もちろんです。いま、日本社会を見渡すと、戦争に反対する声へのプレッシャーが日々に強まっています。たとえば、自衛隊のイラク派遣に反対するビラを配った人が逮捕されるという事件がありましたね。たかがビラを配っただけで逮捕ですよ。 ビラだけじゃない。9条の改変を軸に、あらゆる日本国民の権利が押さえ込まれようとしています。盗聴法や住民基本台帳法などはその典型でしょう。住基法なんて、見事だとすら思いましたね。私は、あれは外国人登録法に極めて近い法律だと思います。 今まで日本人については、ある人が戸籍に名前の載っている特定の人だということを証明することはできなかった。日本人は国家と個人の関係があいまいだったのです。これに対して外国籍住民は、犯罪者予備軍と見なされてきたことからしっかり管理されていて、国家と個人の関係が明確なのです。 個人を明確に識別できる、ということで一体誰が得をするか。実はこれは国家に大変な力を与えることになるのです。 国にとって、個人を特定できることは、反対する者を抑えるのに極めて都合がいいことですよ。それなのに多くの日本人は、便利になってよかった、といった程度の感覚しかもっていない。在日外国人が置かれている状況を全く知らないから、これから自分たちが在日外国人並に扱われるということがどれほどしんどいのかがわからないのです。 また、東京都の教育現場のように、日の丸や君が代の押しつけが始まり、国民の内心の自由も侵されようとしています。
改憲を主張している人々は政権寄りで、社会的にも経済的にも強い立場の人が多いですよね。それでなくても日本社会は強者の論理が横行し、弱者は生きるだけで大変です。そんな状況で強者に反対するのは生やさしいことじゃないから、一瞬のすきをうかがう必要がある(笑)。大切な時、肝心な時にみんながどう手をつなげるか、そのことを今からよく考えておくべきですね。 地方を講演で回ることが多いのですが、よく会場で「辛さん、がんばってね」と声をかけられます。「ちょっと待ってよ」と思いますね。 「がんばれ」と声をかける前に、まず自ら何かをやってみること。ささやかでもいいからみんなが自分でアクションを起こせば、私たちはいつでもつながることができます。 なのに、多くの人々が受身のまま、誰かが何かをしてくれるのを待っているだけです。自分は何ができるか、何をするかという自分自身への問い、発想に乏しい。このままでは、日本国憲法はいまの日本国民にはもったいなさすぎると陰口を叩かれても仕方ないかもしれません。そうならないように、この憲法を使って権力と闘うのだというくらいの気概を持ってほしいですね。