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 森達也・緊急インタビュー「今やドキュメンタリー映画の危機である」

ドキュメンタリー映画『靖国 YASUKUNI』上映中止をめぐる一連の動きは、新たな余波を生んでいますが、森達也さんは「本当に深刻な問題は、別のところにある。中止させようとしている人たち、受け止める人たちは、それに気がついていないから、さらにやっかいである」と言及しています。「このままでは、ドキュメンタリーは撮れなくってしまう」と危機感をつのらせる森さんに、緊急にお聞きしました。

もり・たつや 映画監督/ドキュメンタリー作家。1998年、オウム真理教の荒木浩を主人公とするドキュメンタリー映画「A」を公開、各国映画祭に出品し、海外でも高い評価を受ける。2001年、続編「A2」が、山形国際ドキュメンタリー映画祭で特別賞・市民賞を受賞。近著に『死刑』(朝日出版社)、『ぼくの歌・みんなの歌』(講談社)、『視点をずらす思考術』(講談社現代新書)などがある。

編集部

 全国の映画館で、4月に封切り予定だったドキュメンタリー映画『靖国 YASUKUNI』(李纓監督)の上映中止が相次ぎ、大きな論議が巻き起こっています。一連の問題を、ドキュメンタリー作家としての森さんはどのように見ておられますか。

 あの映画の配給会社からは「一部の政治家から上映前の試写会をやってくれ」と言われて困っている」と相談されていたんですね。その段階で僕も配給会社も、こうなったら右翼が何らかのアクションを起こすだろうなという予測はついていました。

 だから政治家のほうもわかっててやってるんだと思っていたんです。それが今になって稲田朋美衆議院議員が、「上映中止は残念。右翼の上映中止運動については、わたしは全然想像していなかった」というようなことを言っている。それでは自分の影響力について最も鋭敏であらねばならない国会議員としてはあまりにお粗末です。

 一昨年、週刊金曜日主催の集会で行われた劇団他言無用による皇室パロディが「不敬芝居」として攻撃されたときもそうでしたけど、週刊新潮が書いて、右翼が騒ぐという構造は、何度かの前例がありますから。それを予測しなかったのならあまりに稚拙だし、わかっていてやったのなら姑息です。どっちにしても国政を預かる立場としてはお粗末すぎる。

 念を押すけれど批判はいいんです。自分の思想や心情と違うと思うのなら、どんどん批判すればよい。彼女も自分のブログを持っているわけですよね。でも国政調査権を振りかざしながら「議員のための試写会を要求する」というパフォーマンスを結果的には演じたわけです。ならば話は違う。

 この帰結として右翼は確かに動いた。でもどの程度の動きかといえば、街宣車一台とか2台のレベルのようですね。銀座の映画館に至っては、21歳の若者が白塗りのハイエースで乗り付けて抗議しただけ。それであっさり上映をやめちゃったというので、抗議をした右翼の若者のほうが面食らっているようです。

編集部

 「えっ、こんな簡単にやめちゃっていいの?」って。

 うん。社会全体の危機管理の意識が急激に上がっているから、とにかく何かあったらまずい、怖い、危ないとなっちゃう。日教組の集会を拒絶した品川プリンスの側が記者会見で、「近くに小学校や病院もあるから、(右翼の抗議行動があったら)迷惑がかかる」と言ったらしいけど、これについては右翼は、「いくらなんでも病院や小学校は襲わないよ」と怒らないといけない。

 政治家もお粗末だし、中止するほうもお粗末だし、右翼もお粗末だし、とにかく全部お粗末だ。——と、思っていたんです。

編集部

 思って「いた」とは? また新しい局面があるのでしょうか?

 自民党の有村治子参議院議員が、『靖国』で被写体となった人に接触して、「出演場面を削除してほしい」と言わせたでしょう。

 僕が李監督に聞いた話では、昨年4月の段階で、あの刀匠にも完成した映画は全部見せて、そこで了解をもらったということでした。その場に同席していた人にも確認しました。パンフレットに寄せたメッセージとして「誠心誠意」という言葉までもらったそうです。

 それをひっくり返された。確かに干渉です。でも「被写体に作品を見せて了解をもらったのか?」との質問に対しては、李監督は「答える必要はない」と突っぱねるべきだった。見せる必要はないし了解をもらう必要もないんです。モラルとしては最低です。その結果恨まれるかもしれない。ドキュメンタリーを作るならその覚悟をしなくてはならない。その業を背負わなくてはならない。被写体の意に反してはならないのなら、僕はもうドキュメンタリーを撮れません。原一男もマイケル・ムーアも転職しなくてはならない。

編集部

 出演した人、もしくは画面に登場した人が「削除してくれ」と言えば削除しなくてはならないとなったら・・・ドキュメンタリー映画は成り立たない、ということですね。

 ドキュメンタリーっていうジャンルは、本当にぎりぎりのところでやっています。

 僕の『A』や『A2』だってそういう問題はありましたよ。だけど僕は全部踏みつぶした。だからまぁ“鬼畜”なんですよ、ドキュメンタリーを撮る人間なんていうのは。死んだら地獄に行くくらいのつもりで撮らないことにはできないし、そこまでやっても価値のあるものをつくっているんだという矜持があるからこそ、ドキュメンタリーというものは存在しているんです。

 『A』の、あの不当逮捕のシーンの警察官(※)だって、彼がもし映像を使うなと言ってきたら、どうすればいいのか。それは常について回ることで、そういう薄氷の上で僕らは作品をつくっているわけなんです。そこをひっくり返されちゃったらもうつくれないですよ。これは同時に映像メディアすべてに共通する問題です。 (※)不当逮捕のシーンの警察官…映画『A』には、オウム真理教の信者が警察官に突き飛ばされた上、転んだふりをした警察官に逆に「公務執行妨害だ」として逮捕されるシーンがある。

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編集部

 ドキュメンタリーに限らず、たとえば普通のテレビ映像だって、街角でのロケシーンに、普通に歩いている一般の人たちが映り込んでくることは当然ありますよね。あるいは、一般の写真にしてもそういう可能性はある。

 映像というもの自体が、表現として機能しなくなってしまう。現実を切りとるということが一切できなくなって、本当に限定された、スタジオ撮影だけのドラマしか撮れなくなってしまいますよね。

 しかも、この一連の問題について僕がさらに救われないと感じているのは、やるほうもやられるほうも問題の本当の意味を「わかっていない」ことです。

 政治家のほうも、単純に「どうやったらこの映画を上映中止に追い込めるか」ということだけ考えてやっているわけでしょう。何もわからないままに、無邪気にパンドラの箱を開けようとしている。後先考えずに手を突っ込んでかき回して、という点では、イラクやアフガニスタンに介入するアメリカとも同じですよね。

編集部

 確かに・・・。有村参議院議員がこの問題に言及している自身のホームページを見ましたが、政治家が国会という場所で、この問題を取り上げることの影響力の大きさを、まったく想像していないという印象を持ちましたし、映像を作る側の人間、テレビも含めメディア側からの反応も鈍いように感じます。でも、こういったことがまかり通るようになると、いちいち出演者の意向を聞きながら撮ったり、編集したりするドキュメンタリー作品しか作れなくなる、上映できなくなるということですよね。もはやそんなものは、ドキュメンタリーとは呼べないでしょうが。

 こうした現状に対して、森さんはドキュメンタリー作家として、どう対抗していこうと?

 …正直なところ、困っています。今、パンドラの箱という言い方をしましたけど、反撃するということはこちらもやっぱりパンドラの箱を揺さぶってしまうということです。今まである意味で「言わずもがな」で来ていたことを、お白州に出さなきゃいけなくなる。ドキュメンタリーの場合は肖像権はどうなるの? ニュース映像で背景に映り込んでいる人がダメだと言ったら放送はできないの? 政治家にインタビューしたら編集後に全部チェックさせてからオンエアしなきゃいけないの? …そういうことになっちゃうんですよ。

 下手に反撃してそういう議論になっちゃったらもう、火に油だし悩ましいところですけど、かといってこのまま見過ごすわけにはいかない。だから困っている。意識のある人はみんなまずいと思いながら、困ってるんじゃないかなあ。

 ドキュメンタリーの作り手だけじゃなくてすべてのメディア関係者は、みんなもっと危機感を持たないといけない。いまだに最初の入り口で止まって、表現の自由の侵害とか弾圧だとか言っているけど、そんなレベルの話じゃない。それとは違う意味で、とても危ない状況になってきているということに、もっと気づかないといけないと思うんです。

森達也さんは、近々「この人に聞きたい」にも登場します。
そちらでは、近著『死刑』(朝日出版社)や、9条のことを聞いていきますので
お楽しみに!
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