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2011-01-12up

Kanataの「コスタリカ通信」

#019

「平和憲法」を持つ国、コスタリカ

コスタリカ大学内の張り紙。「コスタリカとラテンアメリカから米兵を追放するために」と書かれていて、今回の協定の内容や反対集会の時間などが書かれている。

 昨年7月、コスタリカ政府は12月末日までの約束で、麻薬取締のためにアメリカからの兵士12,207人を乗せた船の入国を認めました。兵士たちとともに軍事船46隻、ヘリコプター180機、さらに魚雷やミサイルなどの武器も運び込まれています。今までも、他国の船舶停泊の申請があった場合、コスタリカ政府は認めてきました。これは憲法にも定められていることです。しかし、コスタリカの領地内で武装した兵士による作戦が実行されることは認められていません。

美術館にある広間。四方がコスタリカの歴史を刻んだ作品になっている。

 この一件に関して、両国間で結ばれた協定は違憲であると裁判所に訴えた弁護士ロベルト・サモラさんにお話を聞いてきました。コスタリカには最高裁判所の中に憲法小法廷という組織が存在します。ここへは24時間365日、国民が生活において人権を侵害されたと感じたことや政府が行ったことについて「違憲だ」と訴えることができ、7人の裁判官によって判決が下されています。なぜこのようなシステムになっているかというと、「人権保護にはスピードが求められるから」と3年前私がコスタリカを訪問した際のメモには書いてあります。当時の様子だと、それでも裁ききれない程、訴えの件数が多いようなので、そのことも関係しているのだと思います。

先日サンホセであったコスタリカの伝統工芸品であるカレタ(飾り牛車)のお祭り。今でも、さまざまなものを運ぶ時に使われている。この日は、多くの牛、カレタ、牛飼いが田舎からやってきて、街を行進する。

 ロベルトさんは自身が学生の時、イラク戦争に賛成した当時のコスタリカ大統領をこの小法廷にて訴えた裁判の原告の一人でもあります。その時は勝訴し、裁判所が大統領に違憲判決を下しました。ただ当時は、世論のほぼすべてが大統領に反対していたことや、ロベルトさんの推測によると、大統領自身も本当は賛成表明を出したくなかったなどという状況も大きく関係していたと考えられます。現在は、やはり裁判所は政治に関わることには判決を下しにくくなっているようです。

カレタをひく牛。アイラインをひいたようなぱっちりの目。田舎から連れてこられて、人のたくさんいる街のど真ん中を歩かされて、困惑している。それをひっぱるのはまだ子どもの牛飼い。

 彼は、なぜ今回の一件が憲法に違反しているのかということを、条文を紹介しながら丁寧に説明してくれました。以下の三つの理由から、政府が為すべきことを怠り今回の協定を結んだことは違憲であると言います。

(1)他国船舶の停泊は認められている(憲法121条5項や国際法により)が、武装した勢力による作戦実行(他国に攻められている時以外)は認められていない。
(2)軍隊ではなく、「必要な」警察力を保持する(憲法12条)と定められているにも関わらず、麻薬問題を解決するために「必要な」警察をコスタリカが持っていないことは違憲である。
(3)コスタリカは民主主義の国であり(憲法1条)、選挙により国民が政治に参加するシステムを持たなければいけない。この民主主義の国では、警察は国内の脅威から国民を守るために存在し、軍隊は他国の脅威から国民を守る時に存在しうる。麻薬問題は国内問題であるため、軍隊ではなく警察が対応しなければいけない問題である。

 決して優勢な状況ではないというけれど、自分が信じることをやっている彼の言葉はとても力強かったです。政府とは、ときにおかしなことをするものだけれど、その時には国民がストップをかけることができる。それを可能にするのが、国家をしばる憲法。そして国民の「おかしい」という声を受け入れる場所や機会をつくることも国の役目である。憲法はこうやって「使う」ものだということを初めて実感しました。

使い込まれたカレタ。ただの飾りではなく、今も生活のために使われているから、味わい深い。カレタで美しいのは外見だけではなく、音。カラン、コロンという音が響く。それぞれのカレタで音が違っていて、昔はその音を聞いて、自分のお父さんが仕事から帰ってきたのが分かったそうだ。

 このように平和のために実際に行動をしている方のお話を聞く機会に恵まれたのですが、そもそもコスタリカ人の平和への考え方には、日本との違いを感じました。こちらでコスタリカ人と平和について話したとき、「あなたのイデオロギーや平和への考え方はいつも第二次世界大戦につながっているね」と言われました。自分自身では、そのことをあまり深く考えていなかったし、そうであることがわたしにとっては普通だったので、コスタリカ人はそう感じるのかと驚きました
 第二次世界大戦での死者の数の違いを考えても当然と言ってしまえばそうなのかもしれませんが、わたしたち日本人にとっての戦争や平和というものはこの戦争に確実につながっているということを、ここにいてコスタリカ人と話すと改めて気付かされます。よく考えてみると、日本ではあの戦争を忘れないように数年に一度は、その時代を取り上げた映画がつくられたり、テレビドラマが放映されたりしています。
 一方、コスタリカ人の平和への考え方は戦争に根付いていないということが特徴的な気がします。1948年に軍隊をなくすきっかけとなった、約2000人の死者をだした内戦の悲惨さを語り継ぐといった活動や教育はなされていないように感じました。というのも、平和について話すときに、内戦の悲劇について語っている人にほとんど会ったことがないからです。内戦で戦った人は英雄みたいに思われている部分もあるのですが、内戦のおかげで不正選挙がなくなったし軍隊もなくなったので、内戦があってよかったと考える人も多いようです。

牛に乗っている女の子たちは伝統的な衣装を着ている。このカレタにはたくさんのランが描かれている。

 とにかくコスタリカ人にとっては、なんだか軍隊がないのが当たり前すぎて、特によく考えもしないという人が多いように思います。でも、多くの人がコスタリカに軍隊がないことを誇りに思っているし、それがコスタリカ人としてのアイデンティティーだと言う人も少なくありません。だからコスタリカ人は「戦争」と言われても、身近な誰々から聞いた体験や具体的なイメージというのは湧かないのだと思います。
 コスタリカを研究している方で、この平和への考え方の違いをコスタリカは平和を肯定する考え方で、日本は戦争を否定する考え方をしていて、私たち日本人の考え方は「では、どうするのか」という指向性に欠けていると表現している方がいます。
 それでは、コスタリカの持つ平和への肯定での考え方に欠けているものは何か。それはきっと戦争という体験をしている人への共感です。軍隊について語る時、他国の戦争に賛成するかどうかを語る時、コスタリカの人々は「戦争なんてばかげている」とか、「自国へ危害が及ぶかもしれない」と言います。戦争の経験がないことはもちろん素晴らしいことで、自国の安全が何よりも一番大事です。
 わたしにも戦争の経験はありませんが、他国で起きている戦争の話を耳にする時、沖縄の米軍基地の話を聞く時、わたしはいつも身を削るような思いで沖縄戦の経験や被爆した経験を語ってくれた人々の声が頭に浮かびます。そして、使命感のようなものに突き動かされて、「では、どうするのか」を考えます。
 日本とコスタリカでは「平和憲法」を持った歴史が大きく異なっています。条文を持っているという事実よりも、それをどう使ってどういう国になりたいかということが大事であるとこちらに来てから強く感じています。わたしたちはわたしたちの生きてきた歴史の上にしか生きられないのだから、何度でもそこに立ち戻って、そして、どう生きていくのかを見出していかなければならないのだと思います。

先日行ってきた、イラス火山の写真。イラスとは先住民の言葉で雷を意味するらしい。

 こちらに来てもうすぐ1年が経ちます。19回にわたって、コスタリカでわたしが感じたことや考えたことを拙い言葉ですが、こちらで連載させていただきました。この「コスタリカ通信」を書くことで、良い意味で「考え続けること」がやめられなかったことは、納得のいく1年を過ごすことにつながりました。考えること、伝えることを日本に帰っても続けていきたいと思います。今までお付き合いいただき、ありがとうございました!

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今回が最終回の「コスタリカ通信」。
コスタリカから原稿と写真を送ってくれたKanataさんは、
まもなく日本に帰国されます。
Kanataさん、1年にわたりありがとうございました!
コスタリカが身近になりました。
みなさんも、感想やご意見をお寄せください。 ツイッターでも待ってます。

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KANATAさんプロフィール

Kanata 大学を休学して2010年2月から1年の予定でコスタリカに滞在。日本の大学では国際学部に所属し、戦後日本の国際関係を中心に勉強をしている。大学の有志と憲法9条を考えるフリーペーパー「Piece of peace」を作成し3000部配布した。
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