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2012-04-25up
肥田舜太郎さん「内部被曝を乗りこえて生きるために」
ひだ・しゅんたろう
1917年広島生まれ。1944年陸軍軍医学校を卒業、軍医少尉として広島陸軍病院に赴任。1945年広島にて被爆。直後より被爆者の救援と治療にあたる。全日本民医連理事、埼玉民医連会長、埼玉協同病院院長、日本被団協原爆被害者中央相談所理事長などを歴任。2009年に医療活動から引退後も、執筆、講演活動を続けている。著書に『ヒロシマを生きのびて』(あけび書房)、『内部被曝の脅威』(鎌仲ひとみと共著、ちくま新書)、『内部被曝』(扶桑社新書)。訳書に『死にすぎた赤ん坊—低レベル放射線の恐怖』(アーネスト・J・スターングラス著、時事通信社)、『人間と環境への低レベル放射能の脅威—福島原発放射能汚染を考えるために』(ラルフ・グロイブ、アーネスト・J・スターングラス著/竹野内真理と共訳)など多数。
被爆医師として96歳の現在まで活躍中の肥田舜太郎さんには、6年前の2006年の8月「この人に聞きたい」に登場いただいております。(ヒロシマ・ナガサキ」だけでは、核抑止論を乗り越えられない/ 今も世界中で、生み出され続けるヒバクシャたち)
原爆や劣化ウラン弾など核兵器だけでなく、原発もまた同じ核であり放射線によるヒバクは同じ。そして敵も味方もなくヒバクシャを生み出す内部被曝の恐ろしさについて、繰り返しおっしゃっていました。福島原発の事故が起こった時、まっさきに頭に浮かんだのは、肥田さんがこの事態をどう見ているかということでした。
現在公開中のドキュメンタリー映画『核の傷 肥田舜太郎医師と内部被曝』に合わせて、再びお話を聞きました。
隠され続けてきた被爆と被曝の被害
世界各地をまわっての講演や原爆訴訟での証言など、先生はずっとこれまで「核」の脅威について警鐘をならし続けてきました。そのお立場から今回起きてしまった福島の事故についてどのようにお考えですか?
広島を経験した医者として、ああ、怖れていたことがついに起こってしまう、と思いました。放射線によってすぐに何万人が死ぬということではありませんが、子どもも大人も放射線を出す物質が身体の中に入ったわけですから、これから何十年に渡っていろいろな病気が出てくるだろうということです。事故後1年から、集中して出てくるのは3年から5年ほど経た頃だろうと考えています。この私の計算は、広島や長崎の被爆者を診てきた経験によるものです。今回の原発事故で出てきた放射線は、原爆のものと同じですから、同じようなことが起きて不思議はないと思います。これから起きるべき事態に対して政府は慌てずに対応できるよう、医療体制をちゃんと作っておかなくてはなりません。そして医者も患者をちゃんと診療できる力をつけておかないといけません。慢性被曝の症状を前にして、何だかわかりません、というのでは広島や長崎の時と同じことになってしまう。原爆の被爆者はどこの病院に行っても「病気じゃありません」と言われ、それで理由もわからないまま、多くの人が苦しみまた死んでいったのですから。
原爆が投下された後の日本の医療現場や医学界というのは、どうだったのでしょうか? 原爆の放射能による健康被害について研究しようという機運は盛り上がらなかったのでしょうか?
放射能に関する調査も研究も、アメリカの軍事機密といわれて、禁止されていました。当時は占領軍が支配していましたからね。背いたら「厳重に罰す」とされていました。それでも調べるんだという気概を持った医者はいたけれど、みんなクビになりましたね。7年間占領が続き終った後は、講和条約と日米安保条約が結ばれ、日本はアメリカの「核の傘」によって守られることになりました。それによって今度は、日本政府が「核政策」に関係する都合の悪いことを、徹底的に隠すことを始めます。ですから日本は世界で唯一の被爆国ですが、原爆の放射線による健康被害のデータも持っていなければ、医療の研究もまったく進んでいないのです。
ドキュメンタリー映画『核の傷』にもそのあたりの話が詳しく出ていましたね。アメリカと日本が原爆の死亡者数を隠し続けてきたことや、アメリカのABCC(原爆傷害調査委員会)は、原爆被害の様々なデータを膨大に採り続けてきたにもかかわらず、納得のいく検証は出されていないと。
病気との因果関係がないと言われ続けてきた放射線
データもないし臨床経験もないわけですから、今の日本の医者には被曝症状がどういうものかは、全然わからないと思います。それに治療法については、私にもわかりません。たぶん、今の医学界のトップにいる人だってわかっていないでしょう。ただし、最近になって海外では新しい研究論文が出てきています。
チェルノブイリ原発事故は、26年前のことですが、汚染された地域に住民が戻ってきているので、また新しい被曝者が出ています。そしてロシアになって新しい政府の体制になったこともあり、ロシアの若い医者たちが研究に取り組んでいると聞きました。ユーリ・I・バンダジェフスキーの論文で、日本語に訳されたものを読みましたが、それによるとセシウム137が心筋細胞に一定濃度以上蓄積されると突然の心筋梗塞に繋がることがあると書かれていました。昨年5月と今年の1月に、福島第一原発の事故処理で働いていた作業員が、急性心筋梗塞で亡くなりましたが、この論文を読んで、彼らの死因は被曝の可能性があると思いました。そういうことが少しずつわかってはきています。
でも日本では、これらの作業員の死亡について、「放射線との因果関係はない」と発表されていましたね。おそらく以前からも今も、放射線と病気との因果関係がわからないから放射線が原因とは認められない、というのはよく言われていることです。例えばそれは、どのぐらいのデータがあれば学問的にも立証されるものなのでしょうか?
例えば、私が当時からずっと診てきた被爆者、結局6000人ほど診てきたわけですが、そのうちの1000人でも細かくカルテを書き残していれば、また違ったと思います。広島で直接原爆を受けたのか、入市被曝なのか、家族がヒバクしたのか、どんな症状がいつ出たのか、いつ病気になったのか、亡くなった時はどういう状態だったか・・・などなど。このような詳細な記録が1000人分でもあったら日本の医学会の対応もまた違ったかもしれません。しかし私はそのデータを持ってはいません。カルテを書く時間が無かったからです。目の前で次々と死んで行く人を助けるため、あちこち走りまわっていたのと、そういう仕事は私のような町医者がやるのではなく、大学病院の専門機関にいるような人がやるものだとも思っていました。でもさっき述べたような事情で、カルテを作って保管している医者というのは、おそらく一人もいないのです。
一人もいない?
私は聞いたことがありません。町医者にだって外圧はありましたからね。医師会からもありましたよ。ヒバク患者のことは、診てもいいけれど、あんまり熱心にはやるな、と言われましたね。でも次から次へと私のところへくる患者を前にして「事情があるから診られません」とは私は言えませんでした。
被曝のリスクはあっても
免疫力を上げて病気を発症させない
福島原発の事故後、肥田先生は毎週土日、講演会などでお話をされているそうですね。
みなさんの反応がこれまでと事情が違うのは、自分や子どもの命に関係することですからね。特に我が子の命に関わることですから、お母さんたちはもう真剣です。事故の直後、放射線を避けるために、まず遠くに逃げろ、と言われた。その後、汚染された食べ物はなるべく食べるな、ということも言われた。でもその後は、国も行政も放ったらかしの状態です。親御さんたちの不安とストレスは頂点に達したと思います。
個人の力では、避難したくてもできる人とできない人が出てきますからね。みんなができないことは、私は言いたくはないのです。でもそこで「じゃ、肥田先生はどうしたらいいと思いますか?」と聞かれた時、果たしてなんて答えたらいいのだろうかと、ずいぶんと悩みました。
私は、原爆被爆者の集団に入って数十年に渡って活動をしてきましたが、そこでやってきたことを思い返していきました。二十何万人の会員がいるうち、医者は私一人です。だからみんなからは、「健康で長生きするにはどうしたらいいのか?」ということをいつも聞かれていました。
だいたいみんな中年になってくると、成人病が出てくる。それを僕にどうしたらいいのか? と聞いてくるのだけれど、それは本人が自分の命を引き延ばすという覚悟を持って、そういう生き方をしないとダメだよ、とまずは言いました。
かつて人間の祖先である生物は、海の中に住んでいました。それが何かのはずみに陸に上がり、何億年もかけて、大気中にあった紫外線や放射能に対しての免疫力をつけて生き延びてきたわけです。その時、どのような行動をとっていたのか。それは太陽と共に生きるということ。日の出と共に目覚め、日の入りと共に眠る。それを今の私たちの生活にそっくり置き換えることはできないけれど、夜遅くまで酒を飲み歩き、睡眠不足なまま起き、時間がないからと朝食もとらず、駆け足で電車に飛び乗って会社に行く。これでは毎朝自殺行為を繰り返しているようなものです。
そんなことで本当に病気にならないで長生きできるの? という人には、「では私をみなさい。あなたよりもずいぶん年を取っているけれど、明日死ぬとは見えないでしょう?」。当時はまだ私も70歳でしたから。そういうことを言いながら、被爆者を長生きさせる運動を「生活改善」を説きながら行ってきたのです。
それを思い出したら、今、被曝した人間が子どもも含めて、自分の意志でやれることは、これしかないと思ったのです。実際、私の長年の経験に基づいてやってきたことです。私自身もそうですが、被爆者という悪条件のもと96歳まで生きてきましたし、広島の被爆者も70~80歳まで生きのびて、今も元気な方はたくさんいらっしゃいます。ヒバクしたからといって、みんなが病気になって早死にするわけではありません。
放射線によるリスクは負ってしまったけれど、それに負けない強いからだを作る、ということですね?
そうです。放射線による影響を受けながらも、病気を発症させなければいいのです。自己免疫力を上げて病気にしなければいいのです。本人が努力をすることでできることなのです。
その具体的な方法が、「3・11以降を生きるための7箇条」(*)ですね。
(*)1)内部被曝は避けられないと腹を決める 2)生まれ持った免疫力を保つ努力をする 3)いちばん大事なのは早寝早起き 4)毎日3回、規則正しく食事をする 5)腸から栄養が吸収されるよう、よく噛んで食べる 6)身体に悪いといわれている事はやらない 7)あなたの命は世界でたったひとつの大事な命。自分を大切にして生きる
(「311以降を生きるためのハンドブック」制作:アップリンクより)
かけがえのないあなたの命は、
あなたにしか守れません
講演会などでみなさんが、私に必ず聞くのは何を食べたらいいのか? ということですが、明らかに大量の放射線を浴びているもの、測ったところベクレル数が高いもの、これは食べない方がいい。だけれども一般的に、じゃがいもとさつまいもとどちらが、いいか、というのはまったくありません。大事なのは、食べ方です。ゆっくり食べる。楽しんで食べる。これが大事です。
敵に襲われない安全な場所でゆっくりと食べる。これは大昔からの人間の楽しみです。食事は、心身を癒す大事な時間です。あんまり楽しいことのない今の中にあって、本当に貴重なことです。夫婦二人がせっかく揃ったのに、食卓で喧嘩をするというのは、一番悪い行為です。せめて1時間は、楽しく語らいながらゆったりと食事の時間を過ごす、それをおやりなさい。
よくわかりました。しかしどうしても気になるのは、今も線量の高い地域で生活を続けている子どもたちのことです。この先、子どもたちにどのような影響がもたらされるのか、とても心配です。
私は今回の事故が起こった後、早い時期から、政府や各政党や委員会に対して、小中学生の集団疎開をさせるように進言してきました。戦時中のように強制力をもってやる。これは国にしかできないことです。広島原爆を体験した一人の被爆医師として、政府だけでなく各省や各政党に何度も申し入れをしましたし、実際に会って話をした方もいます。実際にある役所においては乗り気になった担当の方もいました。しかし最終的にはどこも「子どもの集団疎開をさせるべき」という結論には至らなかったのです。
結局は内部被曝の怖さを誰もわかっていないから、こういうことになるのです。これから出てくる慢性的な被曝症状、病名のつけようのない様々な疾患について、甘くみているんだと思います。しかし私のような一人の医者が、いくら声をあげても国の方針を動かすことは無理です。
せめて、子どもたちの健康が心配で、不安で毎日イライラしながら生活を送っている親御さんたちの苦しみを取り除いてあげたい。だから若いお母さんたちにはまず「被曝をしたと覚悟をしなさい」と語っています。これから広島、長崎で起こったことと同じことが起こるかもしれない。しかし何が起こっても驚いたり慌てたりしてはいけません。あなたや子どもの健康を守れるのは、あなた自身しかいません。医者だってあてにはなりません。世界中探しても、あなたの細胞はあなただけしか持っていないものです。大事なかけがえのない命なのだから、他人任せにはしない。一番大事なことは、自分自身の価値に目覚めること。強い意志を持って乗り越えてください。そのように話しています。
覚悟を決めて腹をくくりつつ、未来に向けて生きていく、ということですね。
今の日本では内部被曝から逃げることはもうできないのですから、せめて未来の子どもたちのために、放射能の心配のない日本を残していけるよう、みんなで努力しましょうよ。原発は事故が起きなくても動いているだけで、放射能汚染はあります。処理のできない核のゴミもたまる一方です。だから原発は全部停めないと、廃炉にしないと終わりにはなりません。自分たちが汚してしまったこの日本を、きれいにして未来の子どもたちに渡すために、残りの人生を費やす。そんなふうに1億2千万人の日本人みんなが、この問題に向き合わなければならない、そう思っています。
(構成/塚田壽子)
ドキュメンタリー映画『核の傷 肥田舜太郎医師と内部被曝』(仏/2006)同時上映 『311以降を生きる 肥田舜太郎医師講演より』(日本/2012)が渋谷アップリンク他、全国で上映中。
広島原爆を経験し、6000人以上の被爆患者の診療を続け、内部被曝の恐ろしさと核廃絶を訴え続けてきた肥田医師だからこそ言える言葉があります。かけがえのない自分の命を守ることの大切さと、未来の命のために。私たちがこれから何をしなくてはならないのか、忘れることなく考え続けていきたいと思います。
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