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2012-04-18up
B級記者どん・わんたろうが「ちょっと吼えてみました」
【第89回】
これでも再審の開始が認められないとしたら…~明白なDNA鑑定結果が出た袴田事件
刑事裁判の再審(やり直し)がまず認められないことは広く知られている。一度は確定した有罪判決の誤りを認めてひっくり返すのだから、起訴をして有罪にした検察はもとより、もとの有罪判決を出した側の裁判所だって、そう簡単には開始決定をしない。「新規かつ明白な証拠」という厳しい条件が課されているだけでなく、スタンス自体が抑制的なのだ。
当コラムがたびたび取り上げてきた「袴田事件」の再審請求をめぐり、新たな、そして極めて重大な展開があった。もとの有罪=死刑判決の土台を揺るがす証拠が公になったのである。これで再審開始〜無罪にならないとしたら、それでも確定判決に基づいて死刑が執行されてしまうとしたら……。そう考えると本当に恐ろしくなる。再審とは、冤罪とは、死刑とは、と思いを巡らせながら、今回の証拠の内容や経緯を、なるべく分かりやすくつづりたい。
袴田事件とは今から約46年前の1966年6月、静岡県清水市で味噌会社の専務一家4人が自宅で殺害され、放火された事件である。住み込み従業員の元プロボクサー・袴田巌死刑囚(76)が強盗殺人などの容疑で逮捕され、捜査段階で強要されていったんは犯行を自供する。公判では一貫して犯行を否認したものの、1審・静岡地裁で死刑判決を受け、1980年に最高裁で確定した。
以来、袴田死刑囚は再審を求め続けており、現在、第2次の再審請求の審理が同地裁で行われている。
審理の中で、「5点の衣類」のDNA鑑定が実施されていることは、以前にも紹介した。5点の衣類とは、事件発生の1年2カ月後になって突然、犯行現場そばの味噌工場の醸造用タンクの中から、味噌に浸かった状態で見つかったステテコ、半袖シャツ、スポーツシャツ、ズボン、ブリーフである。血痕が付いており、発見されると検察は、当初はパジャマだった犯行時の着衣をあっさり変更した。
本人が自分のものではないと否定したにもかかわらず、5点の衣類のズボンと同じ布の端切れが袴田死刑囚の実家のタンスから見つかったとして、有罪判決の決め手となった。このズボンを袴田死刑囚が裁判所ではいてみたところ小さくて入らなかったのに、ズボンのタグの「B」がサイズを示しており、「味噌に浸かっている間に縮んだ」とする検察の主張が判決に採用されてしまった。血液型をもとに、付着している血は被害者のものとされ、半袖シャツの右肩の血痕はけがをした袴田死刑囚のものとされてきた。
そもそも1年以上も経ってから、そんなに量が多くない味噌の中から発見されたなんていう経緯が不自然だし、小さくてはけないズボンを本人のものだと言われても、誰だってにわかには信じられまい。
おまけに、今回の再審請求で検察が開示した証拠によって、タグの「B」はサイズではなく色を示すことが判明した。実家で発見された端切れにしても、警察が同じものをズボンメーカーから入手していて、今は行方不明になっていることも明らかになった。加えて、味噌に長期間浸かったような状態の衣類がごく短時間で作り出せることは、弁護団や支援団体の実験ですでに分かっている(拙稿参照)。
こうなると、5点の衣類が本当に袴田死刑囚のものなのか、素人が考えたって相当な疑いを抱かざるを得ない。つまり、警察が5点の衣類に第三者の血液を付けて味噌タンクに仕込み、発見させる。その後、実家を調べに訪れた警察官が、タンスから同じ布の端切れを発見したように装う――。弁護団が主張する「捏造」のストーリーである。
じゃあ、それを検証するにはどうしたら良いのか。5点の衣類に付着している血液が、被害者や袴田死刑囚のものと一致するかどうかを確かめれば話は早いじゃん。ということで実現したのが、昨夏から行われてきた5点の衣類のDNA鑑定だったのだ。
事件発生から有罪が確定した裁判の当時は、精巧なDNA鑑定なんて存在しなかったから、血液型だけで誰の血かが類推されていた。その後、5点の衣類のDNA鑑定は第1次再審請求の時に実施されたが、2000年に出た結果は「鑑定不能」だった。しかし、技術の進歩は著しく、現在なら半世紀近くが経った血痕でも鑑定できると分かって、弁護団の求めを裁判所が受け入れた。弁護団、検察がそれぞれ推薦する2人の専門家に裁判所が委嘱した。
鑑定ではまず、5点の衣類の血痕が被害者のものかどうかがテーマになった。昨年末に出た鑑定書で、弁護団推薦の鑑定人は「被害者の血液は確認できなかった」と結論づけたうえで、「血縁関係のない、少なくとも4人以上の血液が分布している可能性が高い」と分析した。捏造かどうかは別にしても、被害者一家とは別人の血液が、何らかの形で事件の前か後かに付いたというわけだ。
検察推薦の鑑定人は、ブリーフの血液が「(被害者と)同一の可能性を排除できない」と記したものの、人の血なのかどうかや血液型については「検討しなかった」、検出したDNAが血液のものかは「不明」とするなど、曖昧な内容だった。検察推薦の鑑定人が採った方法の精度は、弁護団推薦の鑑定人の方法より低いとされることもあり、弁護団はブリーフに対する評価を批判している(前回のDNA鑑定については拙稿参照)。
この段階ですでに「新証拠」と言えたのだろうが、決定的な証拠とするため弁護団があえて求めたのが、半袖シャツの右肩に付いたB型の血が袴田死刑囚(B型)のものかどうかを調べる鑑定だった。前回の鑑定の時に、双方の鑑定人ともこの部分のDNA型を割り出しており、3月14日に東京拘置所で採取した袴田死刑囚の血液を分析し、照合していた。
先週末から今週初めにかけて報道されたのは、その結果である。
弁護団推薦の鑑定人の結果は「不一致」だった。本人の鑑定法だけでなく、前回の鑑定で検察推薦の鑑定人が採った方法によっても、DNA型は一致しなかった。さらに、前回、検察推薦の鑑定人が血液以外の第三者のDNAが付着した可能性を指摘したことに対して、「明らかに血液由来のDNAの型であると判断することは自然である」と強調した。
一方の検察推薦の鑑定人も、半袖シャツを含む5点の衣類と袴田死刑囚のDNA型について、「完全に一致するDNAは認められなかった」と結論づけた。
要するに、弁護団推薦、検察推薦の双方の鑑定人が、半袖シャツの右肩部分の血痕は「袴田死刑囚のものではない」との評価で一致した。「袴田死刑囚がこのシャツを犯行時に着ていた」と断定した死刑判決の構造が否定されたのだ。再審を始めるのに十分ではないだろうか。
検察推薦の鑑定人は、ブリーフに付いたDNA型が「袴田死刑囚に由来するとして排除できない」と記している(朝日新聞はこの部分を混同して4月16日付夕刊に「捏造記事」を載せてしまった)。しかし、根拠としているDNA型は日本人には出現頻度が高いようなので、袴田死刑囚と5点の衣類の関係を明確に示す証拠にはなり得ないとみられる。
再審請求の審理は、どう動いていくのだろうか。
今回の結果が出る前の4月2日、静岡地検は弁護団推薦の鑑定人に対して、前回のDNA型の検査の条件や方法、判定の根拠などを詳しく尋ねる22項目の求釈明申立書(質問書)を静岡地裁に提出している。弁護団と検察が裁判官のいない場で鑑定人に手法などを質問する「カンファレンス」の開催も求めている。
弁護団推薦の鑑定人の方法が特殊なものであると印象づけ、信用性が低いとアピールする作戦のようだ。検察は再審開始に否定的な見解を示しているから、DNA鑑定の細かいところを突いて新証拠として採用されるのを防ごうとするだろう。
一方の弁護団は今回の結果を受け、「無実が裏づけられた」として速やかな再審開始を求めている。ただ、一連のDNA鑑定の結果をもって今の再審請求審での主張を完結させるのか、さらに別の証拠を出していくのか、今後の方針はまだはっきり決まっていないようだ。早急に対応を決め、実行してほしい。
今後、DNA鑑定の方法や評価について裁判所を交えて検証したり、鑑定人尋問が行われたり、場合によっては別の専門家による第3の鑑定が実施されたりすることになるだろう。
そうであっても、2人の鑑定の結論が「半袖シャツの血痕は袴田死刑囚のものではない」と一致した意味は極めて重い。重ねて書くが、再審を始めるのに十分である。いわんや、死刑事件だ。少なくとも「疑わしきは罰せず」の大原則にのっとって死刑囚を一刻も早く苦しみから解放することは、人道的にも至極当然のことに違いあるまい。
半世紀近くも自由を奪われ続けてきた高齢の袴田死刑囚が、長期の拘禁による精神障害に加えて認知症や糖尿病を患っているとみられることも考慮し、結論を急ぐよう切に望む。
当コラムはここ3回、冤罪や死刑の問題を取り上げてきた。しかし、「マガジン9」でのアクセス数は上がらず(いつものことですが…)、ツイッターで広く拡散されることもなく、意見はほとんど返ってこなかった。同じコラムが「ブロゴス」で相当なアクセスを頂戴し、議論も大いに盛り上がっていたのとは対照的だった。
原発問題も確かに大事だろう。でも、同じ「いのち」の問題である。極端に言えば、今すぐに危険が到来するとは限らない原発に比べ、袴田死刑囚は法相が執行命令書にサインをしただけで生命を奪われる危機的状況にずっと置かれているのだ。少しでいいから思いを馳せていただくことを願っている。
逮捕されたとき、まだ30歳だった袴田さん。
そこから獄中で過ごさねばならなかった半世紀近くを思うと、言葉が出てきません。
再審・無罪が認められたとしても、
失われた時間が戻ってくるわけではないけれど、
だからこそ迅速な決断が求められるはずです。
どん・わんたろうさんプロフィール
どん・わんたろう約20年間、現場一筋で幅広いジャンルを地道に取材し、「B級記者」を自認する。
派手なスクープや社内の出世には縁がないが、どんな原稿にも、きっちり気持ちを込めるのを身上にしている。関心のあるテーマは、憲法を中心に、基地問題や地方自治、冤罪など。
「犬になること」にあこがれ、ペンネームは仲良しだった犬の名にちなむ。「しごと」募集中。
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