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デスク日誌(9)

070613up

ささやかな幸せの陰に

<9>の庭で

 自宅の庭を模様替えしました。ほんの小さな、それこそ「猫の額」ほどの庭ですが、妻が好きな花をたくさん植えて、野良猫と一緒に楽しんでいます。彼女の、ささやかな幸せの時間だそうです。  もうじき梅雨です。それまでに根付くようにと、近所の花屋さんからいろいろな花の根や、小さく芽吹いた草花などを買い込んできます。また、ちょっと遠出して、ホームセンターの花売り場を見て歩くのも、最近の楽しみの一つになりました。

 妻が花を植えているそばで、私は不器用な日曜大工、椅子やテーブルを作っては一人、悦に入っています。ずいぶん前の廃材や、ホームセンターで買ってきた木材などで、かなりガタガタではありますが、それなりに頑丈な椅子とテーブルができあがりました。それに座って庭でビールを飲むのが、これまたささやかな至福の刻です。

 気がつくと、妻は庭の真ん中に、レンガを敷いて円形の道を作っていました。そして、円の中にいろんな花を植えていたのです。

 「せっかくだから、その円に足をくっつけて<9>の文字を作ったら?」と、私は提案してみました。

 「それはいいかも。9条の9というわけね」

 ということで、写真のような妙な庭ができつつあります。これはこれで、二人とも、まあ今のところ気に入っています。いずれ、草花が大きくなって葉が茂ると、その9の文字は葉陰になって見えなくなってしまうでしょうが、それまでは道行く人の目に、不思議な形として残るでしょう。

 「これ、何ですか?」

 「9条の9のつもり、なんですけどね---」

 「あの憲法9条ですか?」

 などと、少しは「マガジン9条」の宣伝にもなるかも、なんてことも考えています。そこから話が弾めば、この庭もそれなりの役目を果たすことができるというものでしょう。

不気味な報道

 そんなとき、とても厭なニュースを知りました。

 自衛隊情報保全隊という組織が、国民の「反自衛隊活動」を調査していた、というニュースです。

 共産党の独自調査で明らかになったということです。

私はかねがね、共産党の調査能力には大いに感心していたのですが、これは相当に凄いスクープです。そういえば、偽装請負に関しての労働実態調査も、共産党機関紙『赤旗』が頭抜けていましたね。これからも、隠された情報をぜひ、すっぱ抜いてください。

 とまあ、共産党には敬服するのですが、それにしてもこの自衛隊の動きは不気味です。

警察(特に公安)が、反政府活動調査に躍起になっているのは、かなり前からその非合法的手段も含めて話題にはなっていました。しかし、自衛隊までが同様の活動を行っていたとは、まさに見過ごせない事態です。

 それも、久間防衛大臣や守屋防衛事務次官などが弁解するような「自衛隊の活動を阻害するような動きを監視する」だけではなく、年金問題や増税反対などの日常的な市民活動をすら監視していた、というのが重要な点です。

 これは、自衛隊が「反自衛隊活動」だけではなく、明らかに「反政府活動」(とまでいかないようなささやかな運動)すらも監視対象にしていた、ということになるからです。つまり、自衛隊では「反自衛隊」と「反政府」が、意識的に一緒にされていたのです。

 政府を批判する人間は監視する、ということです。すなわち、政府に批判的な言動をする者は、自らの敵である、と宣言したに等しい。

自衛隊の「自」とは誰のことか?

 

「軍隊は国民を守るのではない。政府を守るのだ」と言われます。それを見事に証明してくれたのが、今回のニュースです。

 自衛隊とは、「自らを防衛する部隊」です。

 私たちはこれまで、政府からそのように説明を受けてきたはずです。だから「自ら」とは私たち自身、つまり日本国の主権者たる「日本国民」だとばかり思ってきました。つまり、自衛隊とは私たち国民を守ってくれる組織なのだと思い込んできたのです。

 しかし、「自ら」の「自」は、「自国民」の「自」ではなく「自国政府」の「自」に過ぎなかったのです。

 もし国民が政府に歯向かうのであれば、いつでもその銃口は国民に向けられる。それを図らずも露呈したのが、この自衛隊による「反自衛隊活動調査」だったというわけです。

国家が持つ唯一の武装組織が、ついに「反政府活動」に目を光らせ始めた。こんな不気味な話はありません。

 そういえば、あの沖縄の辺野古沖での海洋調査に、自衛隊が乗り出すという事態も起こっています。自衛隊が国民に向けて、その実力を行使し始めたのでしょうか。防衛省に昇格したことによって、本性を現し始めたということなのかもしれません。

 これも安倍晋三首相の言う「戦後レジームからの脱却」路線の流れだとしたら、ほんとうに安倍首相の罪は底知れません。

「反日」と「政府批判」の意図的混同

 

 どうにも合点がいきません。

 政府を批判する、ということが、なぜこれほどまでに監視対象にされるのでしょうか。

 「イラク戦争反対」や「イラク派兵反対」が、なぜ「反自衛隊」になるのでしょうか。その大部分は、政府のイラク政策に反対するのであって、別に自衛隊を誹謗中傷するような運動ではなかったはずです。

 最近やたらと幅を利かせているのが「反日」という言葉です。この言葉が書店の棚でも氾濫しています。元気のいい右派系雑誌の見出しにも「反日」の文字が溢れています。

 この「マガジン9条」でさえ「反日」のレッテルが貼られたことがありました。このサイトは、ただ「日本国憲法第9条は素敵だ。なんとかその考え方を残し広めていきたい」という意見に賛同した人たちの集まりです。ただそれだけのことが、なぜ「反日」になるのでしょうか。

 「国家の基本法である憲法を守れ」ということが「反日」であるならば、その基本法に基づいて行われているこの日本という国の、あらゆる法律や行政は「反日」ということになってしまうではありませんか。

 日本国の公務員は「憲法尊重義務」を負っています。公務員に就職するときには「日本国憲法を守ります」と宣誓しなければならないのです。むろん、国会議員などの特別公務員には、もっと厳しく「憲法遵守義務」が課せられているはずです。

 それなのに、「憲法9条を守ろう」というだけのことが、なぜ「反日」にされてしまうのか。

理解できません。

 現在の与党自民党安倍晋三内閣は「憲法改定」をぶち上げています。私は、そんな安倍内閣の改憲路線には強く反対します。その意味では確かに、「反自民党内閣」です。だからその一点で「反・現政府」と言われても仕方ありません。甘んじて受けます。

 だからといって、それが「反日」では絶対にありません。

 私は、自分が生まれた故郷をほんとうに愛しています。だから、その故郷のある日本を、世界中から愛されるような国にしたいのです。そのためには、憲法9条が必要だと考えています。

 決して戦わないという宣言、それが9条です。9条があるからこそ、世界中に胸を張って日本という「不戦の国」を誇れるのです。 それが、私にとっての「日本の誇り」です。

 「マガジン9条」に集まっている人たちも、思いは同じだと思います。

 「反日」という言葉で他人を罵倒する方たちは、そのあたりの意味を深く考えたことがあるのでしょうか。

 彼らは、故意に「反日」と「反政府」を混同しているような気がして仕方ありません。政府を批判する権利を持つことなど、民主主義の基本ではありませんか。

 繰り返します。私は現政府(特に安倍内閣の改憲路線)を批判しますが、自分を含む日本という国そのものを批判などしてはいないのです。 言葉は、厳密に使わなくてはなりません。

 中原中也が書いています。

「言葉は生き物だ。いじくりまわせば死ぬ」

 そんなことを考えていました。

 家の庭は「9」の文字。まだ葉陰にはなっていませんから、家のそばを通る人たちには、9の文字がはっきりと見えます。

 「この家の人間は、9の文字をこれみよがしに作っている。こいつは、監視の対象にしなければならない」

 この先、そんなことにはならないと、誰が確信をもって言えるでしょうか。

(小和田志郎)

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