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2012-01-25up

B級記者どん・わんたろうが「ちょっと吼えてみました」

【第79回】

最下位の成績を付けられた校長先生~元三鷹高校長への「報復」を認めた判決

 790人中の790位。つまり最下位。「仕事の成果」「職務遂行能力」「組織支援力」「職務の理解・実践力」、さらに総合評定(絶対評価)のいずれもが最低ランクの「オールC」だった。

 これ、退職を控えた都立高校の校長先生への業績評価である。母数の790人は、校長からヒラの先生まで、退職後の非常勤教師への採用を希望した教員。当然の如く、この校長先生は不合格になった。ちなみに合格率は97.2%だった。

 厳しい選考を経て任命されたはずの校長に対するあまりにひどい仕打ちに、誰だってよほどの事情があったに違いないと思うことだろう。しかも、仕打ちをしたのは、校長に任命した当の東京都教育委員会だ。そう、都教委にしてみれば、確かによほどの事情があったのだ。それは、君が代不起立でもないし、体罰やわいせつ行為でもない。この校長先生が自分たちに批判的な意見を言ったという、その一点である。

 きっかけは、都教委が2006年4月に、職員会議で挙手や採決による意向確認を禁じる通知を出したことだった。都立三鷹高校の校長だった土肥信雄さん(63)は「言論の自由を奪う」「民主主義に反する」として校長会で撤回を求め、メディアの取材にもそう答えてきた。そして、定年退職を迎えた09年、非常勤教師に不合格となった。

 土肥さん自身は校長として通知の内容を守っていたし、それを含めて懲戒処分は受けていない。「報復」「見せしめ」としか受け取れないのは自明の理だろう。不採用の結果に納得できない土肥さんは退職後の同年6月、都を相手に1850万円の損害賠償を求める訴訟を起こす。「職員会議での挙手・採決禁止に反対する意見を言ったからといって、ほぼ全員が合格する非常勤教師に不採用にするのは裁量権の乱用で違法」と訴え、採用されていれば得られるはずだった報酬に相当する額の賠償などを求めていた。

 で、判決が1月30日、東京地裁で言い渡された。結果は、請求棄却。土肥さんの全面敗訴である。

 弁護団によると、判決は非常勤教師への不合格について、「意見表明を選考のマイナス評価にしてはいけない」との一般論を述べたものの、マスコミ報道で取り上げられた土肥さんの発言を列挙し、それが良くなかったという趣旨の理屈をつけて、「低い評価は相当」と結論づけた。都教委に公開討論を申し入れたものの拒否されたため、メディアを通じて問題提起して社会全体で考えてもらおうとしたのが、逆に「自分の考えに固執する姿勢」と取られてしまったようだ。

 土肥さんは、校長として最後の卒業式で、卒業生全員の寄せ書きや手作りの「卒業証書」をもらったことなどを紹介して、「生徒や保護者らの高い評価を無視している」とも主張していた。これに対して判決は「生徒や保護者、同僚らの評価を集めるのは困難なこと」「それらを選考結果に反映しなかったとしても、実施要項に反するとは言えない」と退けた。

 あまりに一方的な判断と言わざるを得ない。土肥さんにとってマイナスになる材料を一生懸命に集める時間があるのなら、プラスになる材料を集めるのだって難しくはあるまい。生徒や保護者に聞けば良いだけのことなのだから。

 一方、職員会議での挙手・採決の禁止通知について、判決は「通知の相当性には議論がある」と疑問を投げかけてはいる。しかし、「挙手によって校長の決定権が拘束されていた一部の都立高校の状況を改善し、校長が権限を十分に行使できる環境を整えるため」と必要性を認め、合法と判断した。

 ほかにも土肥さんは、①卒業式での教職員の君が代斉唱について、口頭で職務命令を出したにもかかわらず文書で出すよう再三強要された、②絶対評価とされている教職員の業績評価について、相対評価をするよう干渉された、③文化祭での「考え方が一方的」な生徒の掲示物を事実上禁止する指導によって検閲を強要された、などの具体的な事実を挙げて、校長の裁量権や教育の自由を侵害されたと訴えていた。事実関係に争いがあった部分で土肥さんの主張、つまり都教委の虚偽が認められたところもあるが、都教委の行為が違法と評価されるには至らなかった。

 判決後、東京地裁の門前に出てきた土肥さんは、さすがにやや落ち込んだ様子で「嘘をつく人間が勝って、正直者が負ける、そういう日本の文化で良いのか」と語った。しかし、報告集会ではただちに控訴する意向を示したうえで、「裁判をしなければ事実は闇の中だった。裁判をして良かったし、だから続ける。社会が冷静に判断してほしい」と元気を取り戻していた。土肥さんが言う通り、少なくとも非常勤教師への不合格については、都教委の主張や判決の理屈で多くの人を納得させることはできないのではないか。高裁での審理に注目したい。

 それにしても、平日の昼間にもかかわらず、地裁や集会には土肥さんの教え子やその父母がたくさん来ていた。考えてみてほしい。自分が通っていた学校の校長先生が裁判を起こしたとして、その主張に共感できるとしても、わざわざ裁判所まで応援に行きますか? そこだけ見ても、人の心をつかみ、慕われる何かがあるのだと、想像がつく。そうした経験から土肥さんにも、職員会議での挙手や採決を禁止せず、先生たちが自由に討論したとしても、最終的にはみんなに納得してもらえる形で結論をまとめる自信があったのだろう。だからこそ、禁止の通知に反発したのだと思う。

 逆に言うと、都教委が自分たちと異なる意見が出そうな方法をハナから封じ込めようとするのは、自身の主張の正当性に自信がないからで、それ故、「力」に頼らざるを得ないのだ。もちろん、直接抑圧を受ける立場にいれば笑いごとでは済まないのだけれど、強権的にふるまう姿は滑稽で、なんだかとても可哀そうになってくる。ハシモトさんが、そうならないことを祈りたい。

 この裁判の現場が高校であることの意味も、改めて考えてみよう。土肥さんは「学校に言論の自由がなくなることは、子どもにとって最悪なこと」とアピールしていた。

 校長の、職員室の自由が奪われれば、生徒への影響は不可避だ。「言われた通りにやれ」という上意下達の発想に染まった先生たちは、指示されたこと以外は教えなくなるだろう。一面的な内容しか受け取れない生徒にしてみれば、まず多様な事実や見方を吸収するという、ものごとをとらえるために重要な前提が欠けることになる。

 何より、いろんな意見に触れ、いろんなことを体験し、悩みもがきながら自分の考えを培っていくべき高校時代に、行動や言論を萎縮させるのが良いことなのか。若者の育て方、社会のあり方という視点からも「学校の自由」を見つめ直してみたい。

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大阪府・市での「教育基本条例案」策定の動きを挙げるまでもなく、
各地の学校で教師が「ものを自由に言えなくなる」雰囲気が強まっているようにも思えます。
きちんと自分でものを考え、判断すること。
自分と違う意見に耳を傾けること。
その大切さを身をもって示すことこそ、教師の重要な役割なのでは? と思うのですが…。

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どん・わんたろうさんプロフィール

どん・わんたろう約20年間、現場一筋で幅広いジャンルを地道に取材し、「B級記者」を自認する。
派手なスクープや社内の出世には縁がないが、どんな原稿にも、きっちり気持ちを込めるのを身上にしている。関心のあるテーマは、憲法を中心に、基地問題や地方自治、冤罪など。
「犬になること」にあこがれ、ペンネームは仲良しだった犬の名にちなむ。「しごと」募集中。

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