いとうせいこう 1961年東京生まれ、東京都出身。 早稲田大学方法学部卒業後、講談社に勤務。雑誌『ホットドッグプレス』編集部に在籍、 2年あまりで退社し、現在は作家・クリエーターとして、 活字/映像/舞台/ 音楽/ニューメディアなどジャンルを越えた 幅広い表現活動を行っている。 著作に『ノーライフキング』 『ボタニカル・ライフ』(以上新潮文庫)、『難解な絵本』(角川文庫)、 『見仏記』シリーズ(みうらじゅんとの共著、角川文庫)など多数。
この10年間で、ことばの力がだいぶなくなってしまったと感じています。理屈に力がなくなってしまった。「理屈上、それはおかしいでしょ?」ということが、ほとんど“異議申し立て”にならないような時代になってしまいました。 たとえば、今の中国と日本の関係です。中国人が日本の大使館に対して、あるいは民間人が経営するレストランなどに対して暴力を振るったのは、不愉快な出来事でした。しかし、不愉快な行動をした相手を“憎悪”という感情に直結させてしまうことが、今の世論の完全な流れになっています。 昔は、まだそれほどではなかった。確かに中国の一部の人たちの行動は不愉快であるけれども、しかしそのことと中国という国とどのようにやっていくかということは別々に考える。そういう区分けみたいなものが、いつの間にかなくなってしまったんですね。 僕は、湾岸戦争ぐらいからそうなったような気がするのですが、もう日本はほとんど“動物的”。憎悪という感情と論理とを、分けることができない。 そのように分けることができなくなったからこそ、憲法9条でも改定派のほうが強いのは当たり前です。「やられるくらいなら軍備したほうがいいじゃないか」という考え方は、単に反射神経的であり、“動物的”には正しいからです。 * * * * * 《アメリカのイラク攻撃に反対する大阪「マカオ」でのクラブイベント(2003年3月20日開催)で、いとうさんが読み上げた声明から》 「もしもテロリズムを否定するならば、同時に戦争も否定されなければならない。 反対に、もしも戦争を肯定するならば、テロリズムも肯定されなければならない。 それらは一挙に否定されるか、肯定されるかのいずれかである。 卑劣なテロに対して国家としての宣戦布告を行い、テロリズムを格上げしてしまったのは他でもないアメリカなのだ。 もしもテロリズムを否定するならば、同時に戦争も否定されなければならない。 もしも戦争を肯定するならば、テロリズムも肯定されなければならない。 それらは一挙に否定されるか、肯定されるかのいずれかである。 どちらを選ぶのか? アメリカよ。 否定せよ。
いとうせいこう」 * * * * *
取材を通して、理想を実現する難しさに孤高に立ち向っている いとうさんの横顔を見せていただいた気がします。 弱い立場を引き受け、一つひとつ現実的に理論を重ねていく。 そんな冷静さが大切だとわかりました。 どうもありがとうございました!