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デスク日誌(41)

080213up

自由にモノを言いにくい社会
〈そして、またも沖縄米兵による少女暴行事件〉

 日曜日、東京にまた雪が降りました。私は北国育ちなので、この程度の雪に驚くはずもないのですが、なんとなく、白い風景を見ていたら、切なくなりました。
 しばらく続いているちょっとしたウツ状態が、真っ白な故郷を思い出させたからかもしれません。故郷は、出かけるのにも一苦労の深い雪の中。春が来て、雪が溶け、梅の蕾が萌え出すまで、まだまだ長い時間がかかるのです。
 故郷の家族も、知人友人たちも、肩をすくめて暮らしているでしょう。
今年ほど、春が待ち遠しい年もない。

集会すら開けない不自由さ

 でも、私のユーウツの原因は、寒さのせいばかりではないと思うのです。 私たちを取り巻く社会環境が、このところカラカラと音をたてて崩壊しつつあることにも、関連しているような気がします。
 自由にモノが言えなくなる社会が近づきつつある。そこで暮らしていかなければならない私たち。
どうも、落ち込む気分の底には、このところの社会を覆う不自由なムードがあるような気がして仕方ありません。
 例えばこんなこと。

 DV(ドメスティック・バイオレンス = 夫婦や恋人間での暴力行為)を防ごうという趣旨の講演会が、ある団体からの抗議を受けて中止となった、という事件がありました。
 1月20日に茨城県つくばみらい市で予定されていた、DV防止講演会のことです。
 朝日新聞(2月8日)によると「普通の夫婦間に軽度・単純・単発的な『暴力』はあって当たり前。『夫からの暴力根絶』論は、過激フェミニズム」などと書かれた要請書が市に届き、それを受けて市が講演会中止を決定したというのです。
 なんとも、まあ。

 要望書を提出した団体側は「市が中止するとは思わなかった。反対意見と同時に、相手の言論も保障しなければならない。講演会を開催するよう、市に要請したい」(朝日新聞・同)と話しているとのことです。
 抗議した側は「中止せよ」とは言っていないのに、市側が過剰反応したということでしょうか。
いったい何を恐れたのでしょう。
 そんな市の名前が“つくばみらい市”というのは、悪い冗談にしか思えません。なにが“みらい”なのでしょう。あの不気味な“未来”を暗示したSF小説の傑作『1984年』の、出来の悪いパロディです。
 先週書いた「教研集会全体会議」への、グランドプリンスホテル新高輪による会場提供拒否と同じことが、行政の現場でも起きていたのです。

 いつの間にか自由にモノが言えなくなる社会を描いた童話、『茶色の朝』が思い出されます。
「オレにはそんなの関係ねえ」なんて思っていると、あなたもいずれ、何も言えなくなる…。

せっかくの判決も見直しか

 住民基本台帳法という法律をご存知でしょうか。大騒ぎの末、成立した法律ですが、それがどのように使われ、どんなところで役立っているのか、さっぱり分かりません。
 分からないのをいいことに、実は私たちのプライバシーが、この法律の陰で、どんどん侵されつつあるのです。
 当初は全国民の氏名、住所、性別、生年月日などの基本情報を管理するだけ、という説明だったのだが、いつの間にかそれ以外の情報も蓄積されています。
 さらに、納税、犯罪歴、医療、年金などの詳細な個人情報も付加しようという動きさえもあります。
 これに対し「国民総背番号制であり、個人情報をすべて国家が握るのは危険だ」という激しい批判もあり、多くの訴訟が起こされました。

 大阪府の守口市と吹田市の住民が、この住民基本台帳ネットワーク(住基ネット)からの離脱を求めた裁判では、大阪高裁が「住基ネットの違憲性」を認め、住民側が勝訴しました(06年11月)。ところが最高裁判所は、この判決の見直しに踏み出したようです。新たな弁論が開かれたことで「合憲」と判断される見通しが強まったと言われています。
 私たちは国家に監視され始めました。最高裁は、それに「合憲」とのお墨付きを与えようとしているのです。
 あなたが、どんな本を図書館で借り、どんなビデオを観て、どんな集会に参加し、だれと付き合い、所属しているグループはどこか、そんなことまで国家権力に知られてしまう日が、もうそこまで来ているのかもしれません。
 モノが言いにくくなります。
 それを、最高裁が認めようとしているのです。

卑しい政治

 山口県岩国市の市長選挙で、米軍空母艦載機容認派の自民公明が応援した候補が、米軍機受け入れを拒否し続けた井原勝介前市長を1700票ほどの僅差で破って、当選しました。
 「米軍機拒否を貫くなら、米軍再編交付金は支給しない」という政府防衛省の、“札束で横っ面をひっぱたく”作戦が、功を奏してしまったわけです。

 なんとも薄汚いやり方だと思います。
 「金をやるから米軍機を受け入れろ。さもなければ建設途中の市役所への交付金は中止する。いつまでも反対していると、市役所は骨組みだけで雨ざらしだぞ、ザマア見ろ」です。
 交付金の支給で、街を活性化させる。そんなことが長続きするわけはないけれど、とりあえず、目先の利益に飛びついてしまった住民たち。
 それを卑しいとは言いません。卑しいのは、そんな苦渋の選択を住民に押し付け、金が入れば文句はないだろう、という政府や防衛省の態度です。
 国民を金で屈服させる。こんな卑しい政府があるだろうか。
 危険な「米軍基地」をむりやり押し付けておいて、それに反対すれば「じゃあ、メシは食わなくてもいいんだな」。
 これが私たちの政府の本音です。
 金の力で、口を塞がれる不況下の国民。

またも、米兵による少女暴行事件!

 ここまで書いてきたとき、耳にしたくないニュースが飛び込んできました。またも、沖縄で米兵による少女暴行事件が発生したというのです。 ああ、またも!
 そう嘆息するしかありません。

 琉球新報によれば、
 <沖縄署は11日午前2時13分、本島中部に住む女子中学生に乱暴したとして、在沖米海兵隊キャンプ・コートニー所属の2等軍曹、タイロン・ハドナット容疑者(38)を女性暴行容疑で緊急逮捕した。同容疑者は「押し倒してキスをしようとしただけだ。乱暴はしていない」と容疑を否認しているという。調べでは、ハドナット容疑者は10日午後10時半すぎ、北山町の公園先路上に停車した乗用車内で被害者の少女を乱暴した疑い。(後略)>

 仲井真県知事以下県幹部や諸団体は、すぐさま抗議声明を発表しましたが、その表情は一様に暗い。
 かつて1995年、あの少女暴行事件が起きたときの県副知事であった東門美津子氏(現沖縄市長)は、ほとんど泣き出さんばかりに唇を震わせながら、怒りを語っていました。

 何度も何度も繰り返される同種の事件。それは、米軍基地がなくならない限り、止むことはないのでしょうか。

 市長選が終わったばかりの岩国市もまた、同じリスクを必然的に引き受けざるを得ないことになったわけです。
 実は、岩国基地所属のアメリカ兵による女性暴行事件が、起きたばかりだったのです。
 広島市内で、昨年の10月14日、19歳の日本人女性が岩国基地所属の4人の米海兵隊員によって暴行されるという事件が発生しました。屈強なマリンコー(海兵隊員)が4人がかりで、19歳の女性を襲う。
 なにがどうあろうと、絶対に許されることではない。
 誤解を恐れずに言えば、日本政府はその危険性を、岩国市にムリヤリ金で押し付けたともいえるのです。

再編交付金というカラクリ

 沖縄県名護市でも、金にまつわる事態が起きていました。
 日本政府は、米軍再編に伴う地元負担への見返り金を、これまで普天間飛行場の辺野古移転の政府案を受け入れていない名護市には支給してきませんでした。これを一転、支給することに決めたのです。名護市が環境影響評価(アセスメント)本調査に協力する姿勢を見せたからです。
 ここでも、金です。

 とにかくアメリカの言い分は聞く。アメリカの希望を実現するためには、地元の意向よりアメリカの意見を尊重する。言うことを聞かなければ、金で横っ面をひっぱたいてでも承知させる。
 どこの国の政府なのか。

 毎日新聞(2月8日)によると、
 <再編交付金は、①再編受け入れ②環境影響評価着手③工事着工④再編実施―の4段階に分け、進ちょく状況に応じて支給する仕組み。全国36自治体に計46億円の支給が内示されており、名護、岩国のほかにも神奈川県座間市が対象から除外されている>とのことです。
 しかし、このうち岩国と名護は、今回の結果より交付対象自治体となりました。あとは、座間市が残るだけ。
 切ない話です。

「民意」すら、金で買う

 考えなければならないのは、住民たちが最初から「賛成派」だったわけではないということです。
 名護でも岩国でも、最初は圧倒的な票差で「反対派」が勝ったのです。しかし、政府はその民意を無視し続けた。というより敵視し続けました。そして膨大な資金を投入して、反対派の切り崩しを図りました。何度、投票で負けても、政府は勝つまで金をばら撒き続けたのです。
 そして、たった一度の賛成派勝利が、すべての民意の反映であるとして、思い通りの米軍基地政策をしゃにむに推し進めるのです。
 岩国市では過去2度にわたって、「米軍機受け入れ拒否」を投票で決めています。ここで示された、「圧倒的な米軍機拒否の民意」は、日本政府には無視されました。

 「民意を尊重して」と、ことあるごとに政府も政治家も言います。よく言うよ、です。自分に都合のいい結果だけが民意であり、都合の悪い投票結果など民意とは認めない。
 そして、民意すら金で買う。
 “卑しい政治”と書いたのは、そういうことです。

 少しずつ“蜜の味”に慣らされた人たちが、さらなる蜜を求めて、賛成派に転向しました。ほんとうに、全国いたるところで繰り返されてきた事例です。
 転向した人々の心には、苦い思いがいつまでも残るでしょう。決して、自ら喜んで賛成派に変わったわけではないのですから。
 賛成派反対派入り乱れて町が二分され、お互いが口も聞かない関係になった、などという話もよく聞きます。
 金で地域を壊していく。そんな政府の行うことが、リッパな政治と言えますか。

憲法19条「思想及び良心の自由」は…

 でも、少しはいいこともありました。
 ほんとうに、少しですけど。

 東京の都立高校の卒業式などで、「君が代斉唱時に起立しなかったことを理由に、退職後の嘱託職員採用をしなかったのは違憲だ」として元教諭たち13人が東京都に慰謝料を求めていた裁判で、東京地裁は「職務命令違反をあまりに過大に捉えており、裁量を逸脱している」との判断で、原告13人に計2700万円の慰謝料を支払うよう命じました。
 まあ、「そのやり方はあんまりだよ。少しは考えなさいね」と東京地裁が、東京都や都教育委員会に釘を刺した、ということでしょう。それほど、東京都のやり方は眼に余るものだったといえます。とりあえず、原告側の“勝訴”です。

 しかしやはり、“いいことは少し”なのです。 なぜなら、この判決で裁判長は「君が代斉唱時での起立を命じた職務命令は、憲法違反にはあたらない」とも述べているからです。つまり、「思想及び良心の自由」を保障した憲法第19条には反しない、との判断を示したのです。
 ここでも、憲法の精神は風前の灯です。
 でも、こんな程度の判決でさえ、上級審では覆されかねません。今までの事例を見ていれば、そう思わざるを得ないのです。

 政治は国民を金で左右する。裁判所はそれを追認する。これが、現在の私たちの国です。

 私のウツ気分は、なかなか収まりそうもありません。

(小和田 志郎)

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