなに腐敗しきった国家を相手に、日本がSSR(治安分野復興) をやるとして、具体的に何をどうやるのでしょうか? 制服組でない自衛官が行くということでしょうか?
伊勢崎 これは自衛隊も警察も出す必要はありません。アフガンの“政界の浄化”を行うわけですから。特に麻薬マフィアと直結している地方警察を管轄する内務省の根本的な改革が必要です。日本は、私がかつて行った武装解除の後継プロジェクトとしてDIAG、つまり武装解除後も不法に武装しているグループ対策事業を支援しているのですが、この内務省を通してやっているためうまく行くわけがありません。
いまやるべきことは、まず違法に武装している集団を明確化し、その裏ルートを調査し、特定の政治家・有力者と結びついているのが発覚したら、公正な手続きを経て罷免する。そういった外圧をアフガンの国会と社会に、国際社会が一枚岩で迫るのです。大きな利権が絡んでくることだから、だいぶ抵抗があるでしょうね。国会議員が自分たちに不利な法案を、そう易々と通すわけがない。ODAを盾にした内政干渉ぎりぎりのところになるかもしれません。でも、そのくらいしなければならない破綻国家であるということです。
編集部 なるほど、武力ではなく、知力と交渉力で渡り合うわけですね。
伊勢崎 そうです。普通の日本の官僚じゃだめでしょうが、思い切って外部採用をして、政治力を発揮でき、軍事知識のある人材を全権大使にして現地に送り込み、その人の周りに少人数の専門家の精鋭グループをつくればいいんです。
もしかしたら外交官がテロのターゲットになるかもしれない。それほど大きな利害が絡むセンシティブなプロジェクトです。私が武装解除をやった時も同じような状況で、まわりは抵抗勢力ばかりでしたね。そして、成功したのです。でもこれが、敢えて非武装であることで中立性が発揮され、利害調整のため仲介役をこなす、日本の特性が生かせるポテンシャルだと思います。他の国にはできないことで、他の国をリードできるとしたら、それは、いいことじゃないですか?日本が非武装でやる積極的な世界平和のための活動、非常に能動的な行為ですよね。
編集部 非武装による積極的な平和主義というのは、まさに憲法の前文に書かれていることですね。しかし一つ気になるのは、文民で構成されるSSRのメンバーたちの警護に、武装した自衛隊をつける、という意見が民主党の中にあり検討しているという報道を読みました。これについては、どう考えますか?
伊勢崎 自衛隊? そんなこと「普通の国」はしません。駐在大使の警護も、大使館の警備も、まず民間の警備会社ですね。外国の領土で、要人や公館を自国の軍に守らせるなんて。もし、現地の民衆を傷つけたらどうなりますか? そんな外交的リスクをとるのはアメリカぐらいで、それでも大変例外的な措置です。
編集部 なるほど。しかしアメリカも歩兵を出すばかりでなく、SSRをこれまでやってきているんですよね。
伊勢崎 そうです、前回言いましたように、武装解除の時に日本と一緒に米、英、独、伊が全力を注いだSSRが、今崩壊しています。その象徴がアフガン内務省です。繰り返しますが、SSRは対テロ戦の土台なのです。だから、日本がSSRでその特性を生かしリードすれば、国際平和のみならず、一番いい対米協力にもなるでしょう。アメリカにとっても、もっとも「痒いところに手が届く」協力になるはずです。
編集部 アメリカもいい加減、アフガンから手を引きたいと思っているでしょうし。アフガンが安定しないといつまでもテロの危険性があるわけですからね。
伊勢崎 ブッシュに代表されるようなアメリカは嫌いですけれど、「護憲=反米」みたいなことになってもまた良くないと思います。日米の関係は、やはり良好である必要がありますし、国防の面からも、米に協力するというポジションをとっておくことは重要です。
編集部 さて法的根拠が大事であるということですが、日本国憲法と国際貢献、国連への協力については、どう考えられますか? 伊藤真さんが、「手習いけんぽう塾(第53回)」のコラムで、国連憲章はひとつの条約であり、条約の内容と憲法の内容が矛盾するときに、どちらが優先するかというと「憲法が優先すると解するのが通説」と書かれていましたが。それについては、どうですか?
伊勢崎 伊藤さんの言っていることに、私は賛成です。憲法がプライオリティです。まず自国の憲法・法律があって、自国の制限の中で国連安保理の決定にどうやって参加していくか、それぞれの国が考えることです。国連が全てを凌駕するわけではないし、そんなことをやっている国もありませんしね。
ですから私たちは、あくまでも日本国憲法の中に、国際協力の法的根拠を見出すべきです。まず国連憲章との関係については、憲法98条の2項に「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」とあります。日本は、1956年に国連に加盟した際、国連憲章をどの条項を留保することなく批准していますね。だから、国連への協力は、憲法98条を根拠に、ということも言えるわけです。憲法9条を根拠にすると、「国権の発動たる…」が常に引っかかるわけですね。
この問題の突破口は、自衛隊の海外派遣の指揮権を日本の国権から離すことしかないでしょう。だから、国権以外の崇高な意思に指揮権を委ねる。その相手は、条約関係にある国連ということですね(繰り返しますが、アフガンのISAFはNATOの指揮下ですので、日本は憲法的に自衛隊の指揮権を委ねられません)。これは、法制局に長年勤務され退官後弁護士をやっておられる播磨益夫さんの意見なのですが、私は、神学論争の決着手段として最も現実的な法解釈だと思っています。国連に指揮権を委ね、9条の問題にしない。つまり、9条のせいで国際貢献ができないという非難から9条を護るということですね。
なぜかというと、アフリカやミャンマーなどで人道的危機がおこっても日本が何もできないのは、9条のせいだ、だから国際協力、国際貢献できるような憲法に変えろ、という話になりやすいでしょ? そしてこれは、とっても国民に受け入れやすい話ですね。そこが、私は恐ろしいと考えているわけです。
私は、アフガンの武装解除で果たした日本の役割のように、日本の特性をつくった9条を護ることは、対米協力という観点からも大きな国益だと思いますが、ほとんどの日本の市民は、国連の安全保障や国連的措置と、日米の集団的自衛権の違いがわからないでしょう? そして与党も混同するように伝えていますね。
いい例が、この間安倍さんが中心となって行っていた「集団的自衛権を憲法解釈下でどう考えるのか」という有識者会議ですね。安倍さんと同じような考えの人たちを集めて行ってましたが、あそこで出ていた、集団的自衛権を考えるという4つの骨子*1は、日米の集団的自衛権と、いわゆる世界の人道的危機における国連的措置をごちゃごちゃにしてました。ああいうのを見ると、9条をどうしても変えたいという、彼らの手口が見えるでしょう。国民は、それに流れていきますよね。根本が非常にわかりにくい話ですから。
*1有識者会議では、(1)米国など日本以外の国に向かう可能性のあるミサイルの迎撃(2)国連平和維持活動(PKO)で自衛隊と共に行動する外国部隊が攻撃された際の応戦(3)公海上の米軍などの艦船が攻撃された場合の海上自衛隊による反撃(4)有事の際の米軍への武器輸送などの後方支援—の四類型を示し、集団的自衛権の行使を禁じた従来の憲法解釈の見直しなどが話し合われた。
編集部 法的には、日本は98条があるので、国連の決議にもとづく人道的な支援に協力はできる。なので、国際貢献のために改憲する必要はない、という論理ですね。そして9条を変える必要もない。
伊勢崎 日本は、法治国家といいながら、日本人の多くは法の大切さがわかっていませんね。法的根拠をどこに持つか、ということはいつも考えなくてはならないことです。
編集部 最後に、繰り返し伊勢崎さんがおっしゃる国連的措置についてですが・・・国連憲章第7章を日本語で読んでも、正直よくわからないところがあります。原文の方がまだ理解しやすいのでしょうか? 日本だとまだ、国際協力うんぬんは、余計なことをしに外国に行ってる、みたいな話になりますからね。あぶない場所にわざわざ行くことないでしょう、といったような。
伊勢崎 原文*2で読んでみてください。その方がすんなりきますよ。そしてこのように言えばわかりやすいのではないですか? 個別的自衛権も集団的自衛権も行使できない、非常に貧しい国の民が人道危機に陥っている時、みんなで助けよう、というのが国連憲章に書かれてある国連的措置です。国連加盟国は、アメリカであろうと、シエラレオネであろうと全部法的には平等なわけであり、その集団安全保障措置です。
そしてこれは、大国の国権と関係のない、いわゆる普遍的な人道への危機に対する措置であり、人間の安全保障*3をおびやかす事態に対しての対処、保護するための措置です。
近年の傾向として、当事者国家がある特定の部族に対して行う非人道的な行為、例えばミャンマーのようなケースですね、に対して、国家主権よりもやはり人道の方が大切なんだという考え方が、出てきています。「保護する責任(Responsibility To Protect)通称R2P」といいます。反面、危険なところもあります。例えば、アメリカがR2Pを利用したらどうなる、というもので、それでイラク戦が始まりましたね。しかし、ルワンダ*4のジェノサイドのように、絶対的に必要な場面があるのです。
*3人間の安全保障…1994年、国連開発計画(UNDP)の『人間開発報告』で初めて打ち出された概念で、元国連難民高等弁務官の緒方貞子、ハーバード大学教授のアマルティア・センを共同議長とする「人間の安全保障委員会」が作成した報告書では、「人間の中枢にある自由を守ること」「人間自身に内在する強さと希望に拠って立ち、死活的かつ広範な脅威から人々を守ること」「生存、生活及び尊厳を確保するための基本的な条件を人々が得られるようなシステムを構築すること」と説明されている。
*4ルワンダ…アフリカ中央部にあるルワンダでは、1994年、少数派ツチ族と多数派フツ族との争いが起こり、ツチ族によるフツ族虐殺で80万人が犠牲となった。国連をはじめとする国際社会の介入の遅れが、その被害を拡大させたという指摘は多い。
編集部 そういえば、ミャンマーに対しては何か国連は派兵するとか、計画はあるのでしょうか?
伊勢崎 今はわかりません。なにしろミャンマーは軍事政権ですから。ただ、国連が措置をとるべき対象であることは、間違いありません。そして日本は、対ミャンマー政策については、孤立していますね。他の国々は経済制裁をしていますが、日本は経済援助をしています。軍事国家に(笑)。まあ、いろいろな理由があるのですが、「ビルマ」には借りがあるからということらしいです。第二次世界大戦後、ビルマだけが戦後賠償を求めなかった経緯があり、戦後のODAは、ビルマから始まったということらしいですね。まあ、日本も新規案件は止めていますけれど。
編集部 えーっ、そうなんですか。しかしそれならば、日本はミャンマーに対して発言権があるんじゃないですか? それにしても、そういうしがらみや背後関係も一切ない「人間の安全保障」という概念は、成熟した人間社会の中からしか出てこない理想主義的なものというイメージがあります。
伊勢崎 地球上の人間の安全保障というのは、いわば、「世界益」といったものであり、国益とはまた別のもので、どちらがどちらを凌駕するというものでもありません。この二つのよいバランスをとるのが、成熟した先進国と言えるでしょう。しかし日本は残念ながら、世界益の概念がまったくないでしょう? だからあんなへんてこりんなこと、つまり、日本の米イラク戦への参戦についても外交や経済界のトップが「アメリカに協力したことで、北朝鮮問題で国益があった」と言ったりするんですよ。イラクの市民が爆撃などで6万人以上殺されているというのに。国益にかなうのなら、異国の地の民の命のことは、仕方がないという。これは非道で不謹慎な発言ですね。これを中東の人が聞いたらどう思います。親米のイスラム国でも、日本をもう信用しなくなりますね。
編集部 実は「世界益」の概念は、憲法の前文にははっきりと書かれているんですよね。憲法だけは先進国レベルです。
伊勢崎 これをどう伝えていくか、そして日本人らしさをどうだすかですね。難しいことではありますね。“非戦闘地域”に自衛隊を出すより、リスクを伴い勇気が要ることですよ。
2回にわたってお送りした緊急インタビューでは、
憲法9条を持つ「日本の特性を活かした国際貢献とは?」
そして「国連の平和維持活動に、日本はどう関わるべきなのか?」
を伊勢崎さんに伺いました。「自衛隊の給油活動に賛成、反対」だけでなく、
さまざまなオプションや現実のケースから、
ほんとうの国際平和のための協力、貢献を考えていきたいと思います。
みなさんのご意見、お待ちしております!
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