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この人に聞きたい
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きくちゆみさんに聞いたその2

日本に、世界に、平和省を作ろう!

千葉県鴨川市で半農半著の暮らしを営みながら、世界各地の平和な社会を目指す仲間たちと
交流を続けているきくちさん。 その活動の中で知った、アメリカ民主党の下院議員デニス・クシニッチ氏は、
アメリカの核兵器全廃や平和省設立を公約に、2004年の大統領選に出馬した人物。
彼との出会いをきっかけに、これからきくちさんが日本で始めようとしていることについて伺いました!

nakagawaさん
きくち ゆみ
グローバルピースキャンペーン発起人。東京生まれの東京育ち。
大学卒業後、雑誌ライター、テレビのレポーターを経て外資系銀行で債権ディーラーに。
その後、環境問題の深刻さに気づき、'90年より環境運動をライフワークとする。
'98年より千葉県鴨川市にある築200年の民家に移り住み、
自給自足的な暮らしをしながら執筆や講演活動を続けている。
きくちゆみのブログとポッドキャストhttp://kikuchiyumi.blogspot.com/
アメリカの良心・デニス・クシニッチ下院議員との出会い
編集部

前回、アメリカの戦争をやめさせるためにしてきたことをお話いただきましたが、2003年には日本で、ある下院議員を応援する運動を始められましたね。

きくち

私たち一家は、春から秋にかけては自分たちで食べるお米や野菜、小麦、豆類を育てて暮らし、農閑期には家族で海外を貧乏旅行する生活を続けています。

デニス・クシニッチの存在を知ったのは、2003年1月にハワイにいたときのこと。友人から送られてきたメールで、彼が「アメリカは率先して核兵器を全廃し、世界を救う手助けをしよう。アメリカ国内に平和省を設立しよう」と提唱していることを知りました。それまでデニス・クシニッチという名前すら知らなかった私は大きな衝撃を受け、すぐさまグローバルピースキャンペーン(GPC)のメールマガジンで彼のことを紹介するとともに、「彼のような人が大統領になったら、どんな世界が可能だろう」と書き添えました。そのときはクシニッチがいったいどのような人物かまったく知らなかったし、ましてや大統領候補になるなどとは夢にも思いませんでした。

それから2ヶ月後の3月20日、アメリカがイラクへの空爆を開始したというニュースを聞いた私は、愕然としてその場に倒れ込んでしまいました。しかし、そのすぐあとに、クシニッチが大統領に出馬するというニュースが飛び込んできたのです。絶望の中に、希望の光が見えた気がしました。

どうしても彼に直接会ってみたくなり、その2ヶ月後にはサンフランシスコに飛んで、遊説中の彼を訪ねました。彼に笑顔で迎えられ、演説を生で聞き、彼ならアメリカを、そして世界を変えられる、と確信して、帰国後すぐに彼の大統領選を日本から応援する「アメリカに平和の大統領を!」キャンペーンを立ち上げました。

編集部

日本からどのようにしてクシニッチを応援したのですか?

きくち

大統領選の勝敗を分けるのは資金力です。ブッシュ陣営が選挙でつぎ込むお金は2億ドルと言われていました。しかし、クシニッチは企業献金は一切受け取らず、ボランティアスタッフと草の根で活動していたために、資金面で圧倒的に不利な立場にいました。日本で彼のことを紹介し、カンパを募ろうと思いましたが、アメリカの大統領候補に外国人が寄付をすることは禁じられていました。

そこで私たちは、彼のスピーチを訳した本を出して彼が印税を得る、という間接的な方法でサポートすることにしたのです。すぐさま出版社に企画を持ちかけ、出版までわずか2ヶ月という文字通りの緊急出版をしたのが、『デニス・クシニッチ 〜アメリカに平和の大統領を!』(デニス・クシニッチ、きくちゆみ著 ナチュラルスピリット刊)です。

翻訳の締め切りまで、なんとたったの2週間しかなかったのですが、メールで翻訳者を募集したところ、あっという間に14人の翻訳者が集まってくれました。

編集部

クシニッチはどんな人で、どのような政策を唱えているのですか?

きくち

彼は貧しい労働者の息子として育ちました。父親はトラックの運転手で、彼は7人兄妹のいちばん上。
一家は貧しく、彼が高校を卒業するまでに21回も引っ越し、ホームレスになった経験もあります。
彼自身も小学生のころから、学校で必要な費用を払うために用務員の仕事を手伝うなど、苦学しました。

ベトナム戦争をきっかけに政治に関心を持つようになり、大学在学中の21歳のときにクリーブランド市議会選に立候補。23歳のときに初当選しました。その後、31歳の若さでクリーブランド市長になり、96年にはとうとう連邦下院議員選挙に当選しました。
アメリカでも日本でも、議員はお金持ちの子息か二世三世議員ばかりですよね。大統領だって、労働者階級から当選したことは過去に一度もありません。しかし、貧困を生き抜いてきた彼は、社会的弱者の苦しみや痛みをもっともよくわかる人物です。私は、彼こそ世界が21世紀に進むべき道をしっかり把握している人だ、と思いました。
彼が提唱している主な政策は、原発の撤廃と自然エネルギーの推進、全世界の核兵器や大量破壊兵器の撤廃、そして平和省の設立などです。

平和省というのは、国内では家庭内暴力や配偶者虐待、子どもや高齢者の虐待の防止や解決に取り組んだり、アメリカにはびこる犯罪の原因を究明できるような基盤を整える、国際的にはあらゆる紛争に対処したり、不平等な貿易や富の分配、天然資源に対する不公正を解決する、などを仕事にする省です。
これらがすべて実現したら、ものすごいことだと思いませんか? でも、残念ながら彼の主張は、メディアにはほとんど出ることはありません。ですから、彼の演説に直接足を運ぶ以外に、なかなか彼のことを知る機会がないのです。

戦争を前提にして成り立つ、アメリカの経済社会
編集部

どうしてメディアに出ないのですか?

きくち

それは、彼の主張は企業や政府にとって都合が悪いからです。
アメリカの経済は、戦争を前提にして成り立っています。武器の製造メーカーはもちろんのこと、建設会社、コンピュータ会社、食品メーカーなど、さまざまな企業が戦争のシステムにぶらさがっています。
そんなシステムの中でいい思いをしている人たちは、クシニッチの存在を知られたくありません。メディアだって企業や政府の言いなりですから、彼のことを報道したがらない。
彼のことを知れば、アメリカ国民は必ず彼をサポートしますよ。だって、彼の公約が実現すれば誰も戦争や飢えで死なずに済むようになるし、環境も壊さずにみんなが豊かに生きてゆけるようになるんですから。

彼は、「私が大統領になったら、その日にWTO(世界貿易機関)とNAFTA(北米自由貿易協定)から脱退します」と公言しています。このようなことを今のアメリカで言えば、正直言って暗殺されかねません。それを堂々と公約に掲げているのですから、本当に勇気のある人だと思います。
クシニッチによると、アメリカはNAFTAによる輸入超過のせいで3600億ドルもの貿易赤字に陥り、また労働者の団体交渉権なども奪われているといいます。
彼は第三世界の人に正当な賃金を払い、環境を破壊せずに持続可能な貿易ができるような「フェアトレード」の実践も呼びかけています。

第三世界では10歳ぐらいの小さな子どもたちが、日給10円20円という信じられない賃金で、長時間労働をさせられています。私は“先進国”という言い方をしたくないので“発展過剰国”と呼んでいますが、第三世界にそうやって作らせたものを、一部の“発展過剰国”が安い値段で買い叩き、大量消費していますよね。
そのような構造の中で第三世界との貧富の差が大きくなれば、ますます世界が不安定になると、彼は主張しているのです。
もちろん、戦争に反対する私たち自身の大量消費的なライフスタイルそのものだって戦争もサポートしているし、第三世界の貧困も生んでいます。私たち自身の生活も改めていかなければないのは、言うまでもありません。

編集部

2004年の大統領選では、クシニッチは残念ながら破れましたが、彼の主張はアメリカ国内ではどの程度受け入れられているのでしょう。

きくち

クシニッチのような意見は米国議会の中ではもちろん少数派ですが、彼は現在、5期目の下院議員として活躍しています。平和省設立法案についても下院議員人中60人が賛成してくれていますし、全米すべての州で平和省を実現するための市民グループが誕生し、250選挙区で活 動を始めています。

世界中の多くの人が「なぜアメリカ人は、米政府に戦争をやめさせないのだろう」といらだちを感じていると思いますが、私は、彼のような人がアメリカの大統領候補に出たり、毎回下院議員に当選しているところに、アメリカにもまだまだ良心はあるのだ、と感じています。

「アメリカにこそ9条が必要だ」と語ってくれたクシニッチ
きくち

ところで、昨年5月にロスアンゼルス郊外で彼をインタビューしたとき、彼はなんと日本国憲法についてこう話してくれたのです。

「日本国憲法は世界が向かうべき道なので、変えないでほしい。アメリカはイラク戦争で道を誤った。世界から孤立しつつあるアメリカと同じ過ちを、日本が犯す必要はない」。

また「憲法9条こそが日本の平和貢献を可能にしている」とも話していました。
一方、日本国内でも「クシニッチを招へいしよう!」という声が高まっています。昨年9月には、アメリカにいるクシニッチと東京の会場を電話でつないで講演会とビデオ上映をしました。その中で彼は、平和省の話を一通りしたあと、日本の憲法に触れ、「日本国憲法第9条は人類への贈り物。国際法を無視し、戦争の原則を世界に広げているアメリカの現政権の圧力で9条を変えては絶対にいけないし、アメリカにこそ9条が必要なのです」と語ってくれました。会場ではこのことばを聞いて涙ぐんでいる人もいました。一般のアメリカ人や平和活動家ならまだしも、現役の米国議員が日本の憲法9条についてここまで言及してくれたことに驚くとともに、大きな希望を持ちました。

編集部

きくちさんがこれからどんな活動をしていこうと考えていらっしゃるかを教えてください。

きくち

私は今、「日本にも平和省を作ろう!」という運動を立ち上げようとしています。その運動の名前を何にしようと考えていたら、ある日、夢の中で突然「JUMP」ということばが出てきました。「Japan United for Ministry of Peace」の頭文字を取ったものです。今、アメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダで平和省を作ろうという動きがはじまっていて、すでに昨年、これらの国が参加して国際平和省会議も開かれています。興味のある方は、ぜひ私のサイトやメールマガジンを読んで、仲間になってください。
今年の6月にはカナダで第2回目の国際会議があるので、一緒に行きましょう!

http://globalpeace.jp/#latest
http://www.harmonicslife.net/

それから『911ボーイングを捜せ 〜航空機は証言する』(原題: 「911 In Plane Site」)というドキュメンタリービデオの日本語版を昨年制作し、現在は日本各地を回って上映会と講演をしています。
このビデオでは、911事件直後のニュース映像を分析し、アメリカ政府の発表の不可解な点や食い違いが検証されています。
私が911事件にこだわるわけは、これだけ疑問点がありながら、アメリカでも日本でも大手メディアが事件の真相を究明しようとしないばかりか、アメリカ政府の報告を鵜呑みにしているからです。
私の元にはいくつかの反論も届いていますが、むしろ反論する人と一緒にペンタゴンにすべての映像の公開を迫る運動をしていこうと呼びかけています。

編集部

都心から離れた山間地で農業をしながら子育てをし、さらに翻訳や執筆、日本各地での講演、平和映画祭のプロデュース、海外での平和運動や環境運動など、本当にパワフルに活動されていますよね。
そのエネルギーはいったいどこからわき出てくるのですか?

きくち

それは子どもたちです。私は4人の子どもを産んでいます。絶対に、戦争に行って殺したり殺されたりするために産んだわけではありません。そんなお母さんは、世界中のどこを探したっていませんよね。

子どもたちの笑顔を見ると、行動せずにはいられません。憲法9条についても、戦争についても、それぞれが自分のこととして考え、自分にできる方法で声をあげたらよいと思います。それは、どんなに忙しい人だってできるはず。だって、日本はまだ、かろうじて、自由に発言できる国なのですから。

戦争を止められないアメリカで、大統領候補に
このような人がいたことを知り、本当に驚きました。
また、平和運動というと組織に属してするもの、
というイメージがありますが、しなやかに、そしてエネルギッシュに
活動するきくちさんの姿を見て、個人でも行動できることは
たくさんあるのだと気づかされました。
きくちさん、ありがとうございました!

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ぜひ、ご意見、ご感想をお寄せください。

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