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デスク日誌(44)

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殺す軍隊、殺さない軍隊

 

自衛隊は平和日本の象徴かもしれない

  私の尊敬するジャーナリストの一人である早野透さんが、朝日新聞(3月3日)のコラム「ポリティカにっぽん」に、面白いことを書いていた。
 作家・坂口安吾の『堕落論』を引用しながらの、かなり辛口の文章である。

<(前略)石破茂防衛相が「ハイテクの極致」と称えるイージス艦、ハワイのミサイル防衛の訓練に疲れ、艦長が居眠りしている間に千分の一の「親子船」を撃沈してしまうとは!
 「兵は死地なり 神速を貴ぶ」というのに、ただあたふたとするばかりの防衛省を目の当たりにして、にっぽんは名実ともに「戦争のできない国」になったと喜ぶべきか。
 石破氏は「ゆるみか慣れか疲れか。普通の国の軍隊は最高の栄誉があればこそ、厳しい規律で国の独立に身命を賭す」と述べ、自衛隊にもっと栄誉を、こんどの事件も本来なら軍事法廷で裁くべきだ、と言いたげな発言をした。そうじゃあるまい、防衛省は「省」を返上して、「庁」に戻って、顔を洗って出直しますと言うべきではないか。(後略)>

 なるほどね。そうとうな皮肉ではあります。こんなありさまの自衛隊では、とても“戦争”なんてできっこない。

 とにかく、指揮系統がメチャクチャ。
 現場からトップへ情報が伝わるまで、数時間もかかる。トップが言ったことが、その数時間後には否定される。
 ヘリコプターで輸送されたのは、怪我人だったはずなのだが、いつの間にか航海長にすり替わっている。飛ばしたヘリは1機、という報告が、あれよあれよのうちに3機に増えている。
 大臣は大臣で「航海長からは直接事情聴取していない」と言ったのに、その後「いま現在は会っていない、ということで、事故直後に会ったことはある。この説明に矛盾はないと考える」と、なんともまあ、凄まじい言い訳。こんな理屈が通るなら、「おれは、かつては犯罪をしでかしたが、いま現在はしていないから無実だ」という論法も成り立つことになる。

 さらに輪をかけて醜態を晒したのは、増田好平防衛事務次官。記者会見で問い詰められると「あー、うー、えー」と、ほとんど失語症状態。
 その次はお決まりの「記憶にない」の連発発射。さすがに防衛事務次官、連続発射はお手の物。しかし、記憶が定かでない人が、防衛政策の最高幹部なのだから、早野さんの言うように、「とても戦争のできる組織ではない」のだろう。
 ここは、皮肉ではなく喜ぶべきなのかもしれない。

戦争のできない軍事組織

 どこかへ雲隠れしてしまった感のあったイージス艦「あたご」の舩渡健艦長が、衝突後9日目にして、ようやく被害者宅を訪れ謝罪した。
 やっと現れてはみたものの、その後の記者会見がひどかった。
 「それは、まだ調査中なので、コメントを控えさせていただきたい」の一点張り。詳しい事情は何も明らかにしなかった。少なくとも、大事故の責任者なのである。国民に向かって、ある程度の説明は不可欠なはずだ。
 石破大臣が「調査中だから話せない、ではなく、調査中だからまだ真偽のほどは定かでないが、こういう情報もある、というような発表をしていかねばならない」と、最初の段階で述べたことさえ、まるで理解していない。大臣の言うことなど、現場の部下は“聞く耳持たず”である。聞いていないのか、無視したのか。
 これでは“シビリアン・コントロール”など、まったくの絵に描いた餅。
 そして、この艦長、「決して部隊の士気が落ちているとは思わない」と、そこだけは強調して、逃げるように立ち去った。
 こんな艦長の下では、とても戦争などできそうもない。

 「戦争は絶対にしないのだという反戦意識」の下に、自衛隊という“軍事組織”が成り立っているとしか思えない。繰り返すが、それはそれでいいことなのだろう。

 「育った環境が人間を造る」という論理に、多少の例外はあるとしても、私はおおむね賛成する。
 その意味からいえば、自衛隊員はとても平和な環境で育ったから、戦争なんかやる気もないし出来もしないのだ。
 一度も銃火を交えたこともなく、人を殺したこともない軍事組織。言語矛盾ではあるけれど、平和であるからこそ存在できる。
 もしかしたら、自衛隊こそが、日本の平和の象徴なのかもしれない。

国家が若者を壊している

 イスラエル軍が、またもパレスチナ自治区のガザ地区に、凄絶な攻撃をかけた。3月1日から2日にかけての攻撃で、市民30人を含む60人以上の死者が出たという。
 2000年のパレスチナの対イスラエル武力闘争(第3次インティファーダ)開始以来、1日の死者数としては最悪の数だと言われている。
 イスラエルとパレスチナの闘争(殺し合い)は、もうどのくらいの時間が経ったのか、当事者たちでさえ分からなくなっているほどだ。
 つまり、生まれてからずっと、殺し合いの渦中で育ってきた子どもたちが、もう多数を占めていることになる。殺し合いを見続けてきた子どもたちは、どういうふうに育つだろう。怒りと憎しみ、嫌悪と殺意、それらがここで育った子どもたちの心の奥底に巣食っても、不思議はない。

 「やつは敵だ。やつを殺せ」
 戦争の論理である。
 それが、成長過程の子どもたちの心に根付く。


 アメリカは、信じられないほどの数の戦争を戦ってきた。「世界の警察官」を、誰にも頼まれないのに勝手に買って出ている結果だ。
 前線で戦うのは、むろん、大統領でも国防長官でもない。ブッシュもチェイニーもライスも、戦場になんか行くわけがない。
 大学入学資格やその資金稼ぎ、さまざまな資格取得などの甘言に乗せられ、戦場に駆り出された、貧しい若者たちである。
 アフガン、イラクと転戦を重ねる兵士も数多い。

 彼らの帰国後の生活はどうか。
 いわゆるPTSD(心的外傷後ストレス障害)に悩み、犯罪に走る帰還兵が続出していることは、周知の事実である。彼らは、戦場の記憶から脱することができない。
 戦場で扱いなれた銃を使って犯罪を起こし、ドラッグに冒されながら生きていく者も多い。
 人を殺すことが軍隊の役目だ。優秀な兵士であればあるほど、感情を押し殺して、多くの敵を殺さなければならない。その優秀な兵士が帰還後、壊れていく。あたり前といえばあたり前だ。
 その影響かアメリカでは、大学や高校、ショッピングモールなどでの銃乱射、無差別大量殺人事件が続く。壊れた人間が、簡単に銃を手にすることの出来る国。それがアメリカという国家だ。
 国家が若者を壊しているのだ。

殺人経験者が、数万人も存在する国

 例え戦場に於いてだとしても、一度、人を殺してしまった者が、それ以前の生活に、何の迷いもなく戻ることが出来るだろうか。私には、とてもそうは思えないのだ。
 米兵のイラクでの死者は、もうとっくに4千人を超えている。ならば、米兵はいったい何人のイラク人を殺したか。殺された数十倍の人間を殺している。
 イスラエル軍は何人死んだか。そして、果たして何人のパレスチナ人を……。

 人を殺したことのある人間が、数万人単位で存在する国家。それがアメリカやイスラエルという国だ。考えてみれば、なんだか背筋が寒くなる。
 そういう人たちが、普通の人間として、普通の生活を送っている。だが、ある日突然、フラッシュバック(再燃現象)が起き、隠れていた記憶が甦る。それは、PTSDに悩む人には、いつでも起きる可能性のある症状だ。 ある瞬間、自分が自分でなくなる…。
 そして、その結果は…。

 アメリカのミステリ小説を読んでいると、戦地からの帰還兵の犯罪を扱ったものが、いかに多いことか。それが現実の反映であることは、疑いのないことだろう。

 沖縄で続出する米兵たちの犯罪の、無残なありようを見ていると、普通の意味がわからなくなる。

(津込 仁)

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