戻る<<

伊勢崎賢治の15歳からの国際平和学:バックナンバーへ

070822up

伊勢崎賢治の15歳からの国際平和学

戦争とは? 紛争とは? 国際貢献とは? そして平和とは・・・?
世界各地で「武装解除」などの紛争処理に関わり、
現場を誰よりも知る伊勢崎賢治さんが贈る、
とびきりわかりやすくてオモシロイ「平和学講座」。
現在は、伊勢崎さんが「第二の故郷」と呼ぶアフリカのシエラレオネが舞台の
“「ブラック・ダイヤモンド」が語らなかったこと“が隔週連載中です。
50万人が犠牲となった内戦を終結させるために、
介入した大国・アメリカがとった手段とは何だったのか。
これまでの連載を見逃したという方は、右上のバックナンバーからどうぞ。

武装解除 いせざき・けんじ●1957年東京生まれ。大学卒業後、インド留学中にスラム住民の居住権獲得運動に携わる。国際NGOスタッフとしてアフリカ各地で活動後、東ティモール、シェラレオネ、 アフガニスタンで紛争処理を指揮。現在、東京外国語大学教授。紛争予防・平和構築講座を担当。著書に『東チモール県知事日記』(藤原書店)『武装解除 紛争屋が見た世界』(講談社現代新書)などがある。
←アマゾンにリンクしてます。

第4回:「ブラッド・ダイヤモンド」が語らなかったこと
~行き過ぎた恩赦〜

(“War Don Don:ウォー・ドン・ドン”は、シエラレオネの言葉で「戦争は終わった」。2002年1月武装解除完了と戦争終結の記念儀式にて)

 ある日、イギリスBBC国際ラジオの視聴者コーナーでのやりとり。

(シエラレオネ人主婦)「世界テロ戦を終結する為に決定的な方法をMr. ブッシュに提案したいと思います。」
(キャスター男)「ほう。その方法とは?」 
(主婦)「それは、オサマ・ビン・ラーディン氏をアメリカ合衆国の副大統領に任命することです。」
(キャスター男)「・・・」
(キャスター女)「(あわてて切り出す)どうしてその方法が良いと思うのですか?」
(主婦)「なぜなら、この方法は内戦を止めるためにシエラレオネで実施されたことで、大虐殺の首謀者で、何千人もの私たちの子供の手足を切った反政府ゲリラのボス、フォディ・サンコゥを副大統領に祭り上げたのは他でもないアメリカなのです。そのお陰で私の国では今、武装解除が始まろうとしているのです。」
(キャスター男)「・・・。あっありがとうございました。次の方に行きましょう・・・。」

 2001年。9.11。世界貿易センターが崩れ落ちるCNNの速報を、僕はシエラレオネの首都フリータウンで見ていました。国連シエラレオネ派遣団(UNAMSIL)の本部のビルの中の、僕を含むPKO幹部が集まる一室です。
 UNAMSILは、前回、説明した国連PKOです。僕らは現場で、自分たちが属するこういう紛争処理をする組織を「ミッション」と呼びます。トム・クルーズさんの「ミッション・インポシブル」の“ミッション”です。かっこいいでしょ? 紛争処理とは、つまり、戦っている連中を停戦に導いたり、内戦を早期に止めさせたり、もしくは内戦後焦土と化した国家を復興する作業ですが、それを現場で実行するのがミッション。毎回必ず殉職者が出る、けっこうヤバイお仕事です。
 1万7千の国連平和維持軍(20余カ国から派遣された多国籍軍)を擁するこのミッションの使命は、この国シエラレオネを殺戮の地獄に陥れた内戦の終結です。僕は、この使命の中核をなす、RUFを含む民兵の武装解除と、彼らが再び銃を手にして謀反を起さないよう職業訓練を施して社会に還す事業(日本では第二次大戦後、復員という言葉が使われましたね)、通称DDR(Disarmament, Demobilization & Reintegration)の責任者だったのです。

 話を戻します。

 9.11の翌日には、このテロ事件は、Another Pearl Harbor(もう一つの真珠湾攻撃)になり、「戦争」になりました。冒頭のイギリスBBC国際ラジオ放送は、ちょうどその頃、本部から宿舎に帰る車を運転中、カーラジオから聞こえたものです。思わず発作のような笑いに襲われ、事故を起こしそうになったことを覚えています。
 電話の主は、フリータウン在住の主婦です。キャスター(男)の「・・・」のところが面白かった。9.11直後、この事件を全世界が等しく同情すべき悲劇とするような世論操作が、CNNをはじめアメリカのメディアでさかんに行なわれていた最中ですので、キャスターの言葉を失ったあわてぶりが良く分かるのです。
 このシエラレオネのお母さんは、もちろんMr.ブッシュへ誠実な提案をしたのではないでしょう。本音は、「数千人死んだぐらいでガタガタ言うんじゃないよ。アフリカ人がその何十倍死んでも世界は見向きもしない。それどころか、アメリカは、何万も殺した連中を許せって言ったんだからね。あたしの国では。」ということでしょう。世界で最も弱い立場にいるアフリカ人が、世界強者国アメリカに放つ、みごとな“ブラック”・ジョークですね。
 しかし、このシエラレオネのお母さんの言ったことは単なるジョークではなく、実際に起こったことなのです。

 僕が担当して、戦争終結を決定づけた「武装解除」の成功は、「フォディ・サンコゥを副大統領に祭り上げた」ある“合意”のおかげです。
 国を破壊し、大勢の人を殺し、生きたまま手足を切断するというような殺す以上に残酷なことまでした戦闘を終焉させるのは何でしょうか?
 破壊し尽し、もう破壊するものがなくなり、人類の歴史に残る大殺戮も達成し、もうこれ以上殺しても、もはや勝利はない、ということで、戦いに憔悴するからでしょうか? 
 それは一理あると思います。シエラレオネに限らず、だいたい戦闘が終わるのは、大変な被害が既に出ちゃってからですものね。だいたい、喧嘩の仲裁でもそうでしょう? 喧嘩やっている双方が、まだバリバリに元気に殴り合っている時に、割って入って揉みあいになるとします。そして、割って入ったこちらも少し腕力があるものだから、挙げた手が弾みで片方の相手の顔に当たっちゃうとします。その相手がそれに逆上したらどうでしょう。仲裁に入ったのに、今度は三つ巴の喧嘩になるかもしれません。紛争処理の場合、こちらも相手以上に武装してますからね。常に、この危険性があります。

 戦っている双方が、相手の手前、戦争を止めると宣言するまではできないけれど、ちょっと話し合うためにとりあえず短期間、現場の戦闘を休止しようという、いわゆる停戦ですね。これが、なんとか合意できるようになるには、少し戦いに疲れてきた状態。つまりボクシングで言うと、どちらかのコーナーがタオルを投げてもおかしくないくらいまでの時間を経なければならないのが普通です。
 そうして、とりあえず停戦して、双方の頭たちが、誰かの仲介で、円卓を囲み、もし戦争を終わらせた場合、それぞれが何をゲットできるか。つまり、最終的に銃を下ろすに見合う利権をどう獲得するか、“利権調整”をするのが和平合意です。この場合、双方とは、シエラレオネ政府と、それに対して喧嘩を仕掛けたRUFですから、両者対等ではなく、RUFの要求にどこまでシエラレオネ政府が譲歩できるかが、利害調整の内容です。

 それが、遡ること1999年7月に、RUFとシエラレオネ政府の間で交わされた「ロメ合意」です。ロメとは、同じ西アフリカのトーゴという国の首都。通常、こういう合意の形成は、第三国、つまり双方の利害の無い中立な外国の土地が選ばれ、開催されます。場所代や、交通費を含めて、こういう交渉の場を提供する仲介者が、お膳立てするのです。
 さて、その利害調整の内容とは? 「恩赦」です。
 シエラレオネ政府は、RUFがやった、過去のいかなる人権侵害も赦すというのです。すなわち戦争犯罪に対して正義は一切追及しないということです。それは、一般兵士のみならず、 フォディ・サンコゥを含むRUF幹部に対しても同様です。それだけではありません。 フォディ・サンコゥをシエラレオネ副大統領に任命するというおまけ付です。しかも「血塗られたダイヤモンド」をコントロールする天然資源大臣も兼任するという破格の扱いです。
 あれだけの大虐殺に直接手を下しても、一兵卒のゲリラ兵士たちは、「殺せという上官の命令に逆らえば、自分たちが殺されたのだから、むしろ被害者」という言い訳が成り立つかもしれません。でも、その命令を下した責任者たちは赦さない、というのが、国際的に広く受け入れられている考え方です。ましてや、そのトップの責任は…。

 しかし、ロメ合意は、そのトップを赦すだけでなく、副大統領にまでしちゃうのです。これは、たまったものではありませんね。特に、虐殺の被害者とその遺族にとっては。だから、冒頭のお母さんの発言になるわけです。
 こうゆうふうに、いくら戦争を止めるためとはいえ、「そこまで赦しちゃっていいの?」という内容が、このロメ合意なのですが、これを仲介したのは誰か?
 あのアメリカなのです。

 この合意の内容を草稿したのも全てアメリカなのです。当時は、クリントン政権。
 ここで、なぜ、あのアメリカが、西アフリカのこんな小さな国のことに口を出すの?と思われるでしょうね。
 歴史的に見て、アメリカはシエラエオネに道義的な親近感があります。奴隷解放でここに戻された黒人たちが造ったのがフリータウンですから。特に、キリスト教の布教活動は、長い歴史があり、クリントン大統領が和平合意のために特使として任命したのも、ジェシー・ジャクソンという高名な牧師さんです。米国内世論的にも、シエラレオネは、“ほっとけない”存在なのです。
 しかし、この紛争への介入に関して、アメリカは全くの非武装で、最も効率的な方法をとったのです。のちのイラクでは若い米兵の血がたくさん流れましたが、アメリカ人の命を失うリスクが全く無い方法です。
 シエラレオネの被害者の苦痛を完全に無視し、戦争犯罪をめぐる国際倫理の存続までにリスクを及ぼしながら、世紀の大虐殺に対してその犯罪性を無視するだけでなく、報酬まで与えたのです。平和の代償として。

 皆さんはどう感じますか?
 全ての犯罪を反故にすることしか、戦闘を止めさせる方法が無いとき、“テロリスト”と妥協することをどう考えますか?

 “行き過ぎた”合意で、和平を形だけでも手に入れたシエラレオネ。果たして、和平は長続きするのか?
 次回は、焦土と化した国家を再建するチャレンジについて、お話しします。

戦争を止めるための、「行き過ぎた」恩赦は、果たして正しかったのか。
皆さんは、どう考えますか?
そして、この合意のもとで、伊勢崎さんはどのように平和構築を進めていったのか。
次回もご期待ください。

ご意見フォームへ

ご意見募集

マガジン9条