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この人に聞きたい

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鎌田慧さんに聞いた

37年後の『自動車絶望工場』

今から36年前、自動車工場で働く「期間工」たちの過酷な労働を、
ルポ『自動車絶望工場』で告発した鎌田慧さん。
しかし今、それよりもさらに過酷といわれる雇用・労働状況が、
多くの人々を苦しめています。
「雇い止め」「派遣切り」といった言葉が飛び交う現在の状況を、
鎌田さんはどう見ているのでしょうか?

かまた さとし
1938年青森県生まれ。ルポライター。新聞、雑誌記者を経てフリーに。著書に『自動車絶望工場』(講談社文庫)、『教育工場の子どもたち』『ぼくが世の中に学んだこと』(ともに岩波現代文庫)、『痛憤の現場を歩く』(金曜日)、『全記録炭鉱』(創森社)、『いま、連帯をもとめて』(大月書店)など多数。

多重層化する日本の労働構造

編集部

 鎌田さんが、トヨタの自動車工場で「期間工」として働き、その経験を綴ったルポ『自動車絶望工場』を出版されたのは1973年のことですね。

鎌田

 そうです。実際に工場で働いていたのはその前年、72年9月から73年にかけての半年ほどですね。

編集部

 あの本の中で、鎌田さんがおそらく一番伝えたかったのは、自動車工場での労働の非人間性、といったことだったと思います。それは読んでいて非常に伝わってくるのですが、それから30年以上が経った今、日本の労働状況、労働環境というのは、それを完全に超えてしまった部分があるように思うんですね。つまり、あの時代はまだ非人間的であっても仕事があったけれど、今はそれすらないという…。
 鎌田さんご自身は、『自動車絶望工場』の時代と現代とを比較して、どう感じられていますか?

鎌田

 たしかに、あの本の中で書きたかったのは労働の非人間性、しかも出稼ぎの期間工のところに負担が多く行っている、という差別の構造でした。ベルトコンベアの労働の中でも、よりひどいところが期間工に行って、本工(社員労働者)は同じようにひどいけど少しは楽かなというところに行く、その程度の格差はありましたから。
 ただ、あのころはその期間工の「下」には誰もいなかったんです。それが、今はその下にもう一つ「層」が作られて、そこに派遣労働者が入ってくるということになった。僕が現場にいたときよりも、もっとひどい状況に置かれた労働者が現れてきたというわけです。さらにその下に、ブラジルなどの日系労働者や、中国やベトナムなどから来た「研修生」もいるわけで、日本の労働構造全体がものすごく多重化して、重層構造になったと言えると思います。

編集部

 派遣労働者の「ひどい状況」というのは、仕事の内容だけではなくて…。

鎌田

 仕事自体はひどいことに変わりはありませんが、当時の期間工と違って、福利厚生がすべて外されているんですね。
 期間工というのは、トヨタならトヨタの人事部が採用する直接雇用です。だから、社員と同じ扱いで無料の寮に入れた。風呂も使えたし、食堂も社員と同じところを使えた。しかし、派遣労働者というのは派遣会社の採用で、トヨタは関係ないから寮には入れません。もちろん工場の風呂も食堂も使えない。派遣会社の寮がある場合もあるけど、それは有料で、しかもとんでもないお金をとられる。たとえば家賃9万円のマンションに3人労働者を住ませて、6万ずつ家賃を払わせて差額をピンハネするなんてことをやっているんです。さらに、洗濯機もテレビもリース代をとって…というふうに、とにかく少しでも収奪しようとする。
 労働の内容自体は変わらないけど、労働条件がどんどん悪化してきているんです。

編集部

 給与面での格差も昔より大きいのではないでしょうか。鎌田さんが期間工として働かれていた1972年というのは、民間サラリーマンの平均年収が初めて100万円を超えた年だそうです。そうすると月収にして10万弱ということ。一方期間工は『自動車絶望工場』に、月7万から7万5000円くらいという記述がありますから、そう極端な差はなかったとも言える。少なくとも、今の正社員と派遣労働者の賃金格差とは比較にならないという気がします。

鎌田

 そうですね。ボーナスで差は出るけれど、日給の賃金だとそんなに違いは大きくなかったと思います。そのころは労働力不足で、来てもらわないと企業のほうも困るから、需要と供給でそれなりに季節工は大事にされていたんです。往復の交通費も支給されるし、6ヶ月間働いて「満期」になると慰労金も出るし。そうしないと次の年に来てもらえないですから。
 ところが今は、本工の年収がだいたい800万円くらいになっているんですが、最下層の労働者は時給1200円くらい、手取りだと月収16万程度でしょう。1972年当時の、倍程度にしかなっていない計算ですね。

編集部

 そうした、期間工よりもはるかに条件の悪い派遣労働者が急増したというのは、工場現場の様子の変化とも関係があるのでしょうか。

鎌田

 工場労働のロボット化ですね。ベルトコンベアというもの自体が極めてオートマチックな存在なんだけど、それをさらに無人化して、お金のかかる人間がいらなくなるようにしたわけです。もちろん組立て作業や検査工など熟練労働者は必要なんだけど、それ以外は補助労働で間に合うようになった。材料供給はロボットがやって、人間はそれを故障しないように見るだけ、とか。
 それによって、労働者の存在自体がすごく軽いものになっちゃったんですね。それに伴って、期間工のさらに「下」に、ロボット代わりのより身分の不安定な派遣労働者がどんどん増やされるということになったわけです。

「非合法を合法化した」労働者派遣法

編集部

 そうした状況は、具体的にはいつごろから、何をきっかけに始まったのでしょうか?

鎌田

 2004年ですね。1985年に成立した「労働者派遣法」を突破口にして、派遣可能な業種や職種を大幅に広げた、改悪労働者派遣法が成立してからです。
 もちろん、それ以前もずっとモグリでの派遣は存在してましたよ。そもそも人材派遣というのは、今は近代的なビルに入ってるけど、もともとは港湾労働、船からの荷揚げ荷下ろしをやる「沖仲仕」の手配を暴力団組織が仕切っていたのが始まりという、ヤクザ的な体質の仕事なんです。ところが、労働者派遣法の成立というのは、それまで行われていたさまざまな非合法の労働者供給を公認して、合法化してしまったんですね。
 だから、その条文を読んでみると、「よくもこんな分からない文章を書けたな」というくらい、わけの分からない文章です。法律の中でも飛び抜けて難しい。僕はこれは、法律を作る人のほうにもためらいがあって、その意識がそこに表れたからじゃないか、と思いますね。

編集部

 やましいところがあるだけに、読んでもよく分からないようにあえて難しく書いておこう、というような意識があったのかもしれませんね。

鎌田

 この法律ができたことで、企業は労働者をいつでも、必要な量を、電話一本で調達できるようになりました。前は、調達しようとしてもルートがなくて、職安を通じて集めるしかないから時間がかかった。だから集まってきた労働者を1日2日遊ばせておくとか、もう少し緩やかな雇用形態だったんです。ところが今は、携帯電話にかけて「明日」と言えばすぐに労働者が調達できてしまう。だから会社の中に人間を置く必要がなくなったし、派遣労働者はどんどん増えることになった。それによって、派遣業界は7兆円の産業規模に成長したわけです。

編集部

 労働力が必要なときには社員を増やすのではなくて、派遣業者から「調達」すればいい、という考え方ですね。

鎌田

 そう。トヨタの「かんばん方式※1」というのがありますね。車の完成品をつくるコンベアが1本あって、それに必要な部品は、在庫を持つのではなくて必要なときに直接部品工場から運ばれてくる。「必要なときに必要なものを必要な量だけ、ラインサイドにぴたりとつける」というのが大野耐一※2のいうトヨタ生産システムだけれど、実際僕らが働いていたときも、下請けのおじさんが部品をラインサイドまで運んできてました。僕は「ほかほかの部品」と呼んでいるのですが、倉庫も何も通過しないんです。
※1かんばん方式…トヨタ自動車が1960年代から導入した生産システム。自動車の生産ラインにおいて、後工程が前工程に対して部品の必要な量やタイミングなどを「かんばん」と呼ばれる札を通じて指示し、前工程はそれに従って納品を行う。見込み生産による在庫を持たないで済むため、大幅な効率化につながる。
※2大野耐一…トヨタ自動車の元副社長。かんばん方式に代表される「トヨタ生産システム」を提唱・体系化した。

編集部

 「何時にどれだけ持ってこい」とトヨタが言えば、下請け業者がはそれに合わせて部品を持ってくる…。

鎌田

 それと同じように、人間を必要なときに必要な量だけ工場に持ってくる、つまり部品調達のシステムを労働者調達のシステムに横滑りさせた。そうして労働力を「部品化」させたのが今の派遣法なわけです。信州大学の高梨昌教授※3は、1994年に小泉改革の一環として改正法ができた後、業界の新年の挨拶で「ようやくここまで来た、最初に思ったとおりの法律になった」と言っていました。
 トヨタでいうと、1970年代と現在を比較して、車の生産台数は何倍にもなっているのに、従業員——これは正規の、本工労働者のみですね——は数百人しか増えていない。これは、それだけ「合理化」が進んだということ。機械化が進んだと同時に、期間工や派遣労働者といった、社外労働力が増えたということでもあるんですよ。
※3高梨昌…信州大学名誉教授。総理府の雇用審議会会長なども務める。労働者派遣法の「生みの親」の1人とされる。

「携帯が鳴らなければ仕事がない」
という不安

編集部

 昨年6月、東京・秋葉原で起こった歩行者への無差別殺傷事件の際にも、その容疑者となった男性が自動車工場で働く派遣労働者で、しかも犯行前に携帯サイトに仕事への不満などを書き込んでいたことが分かり、派遣労働の問題がクローズアップされました。

鎌田

 僕が派遣労働の問題だと言ったら、「ああいう犯罪というのはわけの分からないものなんだから、おまえのように分かったようなことを言うのはいいかげんだ」と批判する人たちが現れましたけどね。でも、事件の本質はそこだと思います。
 加藤容疑者が働いていたのは、トヨタ系の関東自動車工業という会社の工場です。そこへ労働者を派遣しているのが日研総業という会社で、業界大手5社くらいに入るところですね。自動車産業を中心にやっていて、関東自動車のほか、日野自動車などにも労働者を派遣しています。
 加藤容疑者は時給1200〜1300円くらいだったそうですが、日野自動車だとだいたい1150円くらい。でも、関東自動車や日野自動車は、日研総業に1750円くらい払っているんですよ。だから600円くらい差額があって、1日10時間働くとしたら6000円抜かれていることになります。いくら電話代とか、経費がかかっているといっても…。昔の暴力団の「人夫出し」だって、日に2万円稼ぎがあれば、1万円くらいは労働者に渡していましたからね。

編集部

 ほとんど暴力団並みですね。

鎌田

 そう。暴力は使わないけど、そのかわりに携帯電話を使っているともいえる。携帯で日雇いの仕事を得ている労働者はみんな、今日電話は来るのか、来ないのか、もしかして来たけれど聞こえなかったんじゃないかとか、いろんな不安があっていつも携帯をチェックしているんですよ。

編集部

 携帯が鳴らなければ仕事がない、明日収入がなくなるかもしれない…。その不安は大きいですよね。

鎌田

 学者なんかの話を聞いていて頭に来るのは、そういう不安感がまったく分かっていないということですね。派遣法の大賛成派である国際基督教大学の八代尚宏教授なんかは、「雇用の多様化だ。多くの派遣業者に登録することで雇用の機会が増え、いろいろな仕事を経験するチャンスができる」なんてフザケたことを言っています。
 秋葉原の事件の後、関東自動車は300人の派遣労働者のうち250人をリストラして50人だけを残す予定だった、加藤容疑者はその50人に入っていたと発表したけれど、本当のところは分かりません。とにかく彼は、一度「クビだ」と言われて、後からまた「来い」と言われた、と携帯サイトに書き込んでいます。
 もちろん、「右から左に動かされている」という怒りもあったでしょう。彼は、「(仕事に来いと言っても)自分じゃなくても誰でもいいんだ」というようなことも書き込んでいた。それは、自分の存在を無視されているということ。人間扱いされない、彼という存在を全然認めない。そういう人間性否定の社会状況への強い憤りがあったんだと思います。怒りの向け先をまちがったのです。

その2へつづきます

「絶望」だったはずの状況よりも、
さらに過酷な今の状況を何と呼べばいいのか。
次回、その中でも生まれ始めた新しい動きについて、
そして憲法9条についてもお話を伺います。

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魂のゆくえ
自動車絶望工場―ある季節工の手記
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