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数々のNGOの広告やキャンペーンを
チャーミングな方法で展開つづけているマエキタミヤコさん。
社会問題を誰もが気軽に参加できるキャンペーンにすることで
多くの人の関心を高めている彼女に、
「100万人のキャンドルナイト」が開催される冬至目前にお会いしてきました。
マエキタミヤコ
1963年東京生まれ。コピーライター、クリエイティブディレクターとして、97年より、NGOの広告に取り組み、02年に広告メディアクリエイティブ[サステナ]を設立。女性向け月刊誌『エココロ』を通して、日々、世の中をエコシフトさせるために奔走中。「100万人のキャンドルナイト」呼びかけ人代表、HYPERLINK "http://www.hottokenai.jp/"「ほっとけない 世界のまずしさ」キャンペーンアドバイザー。上智大学、立教大学非常勤講師。
最近は、「フードマイレージ」キャンペーンや、「リスペクト・スリーアール」プロジェクトを手掛けている。
マエキタさんは2003年からはじまった「100万人のキャンドルナイト」の呼びかけ人だそうですね。1年のうち夏至と冬至の夜、2時間だけでんきを消してキャンドルの灯りで過ごそう、というシンプルな呼びかけは、今や600万人以上の人が参加しているのみならず、多くの企業が賛同する日本最大の環境ムーブメントとなっています。わずか数年でこれだけ多くの人に広がったのはなぜだったのでしょう。
まず、みんなの中にこういうことをやりたいという下地があったと思うんですね。
一体感がほしいけれども、これまでのお祭りを保守的に感じていたり、みんなでそろって何かをしたいけれども、一斉に何かをするということにどこか軍隊的なイメージを持ってしまっていたり。でも古い形ではやりたくないけれども、新しい形だとただのイベントや遊びになってしまう。もっとフラットなお祭りが欲しいという素地があって、みんな模索していたと思うんです。
キャンドルナイトのキーワードは、<自発性>と<多様性>と<一体感>なんですね。 自発性というのは、誰でも参加ができる、やりたいと思う人が参加する、やりたくないなぁと思う人は参加しなくていい。そういうゆるさや自由度の高さがあることがすごく大事なんです。で、参加するのにも何をやってもいい。 この時点でまず普通の人は混乱するんです。 じゃあどうして広がったかというと、電気を消して、キャンドルを点けるというシンプルさがまずあって、それから自発性と多様性があった。
多様性というのは、たとえば原発推進派も反対派も一緒にできるということ。
立ち上げのときにその例を示そうと思って、まず東京電力を誘ったんですね。最初は成立しなかったけれども、話し合いを進めていくのが大切で、まず場を作らなかったら進む話も進まないということなんです。
自分とは違う考えの人たちと一緒にやるというのは、未来の可能性を探ることですから、そのためには自分も相手も決めつけないようにしないと。
『でんきを消して、スローな夜を。
—100万人のキャンドルナイト』
(マキノ出版)
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改憲派と護憲派にもつながるものがある気がしますね。一堂に会して、とことん突き詰めて話す場というのがなかなかない。
賛成派・反対派が同じテーブルにつく会議に慣れてないですよね。でもそれはやらなくてはいけないことだと思います。
原子力のことと、憲法9条のことはもうとっくの昔から話し合ってこなくてはいけなかったけれども、それをせずに「もう時間がない。今は話し合いなんてしている場合じゃない」となっている。もちろん私自身にだって、はやる気持ちはありますよ、
でもつい「そんな悠長なこと言ってられない!」と思ってしまいますよね。
どっちのこと? 9条? 原子力?
あ、どっちもです。
そうよねー!(笑) だからマズイんですよ。
民主主義の国は、話し合う時間をはしょってしまっては何にもできないんです。
改憲派にしろ、原発推進派にしろ、着々と準備をしているのに、反対派はその「着々と」をしてこなかったんですよね。
スタートが遅かったからといって、それを一気に巻き返すことはできない。でも、だからこそ、逃げずに今から着々とやればいいんです。
NGOっていうのは情報サービス業なんですね。情報を出すというのはいちばん資材がかからないじゃないですか。NGOが持っている情報は、出したら必ず「それは大事だよね!」となる、とても価値の高い内容のはず。 それと広報力。うまく広報すればお金も集まるものです。
ただ、賛同する人からお金を預かりそれを元に活動をするといった、いわゆるアドボカシー的なスタイルは、日本ではまだ浸透していないように思います。
キャンドルナイトも本当に大変でしたよ。でもたとえば「フードマイレージ(※1)」とか「ポコ(※2)」は今でこそだいぶ知られるようになってきたけれども、3年前からやっていたんです。地道に続けてきたら、あるときからばーっと広がったんですね。
原子力は大きな産業になっているから、反対を表明しづらい理由が明白ですよね。東京電力なんて広告費としても大きいから、広告代理店が何も言えないのもすごくよくわかる。
それでもたとえばアル・ゴアの映画『不都合な真実』や彼のノーベル平和賞受賞などが追い風になって、モノを言いやすくなったというのはありますよね。
(※1フードマイレージ 食料の移動距離のこと。遠い国から運ばれてくる食料はその分CO2が排出されているので、運ばれてくる距離の短い国産品を買おうというキャンペーン)
(※2ポコ 100gのCO2を「1ポコ(poco)」という単位で呼び、日常生活のさまざまな事柄をポコで置き換えてCO2排出量を減らす目安にしようという試み。)
ただ、環境問題や貧困に対しては語りやすいけれども、こと9条となるとまだまだ抵抗はありますよね。特に有名人の方などは、政治が絡むみたいなイメージがあるようで、本人が「ぜひ語らせてください!」と快諾しても、事務所サイドから断られることも多いんです。
「政治が絡む」というときの「政治」ということばは、要するに政党の偏りのことを「政治」って縮めて言ってしまっているんですよね。でも「政治」と「政党的偏り」は全然違うものでしょう。政治的な発言はしないとダメですよ。 事務所側が断るのは、そのことに対して詳しくないから。
それは「ほっとけない 世界のまずしさ」キャンペーンをやっていてわかったのだけれど、協力してくれたタレントさんたちはみんな、すごく熱心に勉強したがるんですよ、貧困って? ODAって? って。
雑誌『エココロ』にも今活躍中の若手女優さんがたくさん登場してくれていますが、みんな出歩くと目立つから、情報を入手するのにとても不自由しているんです。だから撮影やコンサートのときなどに楽屋に伺うと、もう待ってましたとばかりに質問攻めにされるんですね。NGOの人たちは彼らに大人気なんです。
でも事務所はそういうことにくわしくないから、何かトラブルに巻き込まれるとマズイからと、とりあえず断わってしまう。だけど、本当はそういうことを知らないとダメだよね、ってみんな気づき始めていますよ。
自らそういうことに取り組んでいる人にはいい仕事がめぐってきているという構図に、だんだんなってきていますから。 まあ、そうは言っても一気には無理なんでしょうけれど、「政治的なことはちょっと……」と言われたときに、わかりやすく語れることですよね。
でも、いざわかりやすく語ろうとしたときに、まだ9条の中身がちゃんと分離されて語られていないと思うんです。
要はみんなのニーズも多様なのに、ごっちゃになってる気がするんですよ。憲法9条っていう太い括りがあるのはいいんだけれど、中身のバリエーションが語られていない。
二元論で語られてしまいがちですよね。護憲派は護憲派で一括り、改憲派は改憲派で一括り。改憲派の中にも護憲派の中にも、すごくいろんな考えが本当はあるんだけども。
国民投票法が通ったので、最短で3年後には投票という可能性もありますよね。
で、そのときに十把一からげで「憲法を変えた方がいいですか? 変えない方がいいですか?」と「一括投票」で聞かれてしまったら、もうアウトだと思います。
そういう訊かれ方にしないためにはどうしたらいいのか、今から準備しなくては。
それはやはり衆院選ですよね。どういう人に投票すればいいのか、ちゃんと知って選ぶ。
インターネット新聞の「JanJan」に「ザ・選挙」という全国の政治家のデータベースがありますよね。そういったものを使って、憲法9条に関しても、誰がどういう考えなのかをちゃんと照らし合わせて決める。
メディアは選挙の公示後は報道できないことになっています。でもメディア自身はネタの仕込みができないけれど、NGOがやることの取材はできるんです。
だから選挙戦が始まると、よくマスコミから電話がかかってくるんですよ、「マエキタさん、何かやらないの? 何かやってくれたら取材できるから」って。
前もって準備をするってことが苦手な人たちは、体制側に付け込まれてしまいます。 だから、ここからが勝負ですよ。
多くの人たちの興味を誘い、
巷で評判の、みんなが参加したいキャンペーンを
どうやって作ってきたのか。憲法9条を考えようという運動にも
関係の深い、興味深いお話となりました。
皆さんのご意見、お待ちしてます!
ご意見募集