070912up
この原稿を書いているのは、9月11日です。世界の様相を一変させたあの巨大な2棟のビルの崩壊から、もう6年も経ってしまったのですね。
ほんとうに、世界は変わってしまいました。それも、決していい方向へではなく、悲惨な戦火と血と慟哭の地平へ、と。
2日前の深夜、突然、歯痛に襲われました。眠れなくなりました。
昨日は、頬っぺたに氷をあてて我慢しました。歯医者さんに行くのが、実はコワイのです。
本日、朝いちばんで歯医者さんに電話しました。強引に午前中の予約を取りつけて、歯医者さんに飛び込みました。我慢できなくなったのです。
「これは、親知らずのせいですね」と、言われました。
「この歳(いくつかは、個人情報秘匿のため明かせません)になって親知らず、ですか」と思わず出かけた愚痴は、口にはしませんでした。
それにしても、歯医者さんに限らずお医者さんというのは、こんなときは神様に見えますね。あれだけ痛かったのが、一回の治療でなんとか治まってしまうのですから、思わず手を合わせたくもなります。
そんなわけで、親知らずを抜歯。血止めの脱脂綿をくわえながら、この原稿を書いています。
私の、情けない9.11です。
むろん、安倍晋三首相のことです。
骨の髄からのアメリカ崇拝。国民の総批判を受けてもなお、日米安保にこだわった祖父岸信介元首相の選んだ道を、どうあっても受け継ぎたいらしい。
安倍首相にとって“歴史に名を残す”ということは、どんなに国民からNO!を突きつけられようが、おじいさんの真似をする、ということでしかなかったようです。その結果が「参院選での歴史的な惨敗というNO!」だったにもかかわらず。
安倍首相、オーストラリアでのASEAN会議後の記者会見で、「国際公約となっている以上、国際的な責任を果たすべく、なんとしてでもテロ特措法の延長を実現したい」と語り、さらに「そのことに職を賭す」と明言しました。さらにさらに「職責にしがみつくつもりはない」とまで、言って“しまいました”。
“しまいました”と書いたのには理由があります。安倍首相が「そのつもりもないのに、つい、言ってしまった」のではないかと思うからです。
おおかたのメディアの論調は「安倍首相は、職を賭しての最後の賭けに出た」とか「安倍首相の不退転の決意の表れだ」などというものが大半です。
しかし、私にはどうもそうは思えない。実は、メディア関係者の中にも、“安倍首相の決意”なるものに疑いを持つ人はかなり多いのです。
「あれは、安倍総理が思わず口走ったもので、深い決意があってのこととはとても思えない。事実、安倍総理のこの一連の発言を、同行していた側近の誰も知らなかった。また、麻生幹事長や与謝野官房長官ら政府与党幹部たちにも寝耳に水だった。
これまでの安倍総理のやり方からして、まったく誰にも相談せずに自分だけの政治的決断で物事を運ぶということは、まず考えられない。そんな強い政治力は、もう安倍総理にはない。
最初の頃の安倍さんの強い姿勢は、小泉さんのまったくのモノマネにすぎなかった。そのモノマネの衣がもう破けてしまったということだ。
ある自民党幹部は、『殿ご乱心、だな』と不愉快そうに吐き捨てていた。
にっちもさっちもいかなくなって、その場の雰囲気に乗せられて、つい強いことを言ってみた、というのが真相ではないかと思う」
以上が、私が聞いたある政治記者の率直な感想です。同様の感想を、別のジャーナリストからも聞いています。これらがメディアの中での多数意見だとは思いませんが、かなりの説得力を持っていることも事実なのです。
「一国の首相ともあろうものが、その場の思いつきでモノを言うだろうか?」という疑問はもっともです。しかしこの発言、出だしからしておかしかった。
「国際公約となった以上」と安倍首相は言いました。しかし、国際公約に誰がしたのか?
安倍首相本人が、自分からブッシュ大統領に向けて言って“しまった”だけのことだったのです。ブッシュ大統領の強い要請に、唯々諾々と応じてしまったことを「国際公約」という言葉で繕っただけではありませんか。実はこれは「国際公約」でもなんでもない。「アメリカにいい顔をしたいためのお約束」に過ぎません。
これまで、「日本がアメリカの艦船に給油することは『国際公約』である」などと言った人や国などありません。安倍首相が、例によってASEANの場でブッシュ大統領に要請され、気に入られたい一心で「国際公約」と口走ってしまっただけのことです。国際公約でもなんでもなかったものを、安倍首相本人がつい“口走って”「国際公約」にしてしまったのです。
そして、発してしまった言葉に重みをつけようと思って重ねたのが「職を賭して」という発言です。
これもまた、考え抜かれた発言とは思えません。「全力を挙げて努力する、というほどの意味でしょう」と、麻生幹事長にまで評される始末。つまり、麻生さんも本気では受け取っていないということです。
さらにみっともないのが「職責にしがみつくということはない」と言葉を重ねたことです。
(「職責にしがみつく」なんて言葉は日本語になっていない、という批判をいまさら安倍さんにぶつけても無意味です。この人、奇妙な日本語大賞候補では、常に上位ランク者ですから)
実はこの発言は、記者から「職を賭してということは、テロ特措法が通らなければ解散か総辞職をする、ということなのですね」と突っ込まれて、すぐに答えることができず、数十秒間の沈黙の後にようやく吐き出された言葉だったのです。
自分が発した言葉の中身を問いただされて、とっさには答えられずに苦し紛れに投げ出したのが、この「職責にしがみつかない」という奇妙な日本語です。
もし本気で突っ走る覚悟があるならば、「その場合には当然、解散総選挙で民意を問います」ぐらいの答えがあってしかるべきでしょう。そんな気はさらさらないのだから、職責云々という、どうとでも取れるような曖昧な答えしか出来なかったのです。考え抜かれた答弁だとは、到底思えない。
思いつき、苦し紛れ、言い逃れのとっさの返答。これで安倍首相は自縄自縛に陥りました。
答えを得たメディアは、取材した記者たちの心象はどうあれ、とにかく「安倍首相は、テロ特措法がと通らなければ解散か総辞職すると言明」との記事を書き、ニュースを流します。
現場でこの発言を聞いた記者たちも、瞬間ポカンとしたらしい。これが安倍首相の本心からの発言ではなく、とっさの言い逃れに過ぎないことを感じ取ったからでしょう。しかし、いったん吐き出された言葉を、もう一度口の中に戻すことはできません。
不用意な発言を突かれて、さらにデタラメな発言を重ねる。そして、それが既成事実化され、進退窮まる。
中身のない言葉が陥る暗い大きな穴です。
こういう現象を「自ら墓穴を掘る」と言います。
深い意味を考えることなく、思いつきで発言する。そして、発言の真意を問われ、その責任を追及されると、適当な言葉で繕ってごまかす。
これが、小泉前首相から学習した安倍“現”首相の政治手法でした。しかし、安倍さんの場合、小泉劇場の再現はできませんでした。役者が違ったのでしょうか。
そのいちばんの失敗例が、参院選での安倍発言です。
「今回の選挙は、小沢さんを選ぶのか、わたくし安倍を選ぶのかの選挙です」と、深い考えもなしに口走りました。やはり「それくらいの決意で選挙に臨む」というほどのつもりだったようです。「参院選は政権選択の選挙ではない」と、当の民主党さえ思っていたというのに、安倍さん、自らの軽率発言で自分を身動きが取れない状態に追い込んでしまったのです。政治的センスのかけらもないと言わざるを得ません。
国民にどちらを選ぶかと問うのは、どちらに政権を任せるかを問うたことと同じです。ところが安倍首相は何も考えてはいなかった。選挙演説の昂揚した気分の中で、つい口走っただけに過ぎなかったのです。
だから、どんなにその責任を追及されようが「わたくしの任務は、新しい国を国民のみなさまのために創ること」などと、誰も頼んではいない「新しい国創り」とやらを言い立ててごまかしてしまう。もう、誰も騙されやしないというのに、ご本人だけがまだ気づいていないという“とてつもない”喜劇。
安倍首相。テロ特措法が通らなかったら、今度はどんな言い訳で逃げようとするのでしょうか?
繰り返しますが、安倍首相が本気で首相の座を賭けてまで、テロ特措法にこだわっていたとは、私には思えないのです。つい口走った発言を繕うためにさらに妙な発言を重ね、身動きが取れなくなってしまっただけ、としか見えません。
それでもいずれ近いうちに、辞めざるを得なくなるでしょうけれど、それは“身から出た錆”です。
喋りながら興奮して、どんどん発言がエスカレートしていく、というタイプはけっこう見かけます。テレビの討論番組などで喚きたてる人、いやですね。
安倍首相は、どうもそういうタイプの人間らしい。軽く喋ってことをどんどん大きくしてしまい、結局、どうにもできなくなる。涙目で淋しげな表情を浮かべたからって、許されるものではありません。
こんな危なっかしい人が、私たちの国の総理大臣なのです。そうとうに背筋が寒くなります。
あなたの周りにもいませんか、そういうタイプ。
酒場での議論なら笑って済ませもしましょう。しかし、ことは政治です。
国際的な公約を、個人の約束と取り違えてしまうような人物は、それこそ国を誤らせることになりかねません。
(小和田 志郎)
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