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「マガ9学校 第1回」概要と参加者の声「キム・ソンハさんに聞きました」

2010-09-15up

「マガ9学校 第1回」(基調講演)「日本国憲法9条と韓国徴兵制」伊藤真

◆「正しい戦争」はあるのか

 「伊藤塾」では毎年、中国や韓国、沖縄へのスタディツアーを実施しています。特に韓国にはもう10年以上通って、現地の法律家や学生などと、憲法や法律の状況について話をするということを続けてきました。

 つい先日も、その韓国ツアーに行ってきたばかりです。今回は、大法院(最高裁判所)、天安の独立記念館、そしてちょうど30年前に「光州事件」が起こった光州市にも行きました。

 1980年5月18日、韓国南西部の光州市で、民主化を訴えていた学生や市民に対し、政府から送り込まれてきた軍隊が突然発砲を始めました。銃撃は10分くらい続き、逃げた市民も警棒でめった打ちにされた。そして、発表されただけでも百数十人、行方不明者も入れれば数百人の一般市民が虐殺されたんですね。これが「光州民衆闘争」ともいわれる事件です。

 このときは、軍が「市民を守る」側ではなく「虐殺する」側に回ったわけですが、当時大学生だったというガイドさんに、今の韓国の軍隊についてどう思うかを聞いてみました。そうすると「今の軍隊は素晴らしいですよ。国のため、民衆のため、市民のために闘ってくれる軍隊で、尊敬しています」という。当時の軍事政権のもとでの軍隊は民衆に銃を向けるという過ちを犯したけれど、今の軍隊は正しい軍隊であってそんなことはあり得ない、というんですね。

 それは、至極当然の意見なのかもしれません。しかし、私自身の軍隊についての考え方とはだいぶ違うな、とも思いました。

 私は、人間は戦争をしてはいけないと思っています。こう言うと、「何を言うんだ、正しい戦争もある」とおっしゃる方がいらっしゃいますし、多分それが世界の圧倒的多数意見でしょう。しかし、私はどんな正しい目的を掲げても、戦争という手段は許されないと考えています。

 理由はいろいろありますが、何より戦争は常に加害者、被害者が入れ替わるものであるということです。例えば、朝鮮半島の人々は日本軍にさんざんな目に遭わされ、朝鮮戦争でもひどい目に遭った。しかし韓国の軍は、ベトナム戦争では罪のない市民を虐殺した。イスラエルもそうですね。ホロコーストの被害を受けたユダヤ人が今、パレスチナで同じようなことをやっています。

 こうした連鎖を、誰かがどこかで断ち切らなくてはならない。だから私は、どんな正しい目的や名目を掲げても戦争はいけないと思う。綺麗事かもしれませんが、その綺麗事を掲げることができる、理想を主張し続けることができるのが人間だと思うのです。

◆平和憲法の根本は「人間尊重」

 そして、「軍隊を持たない」という、世界的に見ればかなり非常識なことを定めているのが私たちの国の憲法です。私は、その根底にあるのは徹底した「人間尊重」だと考えています。

 日本国憲法13条は「すべて国民は個人として尊重される」と定めています。これは、言葉を代えれば、人間は誰もがかけがえのない命を持っている。それはほかのものとは代えることができないということ。さらに言えば、だから人の命を道具や手段として使うことはあってはならない、そういうことだと私は理解しています。

 ですから、いくら民主化や人道などの正しい目的を掲げていても、人の命を手段として使う戦争は、日本国憲法のもとでは許されないはずです。だからこそ日本国憲法は、侵略戦争のみならず自衛のための戦争さえ許していない。侵略戦争だけを禁止しても、「自衛」の名のもとで大きな被害がもたらされることがあるからです。まさにそれは、徹底した人間尊重の考えなわけですね。

 同時にそこには、軍隊と市民社会は相容れないものだという考え方があると思います。沖縄戦の例を挙げるまでもなく、そもそも軍隊というのは、国を守るものであって国民の命や財産を守るものではない。ときには光州事件のように市民に向けて発砲することもある。これは世界の軍事の常識です。そもそも、個ではなく組織を重視し、「人を殺す」ことを最大の目的としている軍隊と、組織よりも個を尊重し、人の命を守ることに根本的な価値を置いている市民社会とでは、根本的に価値観が違う。共存できないものだとも言えるんですね。

 もちろん、最初に軍隊がつくられたときは、市民社会を守ろうという目的もあったのかもしれません。しかし、特に日本では軍部の暴走もあって全体主義に走ってしまい、その目的が実現されることは結局なかった。そこで、市民社会とは両立し得ない「軍隊」という組織を持つことそのものをやめようという考えをとったわけです。

◆徴兵制のある国・韓国

 一方、韓国には軍隊があり、徴兵制があります。現地で知り合った人たちの話を聞く範囲では、徴兵制はある程度必要なんじゃないかという人が多い。というか、反対する声をおおっぴらにあげること自体が難しいんだろうなと感じました。

 やはり、古くから日本を含むさまざまな国に侵略されてきた国だけに、強い軍隊によって自分たちを守れるという考え方を持っている人が多いのではないでしょうか。さらには、朝鮮戦争で家族を殺された体験を持っている人、その体験を両親や祖父母から聞いたという人もたくさんいるわけで、「分断国家」という位置づけから来るさまざまな理由もあるのかなと思います。

 徴兵拒否は、兵役法によって刑事罰の対象になります。ときどき、権力やお金を使って兵役逃れをしようとする有名人がいますが、かなり強いバッシングを受けるようです。今年のサッカーW杯の際には、ベスト16入りした代表チームの選手に対して「兵役免除を検討している」とサッカー協会が発表したところ、いきなりバッシングが始まりました。「徴兵制は必要だ、仕方ない」と言いつつも、うまくそれを逃れようとする人に対しては相当不平等感がある。その感情も、徴兵制を支えているというところがあるようです。

 今回のツアーで、病気で兵役免除になって、かわりに福祉施設で2年間働いているという男子学生と知り合いました。彼は「自分はもう、韓国人の友達と話をするのはつらい。外国人といるほうが楽だ」というんですね。軍隊へ行かないと、一人前の男として認めてもらえない。家族からも「何だ、おまえ」と責められるし、男友達といても、「軍隊ではどこで何をしてた」みたいな話に必ずなる。そのときに「いや、実は行ってなくて」と言うと対応が全然違ってきてしまう、それが辛い、というんですね。

 以前、金大中〜盧武鉉政権のときには、良心的兵役拒否制度の導入が検討されていたんですが、イ・ミョンバク政権になってひっくり返されてしまったそうです。憲法裁判所にも「徴兵制は違憲だ」として3度提訴がされましたが、その1件目については2004年に合憲判決が出ました。あと2件は審議中です。

◆「信頼関係」の後に目指すもの

 さて、こうした「軍隊があり徴兵制がある」のが当たり前である韓国。私が「軍隊のない世界というのはどうですか」と尋ねると、ほとんどの人が「考えられない。侵略に立ち向かうためにも、やはり強い力がないと」と言います。かつて民主化運動に立ち上がった人たちでもそうした反応でした。

 たしかに、私の心の底にもそういう思いがあります。例えば、光州事件を扱った映画には、抵抗もしない人たちを、兵士が警棒で殴り殺したり、銃で撃ちまくったりする場面が出てきます。そうした光景を見ていると、やはり、こっちに正義があるんだから、弱腰でなく抵抗して、相手をたたきのめせ、と思ってしまいます。

 でも、実はその兵士だって、徴兵された普通の学生だったりするわけです。それに、一時の憎しみで殺してしまえ、やっつけろというのは簡単ですが、それをやり続けていてはやっぱり人類は滅亡の方向へ行ってしまう。だからそこであえて「ぐっとこらえる」ことを期待したのが日本の憲法9条なんだと思うのです。

 もちろん、「ぐっとこらえる」のは大変なことです。やられたらやり返すほうが楽だし、気持ちもすっとする。しかも、その理念を韓国や中国にも広げていくとなると、それは相当遠い道のりです。しかし、それでもそこへ向けて進んでいこうという理想を持っているのが、私たちの憲法なのではないでしょうか。

 そのためには、やはり周囲の国々との信頼関係の構築です。過去の戦争責任についての事実を認め、謝罪をし、必要であれば個人賠償も含めてきちっと過去を清算する。日本だけではありません。韓国軍もベトナムで大変な虐殺をした。それを国として認めて、謝罪し、賠償し、教科書できちっと伝えなくてはいけない。中国も、国内における人権弾圧を含め事実ときちっと向き合い、すべて必要なら謝罪賠償もする。そのようにして、北東アジアにおける信頼関係を築いていかなければならないんだと思います。

 よく日本と比較されるドイツは、ナチスの協力者への訴追を徹底するとともに、10兆円を越える個人賠償もしました。過去の事実についての教育も徹底している。それによって周囲の国々からの信頼を得て、EUの中で重要な役割を果たすまでになりました。今、ドイツがフランスやポーランドと戦争をするかもなんて、多分誰も思わないでしょう。それだけの信頼関係があるんですね。

 ただ、同時に考えなくてはならないのは、信頼関係を築いた後の着地点です。ドイツはそこから、ほかの国と同じように軍事力を持って、軍事同盟を築いて、戦争に参加する「普通の国」になりました。NATO軍に参加し、コソボやアフガニスタンの空爆にも加わっています。

 しかし、私たちはそれと同じことを目指すべきなのか。信頼関係を築いて、軍隊を持ちました、朝鮮半島や中国とも軍事同盟を結びました、それで本当にいいのか。自衛軍を持って自分たちの国は自分たちで守る、たしかにそれは「当たり前」の国ですが、そうではない選択をしているのが憲法9条なのではないでしょうか。

 そうであれば、単純に「軍隊を持つ」かわりに、もっと知恵を働かせていかないといけないと思います。周囲の国々と信頼関係を築いて、軍事力を少しずつ小さくしていく。そして同時に、それと反比例する形で、外交力や政治力、文化力、そして何よりも国民の理念の力を蓄え、大きくしていかなくてはならない。私はそう思っています。

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