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バン・チュンイ/作家・映画監督
1958年中国遼寧省撫順市生まれ。
82年黒竜江大学日本語学部卒業。92年中国残留日本婦人の人生を描いた、『曾おばさんの海』で第7回朝日ジャーナルノンフィクション大賞受賞。96年『近くて遠い祖国』ゆまに書房出版。
2000年ドキュメンタリー映画『チョンおばさんのクニ』が日本や台湾で上映。2005年日中戦争の旧日本軍による性暴力被害者についての調査を『蓋山西(ガイサンシー)とその姉妹たち』というドキュメンタリー映画にまとめ、中国、香港で上映。2006年9月には書籍『ガイサンシー《蓋山西》とその姉妹たち』(梨の木舎)を出版。 |
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編集部 |
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最初に、最近の日中関係や中国の現状についてお聞きしたいと思います。2006年8月15日に小泉首相(当時)が靖国神社に参拝しましたが、中国では前年のような反日デモは起こりませんでした。今回、中国が冷静な対応をしたのはなぜだと思いますか。 |
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班 |
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あのときは、中国政府が(デモが起こらないよう)いろいろな措置をとったからでしょう。運動のリーダーたちは監視されていたと思います。前回のデモではインターネットが重要な役割を果たしましたが、いまではインターネットカフェも登録しないと入れなくなっています。
政府が冷静さを保ったのは、政権維持の色合いが濃い。治安の乱れは政権の不安定につながりますから。いまの中国を建物にたとえれば、すべての柱がぐらぐらしている。そのうちの一本が反日デモによって折れてしまったら、建物自体が崩壊してしまう。そういった状況にあるのではないでしょうか。 |
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編集部 |
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国内問題を考慮して冷静さを保ったということですね。 |
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班 |
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中国五千年の歴史は、外部の民族と戦うために、自民族をまとめ、押さえつけてきた歴史といえます。中国の権力者が常に願っているのは「国としての統一」です。そして、中国の歴史は戦争による「結束」と「分断」の繰り返しでした。どうしてこうした悪循環が生じるかというと、中国の王政における権力者が国内問題を解決しようとするときに、外部の勢力(外国)と妥協したからです。
ただ、宮崎滔天(みやざきとうてん。明治3〔1871〕年〜大正11〔1922〕年。中国で辛亥革命を起こした孫文らを日本で支援した日本の革命家)は(日本ではあまり有名ではありませんが)私の好きな歴史上の人物の1人です。彼は中国の民主化を助けようとした人ですから。他方、同じく中国に関わったといっても、関東軍などはナショナリズムの鎧をつけて、中国人を騙したといえます。
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編集部 |
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日本のメディアや評論家は中国の愛国主義を批判しますが、中国国民をひとつにまとめる「愛国心」とはどういうものなのですか。 |
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班 |
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日本でも最近政府から、「愛国心」という言葉が押しつけられ始めているようですが、それは、自然に育まれた郷土愛のようなものとはまったく異質なものでしょう。
これも一つの日本人の愛国心だと思いますが、たとえば外国で日本人同士が会うと、自然に連帯感が生まれますね。いわゆる「あうんの呼吸」でわかりあえることもある。
でも、中国人は違います。異国で会ったからといって、すぐ互いに信用し合うことはありません。
愛国心といっても、多民族が暮らしている中国と、同質的な社会の日本では全然違うのです。中国では言葉も地方によって通じないことが当たり前ですから、自分たちの血族や集落を守るという意識はあっても、「中国人とは○○だ」と一言では言えない。中国人の愛国運動は政治的なスローガンに過ぎないのです。 |
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編集部 |
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国内で連帯感や和を大事にする習慣が身に付いているためか、日本人は国際社会でイエス、ノーをはっきり表明するのが苦手なのかもしれませんね。 |
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班 |
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日本人は何かを判断しようとする際に、―ムラ社会的に―周りを見てから行動しますよね。「みんなはどう考えているのかな」と横を見るのです。中国人は、イエス、ノーを答えるときには上をみる。「お上は何を考えているのか」と考える。中国人には「自分の人生はお上が決める」という意識があるからです。 |
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編集部 |
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話を聞いていると、中国の愛国運動や共産主義体制は、その思想の内容よりもまず、民族的に多様な人々をひとつの国家にまとめるための装置として機能しているようにも思えるのですが・・・。 |
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班 |
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新疆ウイグル自治区のウイグル人も「中国人」、チベット自治区のチベット人も「中国人」。雲南省や広東省で方言を話されたら、私にはわかりません。中国はひとつの国家というよりも、多民族による合州国のようなかたちになればいいと思いますが、現在は漢族という多数派民族によって主導された国といえるでしょう。
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編集部 |
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班さん自身は中国の現状をどう見ていますか。 |
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班 |
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中国は民主化するしかない。それが早ければ被害は小さいし、遅くなればなるほど後のツケは大きくなる。1989年に民主化を求める学生運動が力で抑えられてからすで15年以上が経っています。後遺症としては、中国人の貧富の格差が拡がりました。平等に経済競争を行う現代社会をつくるべきなのに、権力者側に有利な環境をつくってしまいました。そのうえ、言論統制のもとに、こういった経済運営過程に生じた不正を十分に監視できなかったのだと思います。 |
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編集部 |
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日本のオピニオン雑誌では今、中国を批判する特集を組むとたくさん売れるといいます。内容は中国の体制批判なのですが、急速な経済発展を続け、国際社会においても影響力を増していく中国に対するジェラシーも感じられます。 |
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班 |
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ただ、いまの中国は頭がまだ小さいのに、身体ばかり大きくなっている状態です。物質的な豊かさに偏っている。それに対する反発は日本だけでなく、東南アジアの人々も抱いているはずです。中国という国の頭と身体のバランスがよくなれば、アジアの近隣諸国の対中感情もよくなるのではないでしょうか。
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編集部 |
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近年、中国とアメリカは、経済面でも政治面でも、急速に接近しているように見えますが、中国人のアメリカに対する感情はどうですか。 |
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班 |
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民主化を求める中国の知識人は「アメリカなら自分たちを支持してくれるだろう」と思っています。たとえば、中国の知識人が率直な発言ゆえに当局に拘束されたら、アメリカでは何らかの機関が抗議してくれるでしょう。でも、日本ではこうしたときに腰が引けるのではないか、と言うんですね。そして、中国人がどちらに敬意を抱くかといえば、自分の意見をはっきり表明するアメリカに対してなのです。
例えば、例の事件後、欧米諸国は運動参加者に銃を向けるという対応を厳しく批判しました。一方、日本の海部総理(当時)は、ほどなくして中国への支援を再開しました。学生運動に同情した人々には、「日本には理念がなく、中国人が不幸になっているときにやってきて、利益をもっていってしまう」ように映りました。
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編集部 |
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6カ国協議でも米中が中心となって解決の道を探っているように見えますが、北朝鮮の現状についてはどう見ていますか。 |
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班 |
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北朝鮮は本当におかしな状態になっていると思います。だからといって、「北朝鮮はけしからん」というのは、ちょっと待ってほしい。というのも、悪いのは金正日率いる北朝鮮の政府であって、国民ではないからです。日本人は、政府と国民を一体化して見ようとする傾向が強いようですが、それは危険です。
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編集部 |
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さて、今回の班さんの最新作『蓋山西とその姉妹たち』を見て、日本人と中国人の間にある歴史認識の深い溝を痛感せざるをえませんでした。この映画は、日本軍兵士によって強制連行され、慰安婦として心身ぼろぼろになるまで辱めを受けた山西省のある村に住む蓋山西(ガイサンシー=山西省一の美人という意味)こと侯冬娥(こうとうが)さん、彼女を姉のように慕った慰安婦の女性、そして彼女たちの家族や友人、知人へのインタビューを中心に構成されています。作品のなかでは元日本軍人の証言もありますが、彼らに罪の意識、あるいは当事者意識が感じられないことが気になりました。上官の命令として輪姦に加わってしまい、いまも当時の記憶に苛まれている近藤さんという例外的な人もいますが、連日性暴力を受けて、一生を台無しにされた女性たちの深い絶望感とはあまりに対照的です。こうした溝の一番の原因は何だと思いますか?
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班 |
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やはり、差別意識だと思います。当時の中国人は「チャンコロ」と呼ばれ、犬か豚のような扱いを受けました。日本人は相手(中国人)を人間じゃないと思っていたから、殺したり、性暴力を加えたりすることができたのでしょう。
たとえば、近藤さんは、山西省に駐屯した部隊の第2中隊に所属していたのですが、同じ部隊の第1中隊は勇敢だと軍の上層部から褒められたそうです。多くの中国人を殺したからです。しかも、第1中隊の中隊長は「中国人を銃弾で殺すのは(弾が)もったいない。だから石で殴りつけて殺した」と言っていたといいます。彼には「自分が悪いことをしている」という自覚がなかったのです。
また、河北省に駐屯していたある旧軍人は戦後、中国残留日本婦人の帰国のために私財をなげうち、厚生省(当時)にまで乗り込んで彼女たちの帰国を働きかけた人ですが、彼は「日本軍人の名誉を守る」意識が強く、旧日本軍兵士が中国人女性をレイプしたことを信じようとはしません。「彼女(中国人女性)たちはみんな売春婦だったんだ」と思っているのです。
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編集部 |
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たしかに・・・普段はいいおじさんなのに、戦争の話になると、得意そうに当事の蛮勇を語る人がいます。 |
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班 |
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これは日本的な男尊女卑の風潮からきている部分もあるのかもしれません。女性の痛みに想像力が働かないというか。当時のことを反省している近藤さんも、自分に娘が生れて初めてそれ(性暴力)への罪を自覚したといいます。
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編集部 |
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班さんの撮られたこれまでの作品を見ると、班さんには「国家」という枠組みを超えた思考が身についているように思えます。それは班さんの帰属意識の薄さからくるのでしょうか? |
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班 |
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薄いと言うよりも、あるとき「帰属意識が強いことは危険なのではないか」と感じたのです。国の立場、民族の立場から離れて、1人の人間として歴史を見なければならないと思うようになったからです。
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編集部 |
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そのきっかけは何だったのですか。 |
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班 |
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私が中国の大学に入学した翌1979年、中越紛争が勃発しました。中国政府はその紛争を「対越自衛反撃戦」と呼び、大学生の私は、中国軍がベトナムへ進軍するニュースを熱狂して聞いていました。「いままで中国はベトナムを物資面で援助してきたのに、ベトナムは恩知らずだ。ベトナム人は殺せ!」と。私は「敵が多く死ねば死ぬほど喜ぶ」ような学生だったのです。
その後、私が日本に留学して3年後、東京の東海寺というお寺の奨学生になったとき、そこに住んでいたベトナムの難民と起居をともにすることになりました。彼は自国でも優秀で、大学にもトップで合格する青年でした。でも、父親が旧南ベトナム政権に近い人だったことから大学入学を拒否されたこともあって、ベトナムを脱出したのです。
その彼が私に対して「いかに中国がベトナムに対して悪いことをしたか」と憤慨しました。私もそれに対して反論し、互いに徹底的に話し合うことで、最後には最も親しい友人になりました。そのときから考えはじめたんです。中越紛争に興奮して「ベトナム人を殺せ」と思った自分、個人と個人の付き合いによってベトナム人と友情をもった自分。その両方を見て、「民族性、国家主義、愛国心とは何なのか?」と。
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編集部 |
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それらを超えなければと考えられたのですね。私たち日本人も、自らの民族主義から解放されなければならない部分があるかもしれません。 |
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班 |
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そうですね。それがある限り、上の世代は下の世代に戦争体験を伝えないし、下の世代は聞こうともしないでしょう。だから歴史の事実を日本人に話すと、「何であなたはそんなひどいことを言うんだ。私はそんなこと知らない」と言われる。
戦争体験世代の人々はやがて亡くなります。見たくない、知りたくない歴史もあるでしょうが、自民族中心主義にならず、もう少し大らかに歴史と向き合ってもらいたい。
中国には日本のようにたくさんの本屋さんはありません。本を読まなくては、歴史もわからないのですが、その代わり、中国人は自分の祖父や親から昔話を聞くのです。だから、子供や孫が、おじいさんやおばあさんが味わった戦争の痛みを受け継いでいる。口伝えによるこうした話は永遠に後世に伝わります。
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編集部 |
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班さんのこれまでの活動や発言から感じることですが、日中の違いよりも共通点を探そうというスタンスに立たれているようにみえます。日中は似て非なるものと言われますが。 |
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班 |
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私自身、日本人との付き合いが深いからかもしれません。中国で初めて私に日本語を教えてくれたのは中国残留日本婦人でした。その後、旧日本兵、性暴力を受けた中国人女性たちとの交流もありました。そうした経験を重ねると、人間性というものが民族や国家によっていかに歪められるかがわかるのです。
ノンフィクションの執筆や映画撮影のための取材をとおして知ったのは、人間の違いは異なる社会環境によって生まれるということです。ですから「人間としての罪とはなにか」を、日本や中国といった国家の枠組みを超えたところで考えなければ、問題は解決できないと思います。
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編集部 |
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そうした国家の枠組みを超えて、「人間の罪とは?」を考えた時に生まれたのが、憲法9条であり、9条はその普遍性をもった条文だと思うのですが。 |
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班 |
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人間には、脅威を感じる相手をいかに倒すかという考え方と、いかに争いをなくしていくかという考え方があります。今の世界では、この2つの考え方がぶつかっているように思えます。そうした中にあって、9条は崇高な、究極の価値観です。
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編集部 |
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班さんがジャン・ユンカーマン監督の『映画・日本国憲法』でのインタビューに答えた際、「9条は神様のくれた宝物」と言っていましたね。 |
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班 |
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日本が、そして世界が9条のもつ“究極の理念”を実現させることは、そうたやすいことではない、という意味で「神様のくれた宝物」と表現しました。なぜなら現にそれを日本に「プレゼント」したアメリカ自体が「力」に頼っているわけですから。
9条の誕生はある種の奇蹟です。日本人はそうした大事な宝物を手にしているわけですから、それを一人占めしないで、ぜひ中国にも「輸出」してほしい。みなさんには、自分たちが「宝物」をもっているという自覚を、もっと強く持って欲しいと思います。
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編集部 |
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私たち人間にとって、“究極の理念”の実現は、困難ではありますが、決して不可能ではないと信じたいですね。班さん、ありがとうございました! |
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インタビューは全て日本語で行われました。
班さんには、母国語ではない日本語で、
難しいテーマについて語っていただきました。
こちらに中国語がわかるスタッフがおらず、
いくつか不正確な受け止め方をしているところもあるかもしれませんが、
ご了承ください。
班さんのメッセージが、直接聞ける上映会+シンポジウムがあります。
詳細はこちら。
班忠義監督作品『蓋山西(ガイサンシー)とその姉妹たち』
の完成を記念して、
2月17日(土)シンポジウムが開催されます。
詳しくはhttp://www.cine.co.jp/gaishanxi/
または、トップページにある「お知らせメモ」をご覧ください。 |
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