マガジン9
ホームへ
この人に聞きたい
バックナンバー一覧

松本侑子さんに聞いたその1

護憲派の立場から、改憲論を現実的な視点で見直す

2005年夏に岩波書店から発売された
『憲法を変えて戦争へ行こうという世の中にしないための18人の発言』に、
18人の1人として登場している作家の松本侑子さん。
本の発売以来、賛否両論さまざまな声が版元に寄せられたといいます。
松本さんが考える「9条を守りたい理由」を聞きました。

matsumotoさん
まつもと ゆうこ
作家・翻訳家。筑波大学卒、国際政治学専攻。
テレビ朝日「ニュースステーション」出演をへて、
1987 年『巨食症の明けない夜明け』(集英社文庫)ですばる文学賞受賞。
訳書に、英米文学からの引用を解明した註釈つき
全文訳『赤毛のアン』『アンの青春』(集英社文庫)。
新刊は『ヨーロッパ物語紀行』(幻冬舎)、小説『海と川の恋文』(角川書店)。
日本文藝家協会会員、日本ペンクラブ理事。
憲法は民主改革とセットで制定された
編集部

『憲法を変えて戦争へ行こうという世の中にしないための18人の発言』では、「日本にとって最大の効果がある国際貢献は、軍事によるものではない」「自衛権の行使とは、必ずしも軍事によるものではない」として、憲法9条を守る必要性を訴えられています。これに対しては、かなり大きな反応があったそうですが。

松本

そうですね。嬉しいことに、ご賛同のメールをいろいろ頂きました。そして2通ほど、改憲派の方からのご丁寧なお手紙も、出版社宛てに頂戴しました。

そこでこの場をお借りして、改憲派のご意見について、私自身はどう考えるのか、お答えしたいと思います

編集部

例えば、どういった意見が多かったのですか?

松本

私宛てに頂いたご意見ではないのですが、一般的に、次のような主張が展開されていると思います。

「アメリカとGHQに押しつけられたものだから自主憲法を持つべきだ」、「9条は形骸化していて、現実と乖離しているから変えるべきだ」、「北朝鮮や中国から攻撃を受けたら、どうするのか」、「テロを防ぐためには軍備が必要だ」、「日本固有の文化を守るために、日本の国柄を繁栄した憲法が必要だ」などです。

編集部

それに関してどうお答えになりますか。

松本

順番にお話ししたいと思います。

まず「アメリカとGHQに押しつけられたもの」というご意見です。たしかに戦後、アメリカとGHQは、日本の民主改革を各方面に強制的に行いました。例えば、財閥を解体して自由な経済システムを作り、華族制度を廃止して身分制度をなくして市民の平等をもたらし、農地解放で地主の土地を小作人に解放しました。こうしたあらゆる強制的な民主改革とセットになって日本国憲法は作られています。憲法は上記の民主改革の法的な根拠です。

もし憲法を「押しつけ」というなら、財閥解体も、農地解放も、華族制度の廃止も、「押しつけ」になるでしょう。3つの改革はいずれも、戦前の支配層にとっては死活問題で、日本が自ら行うことができなかった社会改革です。ある意味では、「押しつけ」だからこそ実現した民主改革であり、そのおかげで、戦後の日本は、自由な社会となり、発展してきたのです。

もし憲法が「押しつけ」で駄目なら、こうした民主改革も「押しつけ」で駄目だから、財閥は元にもどし、農地は地主に返し、華族制度を復活させて「平民」と区別する、という方向が正しいのでしょうか? 「押しつけ」論は、そのほかの民主改革とセットになった憲法制定という歴史的な事実を、見ていないと思います。

また私は「押しつけ」だろうと自主制定だろうと、結果的に良いものは、文化でも技術でも、国境をこえて取りいれる、それが長い歴史のなかで培われた日本人の優れた特徴ではないかと思います。

9条は60年間機能してきた
編集部

「9条が形骸化している」という点については?

松本

自衛隊は、戦後60年間、交戦権のもとで、一人の外国人も殺していません。さらに「非核三原則」、「武器輸出禁止」という平和主義の原則は、9条がなければ生まれなかったルールで、今も有効です。現在でも、9条は形骸化などしていません。しっかり機能しています。

また、「現実に合っていないから現実に合わせるべきだ」という考えもあるようですが、ほかにも現実と乖離しているケースはあります。

例えば憲法24条では「両性の平等」が定められていますが、未だに実現していません。世界的に見て日本は男女の賃金格差が大きく、女性議員の割合は国際水準より低く、企業の役員の割合も低い。そうした不平等について、たくさんの人が裁判を起こしたり市民集会をしたり、ずっと地道に活動してきて、それでもまだ差があるんです。また第25条の「健康で文化的な最低限の生活」も、毎年3万人をこえる市民の方々が自殺をしている国で、果たして、実現していると言えるでしょうか?

その意味でも、「現実と合っていないから変えるべき」という理由には、賛成できません。それならば、男女不平等、不健康で非文化的な生活も、現実にあわせて条文を変えましょう、ということになります。

そもそも憲法は、国がめざすべき理想ですから、現実との乖離があって当然なんです。平和も男女平等も健康で文化的な生活も、国が国民に保障しなければならない権利であると同時に、「国民の不断の努力」によって獲得していかないといけないものなんです。

編集部

軍隊を持たないで、中国や北朝鮮が攻撃してきたらどうするのかという意見も多いですね。

松本

中国、北朝鮮にとって、日本を攻撃するメリットが何かあるでしょうか。現実的に考えたいと思います。例えば日本の一都道府県くらいのごく少ない国家予算しかない北朝鮮が、日本を継続的に攻撃する能力があるでしょうか? またメリットがあるでしょうか? もちろん、北朝鮮は拉致の加害者であり、問題がある国です。核兵器開発、テポドンもありますが、核開発も弾道弾も、あくまでも日本やアメリカとの外交交渉を有利に進めるための一時的な威嚇に過ぎません。彼らが日本を本当に攻撃したら、海外からの経済援助、食糧支援は打ち切られ、おそらくは旧共産圏のロシアも含めて世界中から非難され、国連からは見放され、六カ国協議は分裂し、何もメリットはありません。むしろ困るのは北朝鮮であり、場合によっては、今のあの国の政治体制そのものが揺らぐ可能性もあります。そうした危険な賭を、現実的に考えて、あの国の指導者がするでしょうか? けんかの弱い子どもが、使えないナイフを見せて威嚇しているようなものですから、「本当に攻めてくるんじゃないか」と慌てて反応することは、相手の手の内にはまってしまうだけです。日本は平和主義の先進国としての余裕を見せて、冷静に対処するべきです。

また中国も、これだけ多くの日本企業が現地工場を建設して経済的な利益が一致し、さらに中国では、日本からの旅行者をむかえる観光産業も盛んです。中国にとっても、日本を攻撃するメリットはありません。

編集部

近隣諸国との関係の悪化も心配です。

松本

どの国にも、人間と同じように、悪い点はあることでしょう。独裁制、覇権主義、歪んだ民族主義……。また国と国の間には、人間関係と同じように、利害の対立も必ずあります。

そんな中、国と政治家の務めは、国家間の利害対立が小さいうちに手を打って、根気強く利害の調節をはかって、解決するように外交努力をすることであって、ミサイルが飛んできたときのために軍事増強をして「備えあれば憂いなし」というようなものではありません。ミサイルが飛んでくる事態を作らない、避けることが国の義務であり、国民が平和的に暮らせるように、政府と政治家が、日ごろから、良好な外交にむけて努力することのほうがずっと大事です。その点、今の日本は近隣諸国との外交に、最善を尽くしていると言えるでしょうか?

さらに、「相手が攻めて来たらどうするのか」という点についていえば、近代以降、日本こそが、アジアの国々に攻めて行き、市民を殺したのであって、アジアの国々が日本を攻めたことはありません。私たち日本は、実際に攻撃をした側なのです。攻撃されて被害を受けた側が、日本にたいして過剰に反応するのは、そうした歴史的な経緯もあるのだという事実を忘れてはならないと思います。それは人間と人間の加害と被害と、同じではないでしょうか。そうした想像力も大切にしたいと思います。

また、どうして南北朝鮮が分断されたのか、その原因とは言わないまでも、遠因の一つには、日本の占領統治があります。日本とまったく関係ないところで、朝鮮半島が二つに分かれたわけじゃないのです。それも忘れてはならない史実です。

ただし、私は外国から批判されるから謝罪する、靖国参拝を批判されるからやめる、という受け身の応対は反対です。

外国に言われたから謝る、参拝を控える、という主体性のない姿勢ではなく、まず私たち日本人があの戦争は何だったのか、日本はアジアで何をしたのか、きちんと知ってその上で、私たち日本人は極東アジアの平和にむけて、何ができるのか、何をすべきか、どんなふうに貢献できるのか、前向きに考えるべきだと思います。

何かを始めるのに遅すぎることはない。平和へのアピールも
編集部

同じように、「攻撃に対して備える」という意味で、「テロの危機に対抗するために軍事力が必要だ」という人もいます。

松本

軍事力で、テロは防げません。世界最大の軍事力と世界一の諜報機関を誇るアメリカが、9・11のテロを、まったく防ぐことはできませんでした。さらに今もアメリカ軍は、精鋭部隊をイラクに投入していますが、頻繁に自爆テロが起きて、罪のない市民も、若い米兵たちもたくさん亡くなっています。軍事力ではテロが防げないということは、現実が明らかに証明しています。

「国際貢献のために軍隊が必要だ」というご意見もありますが、日本が国際貢献をするというのなら、60年間、一度も交戦という実戦経験をしていない軍事力よりも、世界に誇る優れた分野を優先するほうが賢明です。発展途上国の医療技術と薬の支援、食糧不足の国々への農業指導、HIVの新薬を開発と配布、井戸掘り、地震や津波の被災地への救援、自然災害対策など。そういう一つひとつの積み重ねが、「日本って本当にいい国だなあ」「日本人のおかげで助かった」と感じてもらえるはずです。迷彩服に武器で重装備した軍人よりも、丸腰の日本人が、実際に生活に根ざした貢献をするほうが、現地の人たちにも喜ばれ、「貢献」としての成果もあると思います。私自身、作家になってから17年間、途上国の子どもを何人も援助し続けていますが、国の援助だけでなく、国民一人ひとりの国際支援にむけた意識も大切だと思います。

何かを始めるのに遅すぎることはない。平和へのアピールも
編集部

ほかには、どんな意見が寄せられました?

松本

「日本の固有の文化と伝統を守るために自主憲法を」というご意見もよく聞きますね。

これについては、そもそも憲法というのは誰にむけての法なのか、憲法の基礎に立ち返って学んで頂きたいと思います。

ヨーロッパの歴史をふり返れば、かつては支配階級の王侯貴族が市民に重税を課したり、たびたび戦争を起こして徴兵したりしていた。そうした支配者の圧制や権利剥奪から国民を守るために憲法ができてきたんです。つまり憲法の主な役割は、「国家は、これこれの権利を国民に保障しなさい」という国家への法で、国民が国家に対して突きつける制約なんです。ですから、第9条の戦争放棄とは、国は戦争を起こして、国民の命を危険にさらすような事態を招いてはならない、という意味なんです。憲法は、国民の義務は最低限のものにとどめるのであって、むしろ国に対する義務が書かれているんです。政治家にとっては行動の制限であり、煙たいものですから、変えたいという気持ちは理解はできますが(笑)。

一般の人たちが「憲法の内容を知らない」とよく言われます。それは良いことではありませんが、ある意味では当たり前なんですね。憲法を学んで守らなくてはならないのは、国民じゃなくて、国政を行う人たちなんです。もし、憲法に「日本固有の文化を守らなければならない」と書くとしたら、国民に対してではなく、国会議員は着物で国会に出なさい、西洋料理や中国料理は禁止で和食のみとか、そういう内容になります(笑)。私はよく着物を着ますし、料理も日本食を毎日作っていますので、日本文化を大切にすることは大歓迎なんですが、服飾も食事も文化ですから、文化の規制や強制は「思想信条の自由」の侵害にあたります。国に対しても、国民に対しても、法的な規制は許されません。

編集部

そもそも、憲法というものがどういうものなのかを誤解している人が少なくありません。

松本

そうですね。でも、改憲と護憲のさまざまな意見があることが、日本のすばらしいところなんです。日本が民主主義国家だからこそ、自由な言論が保障されている。もし日本人の全員が「9条を守ろう」と思っていたら、それはそれで不健全です。多様な意見があることは日本の社会の民主性を示しているからであり、自分と違う意見を目の敵にしてはならない、むしろ喜ぶべきだと思います。また「問答無用」で「武力で解決」ではなくて、冷静に議論していこうという姿勢もすばらしいことです。

ただし、一つ気になることがあります。私は以前は、改憲派の方々は、日本の平和を守るために改憲が必要だとお考えなのかと思っていたんですが、中には、そうではない人もいるんですね。アジアで優位な地位を占めたいからとか、中国の大国主義に対抗したいとか、国家主義的で、非民主的な考え方の人も中にはいることがわかったんです。成熟した民主主義の文化国家へむけての改憲の主張ならまだしも、こうした流れは心配しています。

つづく・・・

改憲派の意見に、一つ一つ丁寧に答えてくださった松本さん。
次回では、「自衛軍の保持」を謳う
自民党新憲法草案について、ご意見を伺います。

ご意見募集!

ぜひ、ご意見、ご感想をお寄せください。

このページのアタマへ
"Copyright 2005-2010 magazine9 All rights reserved
」」