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2012-11-07up

B級記者どん・わんたろうが「ちょっと吼えてみました」

【第108回】

ゴビンダさん再審無罪の教訓を袴田事件に活かせ

 この記事がアップされる頃には、東京高裁でゴビンダさんに無罪判決が言い渡されていることだろう。正確に言うと、判決の主文は「無罪」ではなく、「(検察の)控訴棄却」のはずである。なぜなら、元の裁判の1審・東京地裁判決は無罪であり、それを覆して無期懲役を言い渡した2審・東京高裁の審理をやり直した(再審)判決だからだ。

 1997年に東京・渋谷で起きた東電女性社員殺害事件で犯人とされたネパール人、ゴビンダ・プラサド・マイナリさん(46)がようやく雪冤を果たした。本コラムが最初に取り上げたのが、昨年9月。当時はここまで順調に再審無罪が実現するとは、正直、思わなかった。私としても感無量である。

 冤罪の一義的な責任が、捜査・起訴をした検察・警察にあることは言うまでもない。再審請求審での証拠開示によって、ゴビンダさんがこの事件で逮捕される前に、被害者の胸や口に付着した唾液がゴビンダさんとは異なる血液型だと判明していたことが分かった。ゴビンダさん以外の人物が事件にかかわっている可能性があることを認識していながら、逮捕・起訴したのだ。しかも、その事実はずっと隠し通されてきた。

 DNA鑑定によってゴビンダさんの犯人性に大きな疑義が生じた昨夏以降も、検察は無駄な抵抗を試み続けた。自分たちに不利な鑑定結果を何とか覆そうと、隠し持っていた証拠を繰り出して裁判所にDNA鑑定を求めた。度重なって裁判所が「必要なし」と判断するや、今度は捜査権を行使する形で自ら鑑定を強行した(この経緯は拙稿参照)。恥の上塗りとしか言いようがない。

 その挙げ句、今年6月に再審開始が決まってからも、被害者の爪の付着物を鑑定していたのだ。そこで検出したDNA型が、被害者の体内に残っていた精液や被害者のそばに落ちていた陰毛のDNA型(ゴビンダさんではない「ミスターX」)と一致したことで、ギブアップしたのである。10月29日の再審第1回公判で検察が「被告は無罪」と意見を述べたのも、決して潔かったわけではない。「1日でも早く」というゴビンダさんの気持ちにこたえるために、もっと早く再審を開始し、無罪を言い渡すことが可能だった。

 その間、検察情報を垂れ流していた多くのメディアの報道も、批判されなければならない。再審開始が決まるやいなや、新聞各紙の社説は検察や裁判所を非難するばかりだが、事件発生以来の自らの記事をきちんと検証し、その結果を紙面で明らかにすべきなのは言うまでもない。

 そして、何より問題視されるべきは、「状況証拠にはいずれも反対解釈の余地があり、合理的な疑いが残る」とした1審の無罪判決を破棄し、逆転有罪を言い渡した2審・東京高裁判決(2000年)である。検察の控訴を棄却して無罪を維持していれば、ゴビンダさんがここまで苦しめられることはなかった。

 本来は、1審で無罪になった段階でゴビンダさんは釈放されるべきなのに、東京高裁の裁判長は検察の要請に応じて職権による再勾留を認めた。この段階から予断があったのではないだろうか。同じ裁判長による2審の審理は、わずか3カ月間で終結。1審とほぼ同じ証拠を全く逆の方向に解釈して、無期懲役としてしまった。

 再審公判で、弁護団の石田省三郎弁護士は「裁判所が刑事裁判の原則を無視して『誤った裁判』をしたことも批判されなくてはならない」と述べ、再審判決の中で、あるべき刑事裁判のあり方や「合理的疑い」の本質を明示するよう求めた。正論である。判決の中身に注目したい。

 で、ゴビンダさんの再審開始~無罪判決と時期を同じくして、本欄で何度も取り上げてきた「袴田事件」も、再審開始に向けた大きなヤマ場を迎えている。1966年に静岡県で一家4人を殺害したとして刑が確定した元プロボクサー・袴田巌死刑囚(76)が、無罪を訴え続けている事件である。

 昨夏来、死刑判決が犯行時の着衣と認定した「5点の衣類」をDNA鑑定したところ、袴田死刑囚のものとされていた半袖シャツの血痕のDNA型が、袴田死刑囚と一致しないと判明した。弁護団、検察がそれぞれ推薦した2人の鑑定人が、同じ結論だった。さらに弁護団推薦の鑑定人は、被害者(4人)のものとされてきた血痕のDNA型が「被害者のものとは確認できなかった」との鑑定結果も出している(詳しい経緯は拙稿参照)。

 そうしたDNA鑑定の結果を受け、鑑定人への証人尋問が11月2日、第2次再審請求を審理している静岡地裁で始まった。弁護団の小川秀世事務局長によると、1981年に第1次再審を請求して以来、証人尋問が行われるのは初めてだそうだ。この日は弁護団推薦の鑑定人に対する弁護団の主尋問があり、休憩を挟んで3時間以上に及んだ。

 終了後に記者会見した弁護団によると、DNA鑑定とは何ぞやから始まり、鑑定手法や、40年以上前の血痕を鑑定するにあたっての工夫、さらに「5点の衣類から、被害者の血液とは考えられないDNA型を検出した」との結果について証言してもらった。5点の衣類が犯行着衣かどうか著しく疑問であるとして、弁護団が主張している「捏造説」を裏付ける内容だったという。

 DNA鑑定を新証拠として採用させたくない検察は、弁護側鑑定人の手法が特殊で信用性が低いと印象づける作戦を取っているが、尋問でこの鑑定人は「科学的な手法を組み合わせたり応用したりして取り組んだ」ことを具体的に語ったそうで、弁護団は「説得力があった」と評価していた。弁護団のメンバーは「袴田さんの無実を確信できた」「裁判所にもきちんと理解してもらえた」と手ごたえを感じた様子だった。

 近く検察推薦の鑑定人への検察の主尋問があり、その後、年内にも両鑑定人に対する反対尋問が行われる。これが終わると、双方が最終意見書を出し、いよいよ再審を始めるかどうかの裁判所の決定を待つことになりそうだ。

 DNA鑑定の精度について、裁判所がこだわるのは理解する。しかし、弁護団推薦、検察推薦の鑑定人のいずれもが、袴田死刑囚のものとされていた血痕が「袴田死刑囚のDNA型と一致しない」と判断した意味は重い。5点の衣類が捏造かどうかは措くとしても、少なくとも「袴田死刑囚がこのシャツを犯行時に着ていた」と認定した死刑判決の内容に、大きな疑義が生じていることは間違いない。

 いわんや、弁護団推薦の鑑定人は、被害者のものとされてきた血痕についても、DNA型が被害者とは一致しないと結論付けている。袴田死刑囚を犯人とした判決の土台は大きく揺らいでいる。一刻も早く再審開始を決定するべきだと思う。

 ゴビンダさんの再審無罪が明らかにしたことはいくつもあるが、とりわけ、裁判所の審理・判決に間違いがあり得ることを改めてはっきりと示した。防ぐ方法は何より、「疑わしきは罰せず」という刑事裁判の鉄則を裁判所が徹底することだ。袴田事件をはじめ他の冤罪事件に、きっちり適用することだ。それこそが、ゴビンダさん再審無罪の教訓を活かす道である。

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被疑者が逮捕されるいやなや、わっとばかりにメディアが飛びつき、
「犯人」に仕立て上げる。見る・読む側もそれを当然のものとして受け止める。
そんな図式も、「疑わしきは罰せず」の原則を有名無実化してきたように思えます。
同じ間違いを、再び繰り返さないために。
裁判所だけではなくメディアも、私たち自身も、振り返りが必要ではないでしょうか。

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どん・わんたろうさんプロフィール

どん・わんたろう約20年間、現場一筋で幅広いジャンルを地道に取材し、「B級記者」を自認する。
派手なスクープや社内の出世には縁がないが、どんな原稿にも、きっちり気持ちを込めるのを身上にしている。関心のあるテーマは、憲法を中心に、基地問題や地方自治、冤罪など。
「犬になること」にあこがれ、ペンネームは仲良しだった犬の名にちなむ。「しごと」募集中。

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