おおた まさひで 1925年沖縄県生まれ。 54年早稲田大学卒業後、米シラキュース大学大学院に留学。 琉球大学教授を経て90年沖縄県知事に就任。2期8年間務める。 現在、参議院議員、大田平和総合研究所主宰。 『沖縄のこころ』『戦争と子ども』『沖縄の決断』『沖縄からはじまる』 『沖縄、基地なき島への道標』など、沖縄戦に関する60冊にのぼる著書がある。
まず、沖縄戦がどういう戦いだったか、一言でいうと、「勝算のまったくない無謀な戦い」でした。沖縄の海に浮かんでいる軍艦、艦船は米軍の艦船だけで、日本軍の艦船は一隻もなかった。それから沖縄の空を飛んでいる飛行機は全部米軍の飛行機であって、日本の飛行機はまったく見えなかった。つまり制海権も制空権も、完全に米軍に握られていたわけです。そういう状況の中で沖縄を守っていたのは、私たち学生隊も含めて約11万人です。本土から来た兵隊は約7万人余りでした。それに対してアメリカ軍は、当時沖縄の人口が45万くらいでしたが、それを上回る54万8000人という大軍で押し寄せてきたわけです。数の比較だけみても、最初から勝ち目のない戦闘でした。 なぜそのような無謀な戦争をやったかというと、米軍が沖縄本島に上陸したときには、日本本土の防備体制はまだ60%しか仕上がっていなかった。したがって、一日でも長く沖縄に米軍を釘付けにしておいて、その間に日本本土の防備体制を完全にしたかったわけです。あえて無謀とはわかりながらも、大本営は、本土への盾の役目として沖縄戦を戦わせるという計画を立てたわけです。
戦後60年、大田さんは、 「いったいなぜ沖縄は、このような無残な戦争に 巻き込まれることになったのだろうか」、 その答えを探し続ける日々だったと言います。 重い戦争体験をお話しくださいまして、 ありがとうございました。