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この人に聞きたい
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吉岡忍さんに聞いた その2

自分たちの足下から、説得力ある「反戦」の論理を
大学生のとき、ベトナム反戦運動に身を投じた吉岡さん。
米軍によるイラク攻撃などに際して巻き起こった若い世代の平和運動は、
その吉岡さんの目にどう映ったのでしょうか。
同世代の読者へ向けてのメッセージもいただきました。
吉岡忍さん
よしおか・しのぶ
ノンフィクション作家。長野県生まれ。
大学時代にベトナム反戦運動にかかわり、「べ平連ニュース」の編集に参加。
1987年、日航機墜落事故をテーマにした『墜落の夏』(新潮文庫)で
第9回講談社ノンフィクション賞受賞。
他の著作に『日本人ごっこ』(文春文庫)『鏡の国のクーデター』(文藝春秋)
『M/世界の、憂鬱(ゆううつ)な先端』(文春文庫)など。
若い世代の「星菫派」反戦
編集部 吉岡さんは、『マガジン9条』の発起人の1人でもありますよね。最初にこのウェブサイトの話が立ち上がったときに、発起人に加わろうと思われた理由をお聞きしたいのですが。
吉岡 そもそもは、2003年3月のイラク戦争開戦にさかのぼるんです。あのとき、日本でも多くの「戦争反対」の動きがありましたよね。僕がインターネットなどを見ていてすごく気になったのが、「この反戦の論理は何なんだろう」ということだったんです。

反戦の論理というのは、いろんなレベルのものがあるんですよ。「私は殺されたくない」というのも反戦の論理だし、「自分の手を汚したくない」も、「みんな平和に暮らしたい」も、「自分の国の政府が加担するのは許せない」もそう。それで、そのときネットに溢れていた、特に若い人たちの反戦の論理は、「平和が一番」「イラクの人たちがかわいそうだ」だったんですね。そして、それ以上の言葉がない。スローガンだけで終わってしまっていて、リアリティーがまったくないんです。

僕はそれを、半分は冗談で「反戦星菫派」と言っているんですけど。とにかく善意で、幸せになりたくて、星よ菫(スミレ)よという、きれいなものが見たくて、という感情でしょう。
編集部 それは、日本だけの傾向だったんでしょうか。
吉岡 いや、世界的にそうだったと思います。若い人たちの反戦の論理というのは、ほとんどすべてそれ。もちろんそれは当然と言えば当然で、たとえばアメリカなら、あの国はずっと戦争をやっているわけだから、反戦の論理にもリアリティーがありますよね。「自分の息子が軍隊に行くことを考えるとたまらない」とか。だけど、そうじゃない国の人が、反戦ということにリアリティーを持つのはたしかに大変なんです。

それに僕は、星菫派がだめだと言っているわけではないんですよ。彼らに比べて多少知恵のついている僕らの世代が、たとえば歴史的な経緯だとかグローバリズムだとか、いろんな理屈をつけて反戦運動をするのも、星よ菫よで戦争に反対するのも、価値としては同じだと思います。ただ、一方でそのとき、この反戦星菫派というのは、1年くらいしか続かないんじゃないだろうかという気もしたんですね。そして案の定、そうなってしまった。
編集部 たしかに、あのときほどの盛り上がりはそれほど長くは続きませんでした。
吉岡 それを見て、星菫派であるだけではやっぱり弱いんだろうなと思ったのも事実なんですね。だから、『マガジン9条』の話を最初に伺ったときには、そうした若い星菫派と、ある程度は自分の経験をベースに戦争反対を言うことのできる世代とが、どこでどうやって交わることができるんだろうという関心があったんです。それは本当に、難しいところだと思っていたので。
「反戦」「平和」という言葉の説得力
編集部 たしかに、若い世代の間を中心としたイラク反戦の広がりに、そうした弱さという一面があったのは事実かもしれませんね。でも、先ほど吉岡さんもおっしゃったように、自分たちの社会が戦争に具体的に直面していない、軍隊に蹂躙されているわけではない。そうした状況では、戦争はやはり直接的には「見えない」ものだし、リアルではない。そうなると、「星菫派」としてしか反戦感情の結晶のしようがないのではないかとも思うのですが。
吉岡 それはそうかもしれません。1960年代後半、ベトナム戦争があったとき、僕は高校生でした。そのときの自分の考えが、現代のイラク戦争に反対する若い人たちとどれほど違っていたかというと、たしかにそんなには違わなかったと思います。

ただ、一方で僕は、べ平連で歌われていた『死んだ男の残したものは』という歌がどこか嫌いでしょうがなかった。なぜかというと、この歌は結局「被害者になるのは嫌だ」という歌なんですね。殺されるのは嫌だ、傷つくのは嫌だ、だから戦争に反対だ、と言う。

それは心情としてもちろんわかりますよ。だけど、大学生くらいになると、いくらなんでもそれはちょっと素朴すぎないかという気になった。日本には米軍の基地があって、日本の企業は食糧や兵器の部品を米軍に提供している。沖縄からは戦闘機がベトナムへ飛んでいく。日米安保条約を通して、日本はベトナム戦争に加担している。そもそも当時の日米関係それ自体が、アメリカの戦争政策に加担しているんだという現実を、やっぱりどうしても見ないわけにはいかなかったんです。
編集部 自分たちもまた、加害者の側に立っているということを自覚する…。
吉岡 そう。そうすると、戦争に反対するということは、自分の国にも反対しなくちゃいけないということ。そうして「戦争反対」の論理に多少中身がついてきたわけです。

そう考えると、イラク戦争のときにも日本は、小泉首相はすぐさまブッシュの政策を支持しましたよね。それはどうなんだということもやっぱり見なければいけない。それはそれ、戦争には反対、というわけにはいかないですよ。

そうしたところを、自分たちの足下を、もうちょっと掘り返して見てみる必要がやはりある。そうしないと、反戦とか平和とかいう言葉にも説得力がない。他の人に対してだけじゃなく、まず自分自身に対して説得できないんじゃないかと思うんです。
9条の問題を、自分の人生とつなげて考える
編集部 前回、吉岡さんは「自分たち団塊の世代は、平和憲法の最大の受益者だから、まず自分たちが憲法について考えないといけない」ということをおっしゃっていました。『マガジン9条』の読者にも、おそらく団塊の世代やそれに準ずる方は大勢いらっしゃると思うのですが、その方たちへ期待したいこと、提案したいことなどがあればお聞きしたいと思います。
吉岡 とにかく、憲法について1人で考えるにしても、友達なんかと議論するにしても、「憲法9条」だけをとらえないほうがいいと思います。憲法9条を変えるのにイエスかノーかなんてことだけを考えても、ほとんど益がないだろうと。

そうではなくて、1940年代半ばに生まれた僕たちは、2006年の今まで人生を歩んでくる中で、さまざまな経験をしてきたと思うんです。僕は「受益者」という一言で括ったけれど本当はそんな単純な話ではなくて、一人ひとりがそれぞれに全然別の経験を持っているはずですよね。

そうした自分のいろんな経験についてまず考えて、それにつながる形で9条や憲法はどうあるべきかを考えてみてほしい。自分にとってアメリカって何だったんだろうとか、憲法って何だったんだろうとか。自分の人生や暮らし、生活といったものとつなげながら、具体的に考えてみてほしいんです。
編集部 机上で理論だけを考えているのではなく、自分の経験と重ねながら、自分の体験を通じて考えていく、ということですね。
吉岡 それからもう一つつけ加えるなら、僕は憲法9条とともに、憲法25条がとても大切だと思っています。「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という、社会権と呼ばれる権利を規定したものですね。

この条項は、今みたいに階層社会化がどんどん進んでいる中ではとても大事な条項だし、同時に人間が他者なしには、社会なしには生きられないということを意味しているんだと思うんです。近代社会と言うのは自由権と社会権という二つの権利を認めるところから始まったわけだけど、現代の日本は、「自己責任」という言葉が強調される風潮からいっても、どうもその社会権的な考え方、自分たちは他者と一緒にこの社会をつくっているんだという考え方が、どんどん後退しているような気がするんです。

これは団塊の世代に限ったことではないけれど、戦争をする、しないという議論と同時に、社会というものをどう考えるかということをしっかりと考えておく必要があると思う。そうでないと、憲法の問題、ひいては9条の問題を、豊かなイメージとして考えられないんじゃないかと思います。
この憲法のことを、「最大の受益者」である団塊世代に
まず考えてもらいたい、と吉岡さん。
それは、ご自分と同じ世代の方たちへの、力強いエールでもあると思います。
どうもありがとうございました。
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