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「憲法9条は沖縄の敵である」そんなショッキングな言葉を、昨年沖縄の新聞で見つけました。
それは何を意味しているのでしょうか?
沖縄から発信を続けている政治学者のダグラス・ラミスさんにお聞きしました。
C・ダグラス・ラミス
1936年、サンフランシスコ生まれ。政治学者。元津田塾大学教授。著書に『憲法と戦争』(晶文社)『経済成長が無ければ私たちは豊かになれないのだろうか』『憲法は政府に対する命令である』(以上平凡社)『普通の国になりましょう』(大月書店)他多数
ダグラス・ラミスさんは、現在沖縄を拠点にして執筆や講演活動を続けてらっしゃいます。昨年の8月13日、「沖縄タイムス」のコラムにショッキングな言葉を見つけました。「憲法9条は、沖縄の敵なのである」。これは、村主道美学習院大学教授のことばを引用したものですが、同コラム内にラミスさんの「9条の存在を保障したのは護憲運動のみならず、沖縄の軍事基地化だった」という言葉もありました。平和憲法のはずが、9条は軍事基地とのバーターで生まれたものであり、今もなおそれは続き今後もそれを継続していくのか? というラミスさんの問いかけだったと思います。
事実、日本は9条を持ちながら同時に日米安保条約を持ち、沖縄をはじめ国内に多数の米軍基地をおいています。この矛盾を最も抱えているのが、沖縄だと思うのですが、9条と安保について、まずはお聞かせください。
昨年末、イギリス人のチャールズ・ワードという青年が沖縄にやってきました。彼は、高校生のときに日本の憲法9条の存在を知って感激して、去年の春から9条アピールのため、自転車で北海道から沖縄までの旅を続けていた、という人です。彼が沖縄にやって来て僕と会ったとき、こんな質問をされました。旅の途中で「沖縄には憲法9条は来ていないんだよ」と沖縄の人に言われましたが、それはどういう意味ですか、と。
僕は「もちろん、憲法9条には沖縄には適用されないという条項があるという意味ではなくて、米軍基地に囲まれている沖縄の状況を表現するための比喩雨的な発言です」と説明した。その中で「日米安保条約」という言葉を使いました。そうしたら、彼は「なに、それ?」と聞くんですね。
「日米安保」という言葉をそもそも知らなかった、と。
それまで、彼は街頭で9条のアピールをしながら1年近くかけて旅をしていた人です。もちろん、護憲運動をしている組織や個人にもたくさん会ってきただろうし、いろんなところでインタビューもしている。でも、その中の誰も「安保条約」という言葉を口にしなかったみたいなんです。彼は何年か日本に住んでいて日本語もできるんだけど、「安保」という言葉は沖縄に来て初めて聞いたと。これはすごいことだなと思いました。
僕が日本の反戦平和運動に参加し始めたのは、60〜70年代ですが、あの時代はまず安保条約が第一だった。運動に参加したいという人がいれば、まず安保の説明から始めたし、これをわかっていないと日本の状況はわかるはずがない、という感じだったんです。
映画『日本国憲法』」の中でも、1961年頃、関西の大学に通っていたラミスさんは、周りの学生たちからさんざん安保について聞かされていたし、安保と平和、戦争についてものすごく議論をした、という発言をされていましたよね。
でも、最近は、安保条約をまったく口にしないような、その部分にまったく触れないような護憲運動が存在しているようなんですね。9条が欲しいけれども米軍基地も必要だという、その動機はわからなくはないけれど、それは反戦平和運動とは呼べない。軍事力に守ってもらわないと不安だ、でも戦争をやるのは人に任せるということになりますね。
9条は守りたい、でも安保条約で米軍に守ってもらわないと不安だ、と。その二つを同時に主張することが「矛盾」だと考えない人が多くなっているということでしょうか?
そう積極的に思っているというよりは、タブーのようにして考えないようにしている、ということではないでしょうか。積極的に口にすると、「私たちは戦争をしたくないけど、米軍にはやってもらいたい」という奇妙な議論になるから、はっきりした発言はしにくいでしょう。
何ヶ月か前にも、東京にある国連大学でのイベントでこんなことがありました。交流会で、ふたりの女性が僕のところに来て、「9条を世界遺産にするという話がありますね。実現したらうれしいのですが、それは可能だと思いますか」という話をしていた。そこで僕が「安保条約がある限り可能性はないんじゃないですか。国内に米軍基地があるような状態では、いくら9条のことを言っても、外から見たら説得力がないでしょう」と言ったら、彼女らは「えっ、安保条約をなくすんですか。そんなこと、他の国には軍事力があるんだから怖いじゃないですか」と。「9条を守りたい」「米軍基地がないと怖い」と、同じ人が言うわけです。
9条と安保や米軍基地、その二つの問題を、そもそもリンクして考えないわけですね。
そのために「役に立っている」のが沖縄ですよね。
というと?
米軍基地といえば、みんなすぐ沖縄を連想するでしょう。横須賀基地を見に行く修学旅行はないのに、沖縄では米軍基地を見に行って、「すごいね、怖いね」。そして帰ってきて、「沖縄は大変ですね」という。そこには、「悲劇的な沖縄」を見るというスリルもあるでしょう。そして自分の住むところに戻ったら「平和な日本に帰ってきた、安心」と。そうして基地問題は「沖縄問題」とすることで、平和憲法と安保条約の矛盾については考えないようにしているんだと思います。
何年か前、東京で護憲運動をやっている女性が沖縄に来たので、車で案内したことがあります。米軍基地のそばに住宅が密集している場所を通ったんですが、それを窓から見た彼女は「私はあんなところには住めない」と言った。これは、非常に興味深い発言ですよね。
興味深い?
翻訳するならば、「私は基地のそばに住むなんていうことが我慢できないほど敏感で繊細な平和主義者である」ということ。でも、それを裏返せば、「どうしてあんなところに住めるの?」という、実際に住んでいる人たちへの軽蔑があるんだと思いませんか。
だけど、そもそもどうしてそこに基地があるかというと、日米安保があるからですよね。それを結んだのは沖縄の人たちじゃない。誰も沖縄の人に「安保条約を結んでいいか」と聞いたことはありません。すべてヤマトの人たちが決めたこと。だから安保の問題、基地の問題は、沖縄問題ではなくて日本の問題なんです。
そもそも「あんなところに住めない」というのは、「自分は『あんなところ』に住んでいない」と思っている言い方ですよね。でも本来、米軍基地は「沖縄にある」んではなくて「日本にある」んだから、東京だって客観的には「あんなところ」なんです。騒音は聞こえない、被っている迷惑の度合いもぜんぜん違う、けれど「基地がある」という意味では、沖縄も東京も、原則として同じはずなんです。
たしかに、本来は日本全体の問題であるはずの安保や基地の問題が、沖縄に基地が集中しているために「沖縄問題」として、他人事のように捉えられているところがあるのは事実ですね。そして、基地があることによって地元の人たちが感じている恐怖や危険も、私たちは本当の意味では理解できていない気がします。
3年前にも、沖縄の国際大学に、普天間基地のヘリコプターが墜落した事件がありましたよね。あのとき、海兵隊数百人が基地からフェンスを越えて大学に入って、事故現場の周りに黄色いテープを張り巡らした。沖縄の警察も消防隊も、県知事もその中には入れませんでした。僕は夜になってから見に行ったんだけど、憲兵隊がピストルを持って並んでいた。
そのピストルは、住民に向けられているわけですよね?
住民にも、県警察や消防隊にも向けられています。本来、警察は現場の中に入って、たとえば過失があったかどうか証拠を集める義務があるし、消防隊も火事が起こってるんだからその原因を調べなきゃいけないんだけど、中に入れてもらえなかった。
日米地位協定では、米軍の憲兵隊が基地の外で行動できるのは、基地の外にいる米兵が何か問題を起こしたときだけなんです。それも、警察当局にちゃんと「こういう米兵がいるから」と連絡をして、押さえに行くことができるだけ。日本国籍の人たちに対しての警察権はないわけですね。
だから、そのキャンパスに海兵隊が入ってピストルを持って並んでいることには、一切法的な根拠はない。あれはもう、軍事行動です。つまり、外国の軍隊が、軍事行動でもって日本の領土の一部を占拠した。気づいていない人も多いと思うけど、これは明らかな国際問題ですよ。日本の右翼はどうしてそれを批判しないのかと思う。
日本政府も厳重に抗議すべき問題なわけですね。
それどころか、そのとき当時の稲嶺知事はちょうど海外にいたんだけれど、急いで帰ってきて成田に着いて、小泉総理にこの事故の件で会って話がしたい、と言った。でも、総理は「会えない」。夏休み中だから、という理由でした。東京のホテルにいて、アテネオリンピックをテレビで見ていたらしいんです。これは、稲嶺知事だけではなくて沖縄県民全体に対するすごい侮辱ですよね。
冒頭で話した沖縄タイムスの記事にも、こう書いてました。「2年前、8月13日の本土のニュースは、米軍ヘリ墜落のニュースよりもアテネ五輪を大きく報じていた」と。
あともう一つお話しておきたいのは、この間、本土の「9条の会」の事務局長が沖縄に来られたときにも話したんですが、今、本土では「9条を守ろう」という運動が高まっていますよね。「9条の会」も、非常に数が増えている。
今、全国に4000以上の会があるそうですね。
彼に言わせると、もう5000を超えている。ところが一方で、日米安保に反対する組織はほとんどない。もちろんいくつかあるのは知っていますけど、やっている人はだいたい60年代、70年代の安保闘争からかかわっている「ベテラン」ばかり。
そういう状況を沖縄から見ていると、なるほど、ヤマトの人たちは9条は欲しいけど、安保には特に反対していない、安保も欲しいみたいだね、と感じるわけです。そんなに欲しいのなら、欲しい人のところに基地を置けばいいじゃないか、という声が出るのが当然でしょう。
これを言うと、たいていヤマトの人たちは怒ります。私は戦争反対だから、私の町に米軍基地を置くなんて考えられない、という。でもその人たちは、「安保条約が欲しいなら、基地もその条約の下にある地位協定も、日本全国に公平に分担するのがフェアーじゃないか」という沖縄の声に対して、何と反論するんでしょうか。
沖縄がかかえる矛盾は、日本のかかえる矛盾そのものでもあります。
皆さんはどう考えますか?
次回は、沖縄における基地反対運動の変化や、
政治への関心についてお聞きしていきます。お楽しみに!
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