070530up
松岡利勝農林水産大臣が自殺した。多くの疑惑をひきずったまま、その口は永遠に閉ざされた。結局、いつもと同じように、なんら本当のことは私たちには分からないところでの、幕引き。
どうにもやりきれない。
この話、あまり書きたくはない。
けれど、避けて通るわけにもいかない。
やはり、責任は安倍晋三総理大臣が取るべきだ。松岡氏の死の最大の責任者は、安倍首相である。
なぜ安倍首相は、疑惑の集中砲火を浴びた松岡大臣を庇い続けたのか。というより、なぜ松岡大臣を罷免しなかったのか。
これほどの疑惑にまみれていれば、辞めさせることが当然ではなかったか。しかし、安倍首相はどうしても松岡大臣をクビにはできなかった。なぜ?
すべて自分の保身のためだ。
安倍首相は、別に松岡大臣をそれほど大切にしていたわけではない。松岡氏はとりたてて思想的に安倍首相に近かったわけではないらしい。というより、この人には明確な思想などあまりなかったようだ。ただひたすら、安倍首相誕生へ向けて汗をかいてくれた、そのことへの安倍首相からのお礼、いわゆる論功行賞で大臣の座を射止めた人だったのだ。
松岡氏の大臣就任の報を聞いて、「これは危ない。安倍さんは何を考えているのか?」と疑問を呈した幹部が、自民党には大勢いた。それほどに、松岡氏の身辺には金銭にまつわる疑惑が取沙汰されていた。これは、実は永田町界隈では常識だったのである。
それほどの人物を、自分の総裁選に頑張ってくれた、というただそれだけの理由で大臣に登用したのは、安倍晋三ご本人。
安倍内閣は、出だしから躓いた。佐田行革担当大臣の辞任、本間税調会長のスキャンダル辞任。それらも影響して、内閣支持率は低下の一方。当然、安倍首相の「任命責任」を問う批判的な声は高まった。
続けて松岡大臣を罷免することは、さらに自らの「任命責任問題」に発展することは当然だ。つまり、安倍首相は松岡大臣を庇ったのではなく、自分の責任問題になることを回避しただけのことなのだ。
その後、強硬右派路線に転換を図って、ようやく少しだけ内閣支持率には回復の傾向が見え始めた。しかし、やっと持ち直したと安堵したのもつかの間、松岡大臣をめぐる疑惑は、ついに緑資源機構の談合問題へと発展する様相を見せ始めた。松岡氏の地元・熊本への捜査の手が伸びたのだ。
松岡大臣は、追い詰められていた。何もかもぶちまけよう、という心境になっていたらしい、という観測もある。
しかし、「国対や上のほうから、何も言うなと圧力をかけられていた」と、盟友・鈴木宗男氏がバラしている。
かくして、松岡大臣はにっちもさっちもいかなくなったのだ。
持ち主不明の年金記録が5千万件もある、という驚くべきデタラメぶりが明らかになり、安倍内閣の支持率はまたも急落。ある新聞などは「内閣発足以来、最低の支持率」と報じている。
ここで松岡大臣に洗いざらいぶちまけられては、内閣としてはたまったものではない。支持率はさらに落ち込むのは火を見るより明らか。とにかく「何も話すな」とプレッシャーをかけ続けたのである。
安倍首相は松岡氏の死後の記者会見で「捜査当局が松岡さんを捜査対象としていたという事実はない」と述べた。
これはおかしい。
首相が捜査当局の動向について具体的に言及する、などということはきわめて異例だし、また、そんなことに首相たるものが口出ししてはならない。それは当然のことだ。なぜなら、そうすることは、権力サイドの捜査当局への圧力と受け取られかねないからだ。にもかかわらず、安倍首相は口走った。きちんと物事を考えていない証拠である。
実際は、捜査当局は、かなり高い確度で「松岡事情聴取」から「逮捕」までを視野に入れた捜査を行っていたようだ。もし、それを知った上で安倍首相が話したとすれば、それは明らかな権力介入であるし、知らずに口走っただけだとすれば、ほとんど政治家失格である。
松岡氏の死。その最大の原因を作ったのは、誰がなんと言おうが、安倍晋三首相、その人である。
人物評価をきちんとすることも無しに、総裁選に尽力してくれたからという理由だけで、まるでご褒美をあげるように大臣の座を与えた。安倍首相にとって、大臣の座などというものは、それぐらいに軽いものでしかなかったのだろうか。
そして、本来ならば疑惑の主として罷免しなければならないような状況に陥っても、自分に累が及ぶことを避けるのに汲々として、ついにその疑惑大臣のクビを切ることもできなかった。
松岡氏にとって、座るべきではない椅子に座ってしまったことが、悲劇の始まりだった。そして、その悲劇を回避できたにもかかわらず、自分の身を守ることだけしか考えられずに、回避策をあえて取らなかったのが、安倍首相だったのである。
松岡氏の死の責任が誰にあるのか、明らかであろう。
(津込 仁)
ご意見募集