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2010-11-03up

Kanataの「コスタリカ通信」

#017

コスタリカでの映画鑑賞

 7月頃に、数少ないコスタリカ映画を観ました。「A ojos cerrados」(眼をつぶって、といった意味)というタイトルの映画で、「今までのコスタリカ映画で一番いい映画」といった宣伝文句で新聞やテレビ番組でも特集などが組まれていました。実際に観に行ってみると、他のアメリカの映画やアニメーションに比べて、とても小さな上映室で上映され、あまり人気はないようでした。

「A ojos cerrados」のポスター。孫と祖父が向かい合っているシーン。

 普段の宣伝や新聞を見ると、コスタリカで上映されているほとんどの映画はアメリカのもので、ホラーかアクションかアニメーションがほとんどです。映画館で予告を見ていても、アメリカ人的な笑いのツボだなと感じます。例えば、アニメーション映画で主人公が道を歩いていたら、いきなり上から何かが降ってきてつぶれてしまったシーンなどで声をあげて大笑いをします。

先日行ったモンテベルデの博物館で見た、ヤドクガエル。1cmくらいだが、強力な毒を持つカエルもいるらしい。

 テレビを観ていても、日本で言うメロドラマをたくさんやっていて、多くがメキシコやコロンビアのもののようですが、ドロドロした恋愛関係や激しい感情表現を観るのが好きな人が多いようです。以前にもコスタリカ映画を観たことがありますが、油田開発問題にフォーカスした作品のはずなのに、それについての描写よりも突然現れた実の妹と夫が関係を持ってしまったという恋愛の描写の方が多かったり、メインの役者がすべて外国人だったりして、とても驚かされました。

先日、マヌエルアントニオ公園で見た野生のミツユビナマケモノ。まるでポーズをとっているかのように、この姿勢で眠っていた。

 そういった中で、今回の映画を観たのでどんなものかなととても期待していました。コスタリカで暮らす祖父母と孫について描かれたもので、突然祖母が死んでしまったことで幸せだった3人の生活は終わり、祖父は「眼をつぶった」ように何も感じないようになってしまい、その祖父に付き合ったことでバリバリキャリアウーマンだった孫も職を失ってしまう。でも、最後はまた二人で生きることを決意するというような内容でした。それぞれのシーンのつなぎに暗転が多かった気がしましたが、多くのコスタリカ人が好むような目が離せないようなストーリー展開はなく、とても静かで突然やってくる死についてじっくりと考えることを目的としているように感じられました。上映後のお客さんたちの反応は「おばあさんが死んだ以外何もなかった」「観てるこっちが眼をつぶっちゃうわ」というようなものでした。多くの人々が映画に求めるものは強い刺激や笑いである現状の中で、価値観や考え方について語りかけるような映画が受け入れられるのに時間はかかってしまうかもしれません。コスタリカ映画が新しい価値観を目指していくために、今回のこの作品には大きな意味があったのではないかと思います。

キレイな砂浜と海。国立公園内のビーチ。ゆっくり海水浴を楽しめないほど、サルとアライグマが荷物を狙っている。帰る頃には、かわいい野生動物というよりは恐るべき野生動物という認識に変わっていた。人間と動物は本来そうあるべきなのかもしれない。

 また、先日まで日本映画「おくりびと」が上映されていました。これは、他の映画館とは違って、厳選した外国映画を上映する小さな映画館で上映されていました。タイトルが「おくりびと」から英語版の「departure」になり、スペイン語版になると「violines en el cielo」(空の中のバイオリン)にまで変化し、映画の中ではチェロが演奏されているのに楽器まで変わってしまっているのが、とてもおもしろいなと思います。この映画も死について描いているものなので、コスタリカ人の反応がどういったものかとても気になったのですが、「音楽もストーリーもよかった。感情に訴える映画だね」と一緒に観に行ったコスタリカ人は言っていました。この映画館に来る時点で、映画に求めるものが大多数のコスタリカ人とは違うということもあると思いますが、感涙しているお客さんも多くいました。(ちなみに、干し柿を食べているシーンを観て、「あら、鶏肉食べてるわ」と言っている人がいて、すごく説明したくなりました。)

アーモンドの木と美しい海。ところどころ葉が赤いのがかわいい。

 映画に何を求めるのかを考えると、わたし自身は映画を観るとき、ただ頭をからっぽにして楽しみたいときもあれば、自分や社会を見つめるための時間が欲しいときもあります。前者は非現実的な自分とはかけ離れた物語、後者は日常的な部分があり自分とつなぎ合わせて考えることができるもの、であると思います。映画館にくるコスタリカ人はきっと前者を求める人が多く、それは単なる彼らの価値観の問題だけではなく、彼らがどういう日常を送っているのかということにもつながっているのでしょう。少しずつでも借り物の映画観ではない、コスタリカ映画の発展が今後も続いてゆくのだと思います。

上から、米ドル、日本円、コスタリカコロンと並べてみた。コスタリカコロンはとても大きいのでいつもお財布は破裂しそうになっている。

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日本でも、かつてのハリウッド一辺倒! の時期を過ぎ、
近年は邦画人気が盛り返していると言われます。
コスタリカもまた、独自の映画文化が育ちつつある時期なのかも?
コスタリカ発の映画、いつか日本でも見られますように!

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KANATAさんプロフィール

Kanata 大学を休学して2010年2月から1年の予定でコスタリカに滞在。日本の大学では国際学部に所属し、戦後日本の国際関係を中心に勉強をしている。大学の有志と憲法9条を考えるフリーペーパー「Piece of peace」を作成し3000部配布した。
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