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この人に聞きたい
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肥田舜太郎さんに聞いた

9条という言葉を使わずに、具体的に伝えよう
その2へ→
今年、大阪と広島で相次いで「原告勝訴」の判決が下された、
原爆症認定集団訴訟。
「画期的判決」といわれたその意義とはどこにあったのか。
自身の被爆体験を原点に、被爆者治療と核廃絶運動に関わり続けてきた
「被爆医師」肥田舜太郎さんにお聞きしました。
肥田舜太郎さん
ひだ・しゅんたろう
1917年広島生まれ。
1944年陸軍軍医学校を卒業、軍医少尉として広島陸軍病院に赴任。
1945年広島にて被爆。被爆者救援にあたる。全日本民医連理事、埼玉民医連会長などを歴任。
現在、全日本民医連顧問、日本被団協原爆被害者中央相談所理事長。
著書に『ヒロシマを生きのびて』(あけび書房)、
『内部被曝の脅威』(共著、ちくま新書)など。
「直接被爆でなければ原爆症はない」が国の主張だった
編集部 2006年5月、広島・長崎での被爆者の方々が被爆者援護法に基づく原爆症認定(注1)を求めた集団訴訟(注2)で、大阪地裁は原告全員を原爆症と認め、国が認定を却下したのは違法だとする判決を出しましたね。8月には広島でも同様の判決が出されています。
 肥田さんは、ご自身も28歳の時、軍医として広島に赴いていた際に被曝され、今日まで被爆者の治療に携わってこられた経験から、裁判に証人として参加しておられましたが、この判決の意義というのは、どういったところにあったのでしょうか。
肥田  画期的だったのは、原爆症と認定された原告のうち、大阪地裁では9人中3人、広島地裁では41人中2人が、原爆投下後に広島に入った、いわゆる入市被爆者だったということです。この人たちはこれまで、投下の瞬間に広島にいなかったということで、原爆症認定についてはまったく問題にもされていなかった。それが今回、初めて認められたんです。
 特に広島地裁の判決では、国がこれまで被爆を認定するのに使用していた物差し――DS86(爆心地からの距離で放射線の被ばく線量を推定する方式)を基にして「原因確率」をはじき出すのは、誘導放射線、放射性物質による内部被曝という大事な部分を考慮していないから、数字だけで「原爆症かそうでないか」を判断するのは間違いだということが断言された。あそこまではっきり言われると、厚生労働省も弁明のしようがない。控訴はしたけれど、勝つ見込みはないと思いますね。 
編集部 直接被爆以外による被害、特に肥田さんがご著書の中などでその恐ろしさを訴えておられる「内部被曝」について、もう少し詳しく教えていただけますか。
肥田  原爆の投下によって、大勢の人が全身やけどだらけで、人間とは思えないような状態になってむごたらしく死んだというのはもちろん事実です。しかし、それ自体はたとえば東京大空襲で10万人焼き殺されたというのと、特別変わりはない。原爆の大きな特徴というのは、放射線による被害なんです。

 原爆投下の瞬間、爆発と同時に放射された大量の放射線分子が、体外から人々の体を貫通しました。同時に、それによって地表の諸物質が放射性物質に変わり、そこからも放射線が発射されるようになった。誘導放射線と呼ばれるもので、爆発の瞬間はその場にいなかったのに、これによって被曝した人が大勢いるわけです。
 また、そうした体外からの放射線による被曝だけではなく、爆発で散らばった放射線分子が塵や土、水などに混じり、呼吸や飲食を通じて人の体に取り込まれてしまうことがあります。体内に入った放射性物質は、消えずにずっと放射線を出し続けて、長い時間をかけて人の細胞をじわじわ破壊してゆく。これが内部被曝と呼ばれるものです。 
編集部 しかし、そうした被害はこれまで認められてこなかったのですね。
肥田  そのとおりです。放射線の被害があるのは直爆を受けた人だけで、それ以外は「根拠のないデマ」だというのが向こうの一貫した主張でした。今回の裁判は、それが覆されたことに大きな意味があるんです。

注1)被爆者援護法による原爆症認定
1994年に制定された「被爆者援護法」では、被爆者援護法は「原子爆弾の傷害作用に起因して負傷し、または疾病にかかり、現に医療を要する状態にある被爆者に必要な医療の給付を行う」と規定している。国から「原爆症」と認定されると、月額約14万円の医療特別手当が支給される。

注2)原爆症認定集団訴訟
被爆者援護法による原爆症の認定申請を却下された全国の被爆者が2003年4月以降、処分の取り消しなどを求めて提訴。原告は現在、15地裁1高裁で計183人。

「隠されてきた」放射能被害
編集部 それにしても、この「画期的な判決」が出たのが、原爆投下から61年も経ってからだったというのは、どうしてだったのですか?
肥田   一つは、まず訴える人自体が少なかったということ。もちろん被爆者援護法ができたときはみんな申請したけれど、その中で認められたのはたった0.7%。ほとんどが駄目だったわけです。それで、相手は政府だし、みんなあきらめてしまっていた。
 でも、あきらめてずっと来たけれど、今、被爆者のほとんどはもう80歳前後になっています。そこで、もうじき自分は死んでいくけれど、その前に自分の体をこんなふうにしたのは原爆なんだということをどうしても公に認めさせたいと考えたんですね。彼らは被曝する前は、健康優良児だったんです。それなのにあの日を境に、原因不明のだるさに悩まされ、白血病、肝炎、癌など、次々と重い病気にかかっていったわけですから。でも訴訟は、ひとりでは無理だからみんなでやろうと、集団訴訟に踏み切ったんです。
 もう一つは、放射能による被害が「隠されてきた」ことですね。 
編集部 隠されてきた?
肥田  そうです。そもそも原爆投下前に、アメリカはプルトニウムを人体に静脈注射するという実験をちゃんとやっているんですね。だから、原爆投下後に長い時間をかけて被爆者が病気になって死んでいくなんていうことは、学者たちはみんな予想していた。でも、そんな事実が明らかになったら、当時でもすぐに欧州などから「非人道的だ」と反対運動が起こりますから、なんとしても隠したかったんですね。

 そこで、終戦直後にマッカーサーが厚木へやってきて、日本の占領に関する初期方針を発表したけれど、実はここには、広島・長崎の原爆による被害の内容について、「米軍の軍事機密であるから、一切書いたり話したりしてはいけない。違反した者は重罪に処す」という内容が含まれていた。ずるいのか利口なのか、すべて口頭で発表・伝達されたから、文書の形では残っていないんですが…。それで、被爆者たちもみんな黙ってしまった。

 さらに、原爆投下から1カ月ほど経った9月8日、マンハッタン計画の副責任者だったファーレルが来日して、外国人記者相手に記者会見をやったんですね。このとき、実はファーレル本人はまだ広島にも長崎にも一度も行っていなかったんですが、「原子爆弾は日本に大きな被害を与えたが、死ぬべき者はもうみんな死んでしまい、本日ただいまの時点では、病気で苦しんでいる者は誰もいない」という公式発表がなされた。これが世界中に流れたんです。 
編集部 実際にはそのころ、肥田さんは治療にあたる中で、原爆症で亡くなられていく方をたくさん見られていたわけですよね。
肥田 火傷も切り傷も負っていないのに、発熱し、紫斑が出て、大量に血を吐き死んでいく人が後を絶ちませんでした。そのときはまだ、その人たちが何で死んでいくのかもわからなくて。混乱の只中にいましたよ。それなのに、本当に嘘ばっかりの報告だったんです。
 さらに、それから23年目――23年目ですよ――の1968年に、アメリカ政府と日本政府が合同で、国連に「広島、長崎の原子爆弾の被害について」という報告書を出しました。この中には、ファーレルが言ったのとまったく同じことが、そのまま書かれていたんです。「現在、原爆症で苦しんでいる被爆者は一人もいない」と。
編集部 23年も経ってまだ、そうした報告がされていたわけですか。でも、肥田さんがずっと訴えてこられたように、少なくとも日本では「今も苦しんでいる被爆者がいる」ことは、最近ではある程度は知られるようになっていたのでは? それなのに、本当に今の今まで、入市被曝者などに原爆症認定がなかったというのが、少し意外な気がするのですが。
肥田 たしかに、今回の裁判でも、国の側に立った医者や科学者はほとんどいませんでした。大部分の人は、原告の主張は正しいと感じている。しかし、だからといって原告側についてくれるかというとそれはない。「証拠がない」からです。
 僕は今まで6000人の原爆症患者を診てきましたが、そのうち4000人は直爆を受けていない被曝者でした。でも、それは説得力はあっても学問上の「証拠」にはならないんです。たとえば、僕が今まで診てきた被爆者全員のカルテをとってあって、被曝と症例との関連性を統計学的に証明できるとか、ガンが放射能の影響であることを実験で証明できたとか、そういう学問のルールにのっとった形で証明されていないと。

 今回、僕はあえてそれを破って証人に立ったわけですが、それはなぜかと言えば、実際に「見てきた」からなんです。ひとりやふたりではなく、6000人診察したうちの4000人が後から入ってきた人で、その人たちに共通の症例がある以上、「原爆と関連性がない」とは僕は言えない、と。だから、理論ではなくただ自分の見てきた事実を証言したんです。裁判官は、それを採用してくれたわけですね。
放射線の恐ろしさの本質を伝える必要性
編集部 肥田さんは戦後61年間、そうして一貫して核の恐ろしさを訴えられてきたわけですが、残念ながら現在も、世界から核兵器はなくならないまま、むしろ拡大しつつあります。
肥田 核兵器をつくる産業というのは、民間だけではなく国の政府が投資して初めて成り立つ巨大産業なんですね。裾野にさまざまな産業があって、そのピラミッドの頂点に核兵器産業があるという構図だから、つくる側はよほど決定的なことがない限りは絶対にやめないし、やめられない。要するに、金儲けなんです。
編集部 「核兵器を所有していることが戦争を抑止する」とする、「核抑止論」の考え方も、だからこそ広げられていったのでしょうか。
肥田 そう思います。核抑止論は、核兵器廃絶の一番の敵ですよ。世界を歩くと、その考え方が非常に根強いことを感じさせられるし、被爆国である日本においてもよく語られています。

 僕は、こうした考え方を乗り越えていくには、広島や長崎で原爆が落ちたときの怖さだけをいくら語っても駄目だと思っています。それだけでは、核兵器は一度に大量に人を殺す効率的な大量破壊兵器である、といった認識になり、「実際には使わないから大丈夫だ」という核抑止論者の考えを否定できないから。

 そうではなく、直接的に原爆に遭わなくても、じわじわと時間をかけて、けれど確実に人を殺してゆくという、放射線の恐ろしさの本質をわかってもらうこと、そして、実は今でも世界中で毎日のように「ヒバクシャ」が生み出されているという事実を伝えていくこと。それが、これからの核兵器廃絶を訴える上での鍵になるのではないかと考えています。核兵器は落とされた人や国だけが被害を受けるわけではなく、保有国、加害国の人も被害を受けるのですから。
その2に続きます
「ヒバクシャ」は、今この瞬間にも、世界中で生み出されている。
次回、その事実について詳しくお聞かせいただきます。
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