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この人に聞きたい
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池田香代子さんに聞いた

「善なるもの」を手放さないがんこ者のひとりであり続けたい
前回、池田さんにその目的についてお話しいただいた、
教育基本法「改正」案が、12月15日に参院本会議を通過。
59年ぶりに「教育の憲法」と呼ばれるこの基本法の改定、が、改定されることになりました。
それについて感じたこと、そして憲法への思いについて、
これまでに出版された本の話を中心に伺いました。
池田香代子さん
いけだ・かよこ
作家・翻訳家。専門はドイツ文学翻訳・口承文芸研究。
ベストセラーとなった『世界がもし100人の村だったら』の再話を手がけたことで知られる。
また、その印税で「100人村基金」を設立し、難民申請者の支援などにも取り組んでいる。
訳書に『夜と霧 新版』(みすず書房)『飛ぶ教室』『ふたりのロッテ』(ともに岩波書店)
『ソフィーの世界』(日本放送出版協会)などがある。世界平和アピール七人委員会メンバー
「安全地帯」から出てこなかったマスコミ
編集部  前回のインタビューでは、教育基本法「改正」案の問題点などについて詳しくお聞きしたわけですが、その改正案は、12月15日、参院本会議でも可決され、成立することになってしまいました。まず初めに、この採決に至る流れの中でお考えになったことをお聞かせいただけますか。
池田  強く感じたことはふたつあります。まず、伊吹文科大臣が、国会が民意だ、と再三答弁で言っていましたよね。
編集部  野党から、教育基本法の「改正」を急ぐことは民意を得ていないのではないか、といった質問が出たのに対する発言ですね。だから国会での決定はそのまま民意を反映しているのだ、という…。
池田  でも、今国会は郵政民営化の是非を問う選挙で選ばれたものです。教基法改定の是非ではなかった。いっぽう、教基法を今国会で変えることに賛成という人は、どんな世論調査でも3分の1にも満たなかった。ここに、すり替えという嘘があります。
 もうひとつは、マスメディアです。今になって教基法改定批判をぶちあげていますが、まさに喧嘩過ぎての棒ちぎり、今ごろ大見得を切ってもしかたない。あ、しかたないとわかっているから、安心してやっているのか(笑)。
編集部  たしかに、そんなふうにも疑えるほど「今ごろになって」と思える報道が目立ちました。
池田  今さらなにを言っても、総体としてマスメディアは安全地帯から出てこなかったな、という印象を決定づけることにしかならないのに。この記事が1週間早かったら、と思うものがいくつもあります。この、タイミングをずらすというまやかしも、嘘の一種でしょうね。マスメディアは、真の民意を受けて、自信と誇りをもってもっと早くから報道してほしかった。
 もちろん、いい報道もありましたが。今回の教基法改定は、私にとってはジャーナリストあるいはメディアを選別していく機会でもありました。
編集部  よくわかります。改憲の問題をめぐる報道についても、同じことが言えるのかもしれません。
憲法は「わたしたちのせりふ」
編集部  さて、憲法についてもお話を伺っていきたいのですが、池田さんは4年前に、政治学者のダグラス・ラミスさんとの共著で『やさしいことばで日本国憲法』(マガジンハウス)という本を出版されていますね。これは、憲法制定の過程で生まれた英文憲法と日本語の現行憲法、その双方からの意訳という形をとっていますが、訳す中で苦労した点や、発見したことなどがあればお聞かせいただけますか。
池田  意訳というか、ラミスさんの言い方を借りると、ときほぐす、噛み砕くということだったと思います。とっつきにくい法律のことばを突き崩し、掘り下げて、そこにわたしたちの暮らしにとって大切な宝物を発見していった、ということでしょうか。
 その中では、いろんな発見がありましたが、なんと言っても前文の書き出しですね。わたしたちが知っている正文憲法では「日本国民は」となっていますが、英文憲法では「We, the Japanese people」、「わたしたち日本の人びとは」です。正文憲法前文にも「われら」という印象深いことばが何度か出てきますが、だったら最初も「われら日本国民は」とやってほしかった。そうすれば、憲法はわたしたちのせりふなんだということがよりはっきりしましたから。

編集部  この本の制作の過程では、日本国憲法の成立過程などについてもかなり研究されたそうですね。その中で、何か印象的だったことはありますか。
池田  よく「現憲法は押しつけ憲法」ということが言われますが、「押しつけ」と言うとき、誰がそう受けとめたかということが重要だと思いました。
 たしかに、憲法ができたときに「押しつけられた」と思った人はいました。それは、戦中から権力中枢にいた人びとです。わたしたちのようなふつうの市民は「押しつけられた」とは受けとめていなかったのです。「戦争放棄? 当たり前でしょ、戦争なんてもうこりごりですよ」という受け止め方でした。けっこう冷たい感じだったんですよね、熱狂的に歓迎したというよりは(笑)。

編集部  たしかに、「押しつけられたなんて当時の市民は思っていなかった」というお話はたくさんの方からお聞きしますね。「押しつけの憲法だから変えるべき」という主張が、いかに説得力のないものか、ということだと思います。
池田  それに、憲法の中身は押しつけじゃないでしょ? マッカーサーの3条件に従ってGHQ内で原案が作られた、というのが通説のようだけど、マッカーサーの3条件と現憲法はかなり違うし、だいいち原案作成グループは日本の民間グループの憲法案を元にしたからこそ、短時間でたたき台ができたわけです。その「憲法研究会」は、明治・大正の、このくにの民主主義思想の成果を憲法案にふんだんにとりいれている。とくに明治の自由民権運動のリーダー、植木枝盛のものを。
  だから、憲法の中身は、わたしたちの思想、私たちの民主主義の歴史の本流に位置するものです。

知って、嘘まやかしに騙されずに判断しよう
編集部  そのほかにも、前回お話に出た『11の約束』や『戦争のつくりかた』(マガジンハウス)など、ここ数年、憲法や平和をテーマとした本の出版に相次いで関わられていますね。
池田  そうですね。憲法、有事法、教基法と、法律を暮らしのことばに置きかえて絵本にするということが続いています。わたし自身が法律に弱いから、分かる人たちに教えてもらって、自分に分かることばにしているという感じです。

編集部  こうした本の出版を通じて、読者に一番お伝えになりたかったのはどういうことですか?
池田  「知ろう」ということです。知っていれば、嘘に騙される気遣いが減るでしょう。騙されずに、一人ひとりが判断しましょうということに尽きます。

編集部  『100人村』も含め、どの本も、小さな子どもや若者にも読みやすい内容になっているのには、そういった意味合いもあるのでしょうか。
池田  子どものみなさんに読んでほしい、自分の頭で考えて、自分の意見を持ち、それをどんどん外に出してほしいという思いはあります。子どものみなさんのほうが、おとなのわたしよりも長いことこの世とおつきあいしていかなければなりませんから(笑)。
 だけど、なによりわたしの頭で理解できる形、頭だけでなく、感覚でも受けとめられる形にしてみたかった、という思いが強いですね。

編集部  なるほど。ちなみに、池田さんご自身は、憲法に対する意識や考えについて、こうした本の制作に関わられる前と後で、何か変化はありましたか?
池田  出版前後ではあまり変化はありませんが、むしろ今国会以後、腹がすわったというか。国連決議どころか、他国――って、アメリカでしょうけど――との連携上必要とされれば自衛隊が海外に行けるようになってしまった以上、9条がますます貴重なものになってきた。やや刺激的な言い方になりますが、「国益」や「国際協力」の観点からではなく、憲法に照らして参戦すべきかどうかが議論できる、そういう国のあり方は譲れないと思います。

編集部  「憲法があるから戦争には参加できない」、日本がそう言える国であり続けられるかどうか、ということですね。そのためにも、その9条をなくそうという動きに対して、反対の声をあげていくことが、ますます重要になっていくと思いますが…。
池田  その前に、教基法の改定を受けて、これから教基法の下位法、学校教育法など大量の法律が手直しされていきます。それを、気を緩めることなく注視していきたい。しろうとにはしんどいことだけど、法律のことが理解できる方がたはじゃんじゃん情報を発信してほしい。私たちもがんばって食らいついて、悪い方向を少しでも食い止めなければと思っています。

編集部  来年には参院選もありますし、ここもまた踏ん張りどころですね。
池田  そうですね。それに向けて、教基法の改定が、やり方をふくめてあれでよかったのかということについて、まさに「民意」を示す機会なんだということを、多くの方がたと話しあっていきたい。私たちは忘れっぽいので、それを利用しようとする働きかけがなされるでしょうから。忘れさせるというのも、嘘まやかしの一種です。とにかく、教基法のことは終わってはいないのだと言いたいですね。なんか、政治家みたい(苦笑)。

人間は、悪をなすことも、善を選び取ることもできる
編集部  最後に、池田さんが2002年に「新訳」を担当して出版された、世界的なロングセラー『夜と霧』(ヴィクトール・E・フランクル著、みすず書房)についてお伺いしたいと思います。
 これは、ナチスの強制収容所を体験したユダヤ人心理学者による記録ですが、現代に生きる私たちは、この作品からどういったことを学び取るべきだとお考えですか。
池田  私たち、って一般化はできないけど、私に限って言えば、人の命には限りがあり、人の人生は時として大きななにかに押しつぶされてしまうこともあるけれど、思想は死なないということです。そしてそれが幸運にも記録され、伝われば、私たちの勇気を後押ししてくれます。ときには現実も変えます。植木枝盛のすぐれた民主主義の思想が、明治憲法には受け入れられなかったけど、わたしたちの憲法の土台になったように。
 だから、思想なんて大それたことではなくても、私たちのどんなささやかな思いも行いも、きっと死なない、いつかどこかで誰かの背中を、思いもよらなかったやり方でそっと後押しするのだと思います。現に私たちが生きているのも、こうしたおびただしいささやかな思いに勇気づけられているからでしょう? だから私は、しおたれている人の気が知れない(笑)。

編集部  あと、特にこの本の中で印象的だったのが、「わたしたちは、おそらくこれまでどの時代の人間も知らなかった「人間」を知った。では、この人間とはなにものか。人間とは、人間とはなにかをつねに決定する存在だ。人間とは、ガス室を発明した存在だ。しかし同時に、ガス室に入っても毅然として祈りのことばを口にする存在でもあるのだ」という言葉でした。
 これは、心理学者である著者が、収容所という極限状態を体験する中で「人間」を観察する中でたどりついた考えですが、核兵器をつくり出して原爆を投下したのも人間であり、同時に平和を希求して国連をつくり、日本の憲法9条をつくったのも人間である、という事実にもつながるのではないかと思いました。
池田  おお! ほんとにそうですね。人間とは、そのように、悪をなすこともできれば、善を選び取ることもできる存在なのだと思います。
 せっかく人が選び取った善なるものを手放すのはもったいない。その善なるものがどんなにぼろぼろにされようが、なにがなんでも手放すことだけはしないという、がんこ者のひとりであり続けたいし、そういうがんこ者が増えることを願っています。
悪をなすのか、善をなすのか、選び取るのもまた人間自身。
長年にわたって読み継がれてきた名著の言葉を、 胸に深く刻み込みたいと思います。
池田さん、ありがとうございました。
  
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