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マガ9トークイベント:バックナンバーへ

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◎報告!「戦争と9条と国際貢献を考えるアツーイ夏の一日。」

8月10日(日)新宿ネイキッドロフトで行われた、
〈マガ9・トークイベント〉の一部収録です。

第2部後半: 9条を持つ日本の国際貢献はどうあるべきか〜自衛隊の海外派遣をめぐる気になる同行と問題点〜 トーク:伊勢崎賢治さん

伊勢崎賢治(いせざき・けんじ)957年東京生まれ。大学卒業後、インド留学中にスラム住民の居住権獲得運動に携わる。国際NGOスタッフとしてアフリカ各地で活動後、東ティモール、シェラレオネ、 アフガニスタンで紛争処理を指揮。現在、東京外国語大学教授。紛争予防・平和構築講座を担当。著書に『武装解除 紛争屋が見た世界』(講談社現代新書)、『自衛隊の国際貢献は憲法九条で』(かもがわ出版)などがある。

●自衛隊派遣の法的根拠とは?

 ここからやっと法的な話になりますが、このOEFというのは、当初はアメリカの自衛戦でしたが、今はNATO(北大西洋条約機構)にとっての自衛戦と位置づけられています。NATO条約第5条が定める「集団的自衛権の行使」に基づく作戦ということですね。

 一方、アフガンでもう一つ活動しているISAF(国際治安支援部隊)。これは、国連憲章第7章にある、いわゆる「国連的措置」によるものです。つまり、人間の安全保障ですね。アフガンという、よちよち歩きの国家が誕生して、国軍も警察もまだ完成していないし、日々の治安も維持できない。だから国際社会がみんなで、補完的に協力しようじゃないかということです。僕が国連のPKO(平和維持活動)チーム要員としてかかわったシェラレオネ内戦、あるいは映画「ホテルルワンダ」の舞台になったルワンダ内戦などのときに派遣された国連平和維持軍(PKF)、いわゆるブルーヘルメットも、これと同じ法的根拠で発動されたものです。

 一方OEFは集団的自衛権ですから自衛戦、戦争ですね。国連的措置と戦争、この二つは天と地ほども違います。ところが日本人はこの区別がなかなかできていなくて、自衛隊が海外に行けばみんな同じじゃないかと思っている。小泉政権になってから、三つの大きな自衛隊派遣がありましたが、最初の東ティモール派遣はPKOの一環、その後のインド洋とサマワは戦争参加です。

 ここに、まったく違う法的な根拠があるということを、まずお知りおきください。

 では、アフガンで日本が協力しているのは国連的措置と戦争、どちらなのか。日本が給油活動をしているのはOEFの下部作戦である海上阻止作戦(MIO)で、法的な根拠は、NATO条約第5条のほうです。つまり日本は、自分たちが加盟もしていない軍事同盟の自衛戦に、自衛隊を送っているわけですね。

 これは「日本の常識が世界の非常識」という一つの例ですが、自衛隊が武器を持って行こうが行くまいが、それを現場で使おうが使うまいが、そんなことは全然問題じゃない。このように、戦争を法的根拠とした作戦に参加するのであれば、たとえお金を出すだけでも、それは戦争に参加するということなんです。日本の外から見れば、こういうことなのです。

 日本の外に出れば、日本は明確にNATOの自衛戦に協力していると見られます。これが真実です。首相がどんなに「自衛隊が行くところが非戦闘地域だ」とか言い訳しても関係ないんです。

●ISAFの地位協定をめぐる問題点

 そしてもう一つ法的に重要なのが、SOFA(地位協定)の問題です。

 地位協定というと、日本人はすぐ日米地位協定を思い浮かべます。つまり、沖縄で日本人女性が米兵にレイプされ、殺されても、日本の司法は米兵には及ばない、という話。米側から見れば、米兵の法的な保護、イミュニティ(特権)ということですね。

 しかし、地位協定というのは別に日米地位協定だけではない。日米地位協定においては我々は被害者の立場にあるわけですけれども、自衛隊が送られた先には、必ず同じように地位協定があり、すべての自衛官はその保護下で働いていたわけです。日本人は、今までここの部分の議論を全然してこなかったと言っても過言ではありません。

 OEFに話を戻しますと、実はOEFにはこの地位協定がありませんでした。これは非常に危うい状況です。海外の軍事組織が何か事件を起こしたときに裁く枠組みがないわけですから、これほど現地社会にとって不安なことはないですね。ちなみに今、イラクにおいては、今年末に多国籍軍の駐留期限が切れるのに伴って、ようやくイラク政府はアメリカと対等な立場で地位協定を結ぶための交渉に入っていて、その締結が一つの政治的な悲願のようになっているんですが。

 一方、アフガンのISAFは国連的措置ですから、こちらにはもちろん地位協定が含まれています。しかし、ここにも問題があります。

 一つは、これが正確には地位協定ではなく軍事業務協定と呼ばれるもので、国家間の条約ではないということ。つまり、多国籍軍の現場司令官が、現地政府の国家元首ではなく内務省や防衛省の大臣などのカウンターパートと、現場の当事者同士としての協定を結ぶという仕組みなんですね。

 通常、どんな国でも国家間の条約を結ぶには、議会承認が必要です。ところが、軍事業務協定であれば、あくまで現場の業務を円滑にするための協定という位置づけですから、議会の承認がいらなくなる。

 これはNATOのコソボ空爆のときに発明された方式だといわれているんですけど、表向きの理由は「戦況に合わせて協定の内容を変えるのに、そのたびごとにいちいち議会の承認を受けていたら追いつかない」というもの。でも、本当の理由は、その協定の内容をそれぞれの国民に知らせたくないということだと思います。

 公明党の反対などで一応は断念されたけれど、自民党や民主党の一部は、自衛隊員をISAFの一員として、アフガンに送りたいと言っています。ではその場合、この軍事業務協定について、日本の国会承認はいるのか、いらないのか。そこの議論はするべきだと思います。すでに伊藤真さんが「マガジン9条」で、それについての彼なりの法的な解釈を載せてくれているので、ぜひごらんになってください。僕自身としては、自衛隊員の法的保護に関する定めなんですから、国会承認は絶対にいると思っています。

 そして、ISAFの地位協定、もしくは軍事業務協定については、もう一つ問題があります。それがICC(国際刑事裁判所)に関することです。

 ICCは、オランダのハーグにある人権問題を裁く公的・恒久的な機関ですが、アメリカのブッシュ政権は、ずっとこれに反対しています。クリントン政権のときに一度は規程に署名したんですが、ブッシュ政権になってからこれを撤回しました。

 さらにブッシュ政権はその後、米軍兵士が海外で人権問題で訴えられ、現地政府に拉致されてICCに送還された場合、米政府は軍事力を持って奪還する、とする国内法を成立させた。そこまで挑戦的なんですね。

 そして、ISAFの地位協定についても、米国は横やりを入れてきました。それによって、アフガニスタンはICCに加盟しているにもかかわらず、「ISAFの多国籍軍兵士が人権問題を起こしても、アフガニスタン政府はICCに送還しない」という一文を入れさせられてしまったんです。

 これは協定が結ばれた2001年当時、人権団体からも激しい批判を浴びましたが、いまだにそのままで続いています。

 日本も、昨年ICC規程に批准しました。これは国際条約です。そして、憲法98条第2項に書かれているように、我々は批准した国際条約は真摯に守らなくてはいけないということになっている。

 つまり、ISAFに自衛隊を送るというのは、日本が真摯に守るべき国際条約に反する、挑戦する内容の地位協定(軍事業務協定)がある国際部隊の作戦に参加するということ。それがどういうことなのか、絶対に考えるべきだし国会でも議論されるべきです。

●現地ニーズでなく国内ニーズを優先する日本

 海外に自衛隊を出すというのは、本来これだけさまざまな問題について考えなくてはいけないことなんです。日本はそれをやらずに、これまで自衛隊を出し続けてきた。

 2002年に、日本は国連東ティモール暫定統治機構(UNTAET)に自衛隊を、大隊規模で派遣しました。日本国内では、危ないから非武装の他の人道支援団体では行けない、だから自衛隊が行く必要があるんだ、と言われていた。しかしこのとき、現場には軍事的なニーズはまったくなかったんです。

 僕は2000年から、UNTAETの県知事として現地にいたのですが、すでにこのころ、東ティモールは大変に安全になっていて、PKFも撤退しようとしていました。必要な道路や橋の建設も、民間業者に武装警護なしで発注しているような状況だったんです。なぜそこに、完全武装した自衛隊が必要なんでしょうか。

 そのように、日本は現場の軍事的なニーズをまったく考えずに、おそらくは国内ニーズ——派遣実績を積み上げるためだけに自衛隊を出してきた。だから東ティモールでも、大隊規模で象徴的に出す必要があったんです。

 そんなことになってしまっているのは、これまで日本が「兵士を兵士として送る」議論をきちんとしてこなかったからだと思います。本当は「兵士を送るんだ」とみんな分かっているのに、あくまで「人道支援団体だ」という名目で議論をすることで、反対する側の顔をも立たせる。そうして、政権側もそれに批判的な野党や市民も、両方が現実に向き合ってこなかったんですね。

 自衛隊は、武装組織です。国内法的なことを抜かせば、規模も含めて、立派な軍隊なんです。その前提に立った上で、送るべきか送らないべきかを判断しなくてはいけないんだと思います。

 さらに、そのときに考えなくてはならないのは、自衛隊を多国籍軍に派遣するということは、その出した先の多国籍軍司令部に指揮権を委ねることだということです。それでこそ、見返りとして、その多国籍軍が地位協定や軍事業務協定によって得ている法的な保護が受けられるわけであって、司令部の命令も聞かない部隊なのに法的な保護をしてくれなんて虫が良すぎる。こう考えるのが当然でしょう。

 東ティモール派遣の際には、国会では自衛隊の指揮権は東京の防衛庁長官にあるなんてことを言ってましたが、そんな馬鹿なことはありません。自衛官たちは東ティモールで国連のブルーヘルメットを被って、国連の腕章をつけていました。ROE(武器使用基準)も含めて、すべてPKFの規程に従う。それがPKFで自衛隊を出すということなんです。

●「平和的解決」はきれいごとではない

 もう一つ、お話ししておきたいことがあります。

 今、OEFが泥沼に陥っているということで、カルザイ政権はタリバンの穏健派との和解の道を模索し始めています。去年の3月には、アフガン国会が満場一致で、戦争犯罪に関する恩赦法を成立させました。もちろん、元の軍閥である今の閣僚たちが、自分たちに将来的な免罪符を与えたいということもあったんでしょうが、タリバンと和解するための一応の法的な枠組みはできたわけで、この流れは止められないと思います。

 僕は同じような経験を、シェラレオネでしています。

 シェラレオネの内戦では、10年間で50万人が殺されました。その中では、子どもの手足を生きたまま切る、なんていうことまで行われていた。しかし、1999年の和平合意では、そうした虐殺に携わった反政府ゲリラに対し、完全恩赦が行われました。「命令されてやった」という言い訳が成り立つ一般兵士だけではなく、その命令を出したトップまで、全員が許された。それどころか、反政府ゲリラの親玉は副大統領に任命されています。そこまでやってやっと停戦を実現させたんです。

 普通、こうした調停は国連のような第三者がやるんですが、こんな内容の調停は国連にはできません。国連というのは、あくまで戦争犯罪については裁くというのが前提になっていますから。これをやったのはアメリカ、当時のクリントン政権です。そして、それに乗じて国連の一員としてシェラレオネ入りし、武装解除を指揮したのが僕なんですね。

 昨年、国会でテロ特措法の延長が議論されたときに、僕は国会や各政党の勉強会に呼ばれていろいろ意見を聞かれました。そして、「自衛隊を出すよりも、腐敗してしまっているアフガン内政を建て直すために尽力したほうがいい。日本は中立の立場でイメージがいいからそれができるはずだ。タリバンとの和解の道を模索するのもいいのではないか」という話をしたんです。

 そうしたら、案の定、野党が身を乗り出してきて「それこそは平和憲法を持っている日本がやるべきことだ」と言い出した。僕は、ちょっと待ってくれ、と言いました。あなたたちがそう言うのは、あくまで自衛隊を出したくないから、その代案としてでしょう。でも、テロリストとの政治的な和解というのは、そんな気安いものじゃないんです。被害者の立場に立ってものを考えてください、と。

 実際、こうした和解劇の際には、必ず欧米の名だたる人権団体が反対します。当たり前でしょう。本来はテロリストたち(もちろん、テロリストとは誰で、それを誰が認定するのかを議論しなきゃなりませんが)を、絶対許しちゃいけない。捕まえなきゃいけない。でも、それと妥協するのが「平和的な解決」というものなんです。これは大変深刻な問題です。この深刻さは、我々にとっての北朝鮮の拉致問題を考えてみればわかる。これは、そのくらいの痛みを持って考えるべきことであって、たかが自衛隊を送らないための対案というような、軽い気持ちでやってもらっちゃ困るんです。

●人権問題を「愛国」に利用するな

 今、北朝鮮の話を出しました。こういった問題と向き合っていると、日本にとっての北朝鮮の問題を考えないわけにはいきません。

 もちろん、拉致被害者やそのご家族のことを考えれば、金正日政権との和解とか、赦せとかは、なかなか公には言えません。しかし、国際政治や国際紛争の問題を扱う者として、自国の問題である拉致問題のことを言わないでいては、示しがつかないとも思うのです。

 先日、自分の経験と北朝鮮問題をどう捉えるかということで、神戸新聞にコラムを書きました。それを最後に読み上げたいと思います。

 「北朝鮮による拉致」 国家、それも他国のそれによる個人への犯罪、暴力。もし自分の身内に起こったら、と考えるだけで身が震える。絶対に看過できない人権侵害だ。同時に日本国内に土足で踏み行った拉致行為だから、日本の国家主権の著しい侵害でもある。

 人権とは、もともと国家や体制による自国民に対する被人道行為を糾弾するというコンテクストで語られる。国家側は、そういう外からの糾弾は内政干渉であり、「国家主権の侵害」とし、悪政の保身にかかる。ここに、人権と国家主権の問題を両立させる難しさがある。そもそも人権とはユニバーサルな価値であり、国家主権を超えた存在であるからだ。

 だから、日本の拉致問題にユニバーサルな理解と支持を得るには、国家主権の問題にあまりにこだわると失敗する可能性がある。特に、拉致問題の国家主権侵害を喧伝する勢力が、いわゆる日本のタカ派とだぶる場合はなおさらだ。タカ派とは、日本が主権国家として他国の人民を殺傷した過去に対する卑屈さが、現在の日本人の主権意識の醸成に妨げになっていると憂う勢力だ。

 一方、悪政に対する「制裁」にも気を遣わなくてはならない。ユニバーサルな価値としての人権が支持する「制裁」は、あくまで人権侵害をこれ以上広げないための措置であり、主権侵害に対する報復ではない。よって、現在進行の人権被害者である北朝鮮民衆を救う人道援助まで無闇に否定するスタンスは、拉致問題が、ユニバーサルな人権問題として認識されることを阻む。

 とにかく一番してはいけないのは、人権問題を、愛国的な主権意識を鼓舞するために政治利用することである。

「平和的な解決」は決して、軽い気持ちでできることではないーー。
ご自身の経験に根ざした、実感のこもった言葉が胸に重たく響きます。
その前提に立った上で、日本が何をすべきなのか、
私たちはもっともっと考えて、議論する必要があるのでしょう。
伊勢崎さん、ありがとうございました!
引き続き、第3部についても報告していきます。

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