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2011-07-20up

B級記者どん・わんたろうが「ちょっと吼えてみました」

【第55回】

菅首相は独裁者を気取る前に
「原発は国民投票で決める」と言うべきだった

 1年前に「消費増税」を言い出した時と、とてもよく似ていると思う。菅とかいう人の「脱原発宣言」。あの時も何回か書いたけれど、彼、強い自分に酔っているのだ。だから、まわりのことなんか、お構いなしなのだ。で、混乱だけさせた挙句、1週間も経たないうちに、なでしこと台風にすっかり呑まれてしまった。

 反原発派の間には「菅さんは嫌いでも、脱原発宣言には大賛成」なんて評価する向きもある。しかし、たとえ言っている内容が正しいのだとしても、今回のやり方を許してはいけないと思う。

 だって「独裁者」気取りでしょ。言うまでもなく、今の日本にとって、原発問題は将来の社会のあり方を決める最重要イシューだ。なのに、内閣にさえ、与党にさえ同意を得ていない「個人的な考え」を、さも国の意思であるかのように既成事実化して、とうとうと表明するなんてのは。

 今回の手法を肯定することが、どれほど恐ろしい事態につながりかねないか、反原発の人たちもよく考えた方がいい。もし彼の記者会見の内容が、憲法9条を変えるという宣言だったら? 自衛隊と結託した他国への宣戦布告だったら? 憲法を停止する国家緊急事態宣言だったら? 極端な例かもしれないけど、一度前例を作ってしまえば、絶対にありえないとは言えない。いや、菅氏の性向ならやりかねない。いま、「『脱原発』だから、どんなやり方でもいい」と言ってしまったら、その時にどんな理屈で「首相が個人的な考えを表明すること」をダメと言えるだろう。

 そして何より、真剣に受けとめなければいけないのは、脱原発宣言が逆効果になってしまったことだ。野党、官僚、財界は言うに及ばず、身内の民主党からもバンバンと弾が飛んでくる始末。国民も、しらけている。これから先、徒手空拳で、どうやって脱原発に具体的な道筋をつけるのか。

 原発推進派を侮ってはいけない。「辞め際は穏やかに」とレイムダックの首相を見守っていたのに、唐突に、一方的にああいう宣言をされれば、必要以上の怒りを買うのが世の習いだ。しかも、よく言われる「利権」が絡んでいるのならば、なおさらのこと。陰に陽に、ものすごい巻き返しが起きるのは間違いない。いや、もう始まっていることだろう。

 それに、次の首相候補と言われる人たちで、今回の脱原発宣言に賛同している人、いますか? 「『脱原発』も退陣危機? ポスト菅候補 軒並み否定的」なんて見出しの記事まで載ってしまった(7月17日付・朝日新聞朝刊)。今のままでは、次の首相にいつの間にかウヤムヤにされて、おまけに政権を自民党が取ったりしたら反故にされてしまうかもしれない。彼の宣言が今後の政権に引き継がれる担保は何もないのだ。場当たり的に「長続き」がしない手法を取ってしまった責任は、とても重い。

 実は、政府がストレステストの実施を持ち出した7月上旬、すでに民主党関係者はこんな話をしていた。

 「たっぷり時間をかけて、そのまま来年の春まで引き延ばすって算段みたいだ」

 ご存じの通り、来年の春っていうのは、いま動いている原発すべてが定期検査に入って停まる時期である。それまでにストレステストが終わらないってことは、停まっている原発が全く再稼働できないってことを意味する。ストレステストを経済産業省の原子力安全・保安院だけに委ねるのではなく、何ごとにも時間がかかる原子力安全委員会をかませたのも、停止期間をなるべく長くする狙いから、と語られていた。

 この夏を超え、冬を乗り切れれば、「原発なしで何とかやっていけるじゃん」という世論が高まる可能性は高い。そうなれば、自ずと方向は決まってくる。原発をどうするかを打ち出すのは、その時点で良かったのだ。そりゃ時間は多少かかるが、本気で脱原発をめざすのであるならば、その方がよほど実利的だったと思う。

 当たり前のことだが、国民の間にはさまざまな考えや意見が存在する。原発について言えば、「危険だからすぐになくせ」って人も、危険と経済・生活をはかりにかけて「少しずつなくせ」って人も、社会構造を変えたくないから「なくさなくていい」って人もいる。

 「議論なんて全く無意味だ」なんて、いかにも反原発派らしいご意見が当コラムにも寄せられているが、民主主義の国だったら、少なくとも、まずはどの主張も尊重しなければいけないのは当然の理である。そのうえで、異なる意見の人と同じ土俵で議論し、互いにある程度納得しあって方策を決めるのが、まさに「政治」というものだろう。菅氏には、それが全くわかっていない。

 加えて、国民を味方につける術を模索した形跡が見られない点でも、本当にバカだなと(失礼ながら)思う。だって、民主党にも野党にも官僚にも財界にも賛同されず、それでも自分の思いを貫きたいと本気で考えているのだとしたら、頼れるのは国民しかないじゃん。逆に言えば、国民の多数意思が脱原発だってことが目に見える形で、要は数字で、はっきり示されれば、「菅さんの言っている通り進めよう」っていう大きな根拠になる。原発推進・容認派だって反論できないだろう。

 菅氏は、脱原発宣言をする前に「原発のあり方は国民投票で決めよう」と言うべきだった。原発以外の要素も影響してしまう選挙より、原発に対する正確な民意を反映するためには国民投票である。「日本で初めての国民投票を実現させた首相」なんて枕詞、かっこいいと思うけどなぁ。

 私が原発の是非を国民投票で決めたいと考える理由については、6月の当コラムにも書いたのでご覧いただきたい。肝の部分を再録する。

 「将来の日本社会のありように、私たちの生き方に、密接にかかわってくる原発政策について、反原発、原発容認の両派が『国民投票』という同じ土俵に乗る。たとえば原発をなくすことの、あるいは原発を存続させることのメリットやデメリットをめぐり、データに基づいてわかりやすく主張を展開し合い、討論し、訴える。そうした議論を国民一人ひとりがしっかり受けとめ、深く考え、結論を下す。今のような両派の言いっ放しではなく、政治家が一方的に決めるのでもなく、国民自身が自らの意思で方向を決めるのだ」

 実際に国民投票を実施するとなれば、法律を制定する必要がある。国会議員の間には、国民投票は間接民主制を否定するなんて考える人も多いから、一筋縄では行くまい。

 でも、提唱されているのが法的強制力を持たない「諮問型」と呼ばれる方式でもあり、賛同の輪は静かに広がっている。民主党内には、反原発・原発推進の立場を超えて「原発・国民投票」の実現をめざす議員連盟が21日に発足する。市民団体も活動を始めた。

 原発という極めて大事なことを、もはや政治家に任せてはおけない。首相が演じた今回の茶番劇で、その思いを強くした。国民投票へ向けた今後の動きを、少なからぬ期待をかけて見守っていきたい。

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どん・わんたろうさんプロフィール

どん・わんたろう約20年間、現場一筋で幅広いジャンルを地道に取材し、「B級記者」を自認する。
派手なスクープや社内の出世には縁がないが、どんな原稿にも、きっちり気持ちを込めるのを身上にしている。関心のあるテーマは、憲法を中心に、基地問題や地方自治、冤罪など。
「犬になること」にあこがれ、ペンネームは仲良しだった犬の名にちなむ。「しごと」募集中。

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