ホームへ
もくじへ

9条的シネマ考

最新へ バックナンバー一覧へ

第10回は、『薔薇の名前』のジャン=ジャック・アノー監督による、
『スターリングラード』(2001、米・ドイツ・英・アイルランド)です。
第二次世界大戦中、1942年9月スターリングラードの攻防戦が行われた
スターリングラードを舞台に、実在したと言われる伝説のスナイパーの
愛と苦悩を描いた戦争ドラマです。

藤岡啓介(ふじおか けいすけ)翻訳家。1934年生まれ
長年、雑誌・書籍・辞書の翻訳、編集者として活躍中。
著書に『翻訳は文化である』(丸善ライブラリー)、
訳書に『ボスのスケッチ短編小説篇 上下』ディケンズ著(岩波文庫)など多数。

第10回『スターリングラード』

パッケージ
DVD発売中
発売元: ポニーキャニオン
税込価格: 4,935円

オスカー・ワイルドの伝記映画があって、ワイルドを破滅に追い込んだアルフレッド・ダグラス卿をジュード・ロウが演じている。ホモセクシャルには縁がないので、それとはっきりいえないが、何ともいえない眼差しでワイルドを魅惑する青年だ。新作のキャスティングで悩んでいたジャック・アノーが、待ち合わせの場所に現れたジュード・ロウの眼差しを一目見て「これだ!」と決め、映画“Enemy At The Gate”が出来上がったというから、ともかくも、すさまじい目つきをしている。狙撃者にふさわしいといえば、これ以上はない目つきだ。相手役はエド・ハリス。彼もまた鋭い目つきで、まるで冷徹な表情が地であるかのように演技ができる俳優だ。


テーマは「目前の敵」だ

スターリングラードといっても、実写の記録フィルムがあっても、これはあくまでも作り物の映画で、あり得そうにないセックス場面があっても、少年がゲートでつるし首になっている場面があっても、たまたま舞台がスターリングラードになっていると思えばいい。ドイツ人もロシア人も英語を話しているなんて、もし本気でスターリングラード攻防戦を描こうとしたら、考えもしなかったはずだ。そういえば邦題もおかしい。言葉通り『目前の敵』とした方がよかった。独ソ両軍を代表する狙撃者が銃口の先に「敵」の姿を追い求めるのだから、もはや歴史的地名になった「スターリングラード」を甦らす必要はなかった。



スタ−リングラードもレニングラードも歴史的地名になって

ペレストロイカ最中に、これも歴史的地名になったレニングラードで、案内役を頼んだ三十歳代の青年がとあるホールで「スターリン展」をやっているのをみて、ちょっと立ち寄ろうといいだした。興味があるのか、ときくと、スターリンを見たことがない、というではないか。今はやりの言葉でいえば「歴史認識」「歴史教育」の問題だが、こちらは昭和二十年代の日本で、嫌というほどスターリン賛歌を聞かされたし、その肖像写真も見てきている。なにしろ、彼の演説集を読んでも、「拍手」「鳴り止まぬ拍手」「満場立ち上がり延々と続く万雷の拍手と歓声」などなど、会場の様子までト書きのように挿入した翻訳書が出版されていた。フルシチョフのスターリン批判も、同じようだった、手の裏を返すように、新しい「歴史認識」が書店に溢れた。もうたくさんだ、今さらスターリンでもあるまいと、案内役の青年に「嫌だよ」といったのだが、彼はこちらがスターリンを知らないからだと思のだろう、「これは歴史だから」と頑張った。

会場には三十点ほどの肖像画が飾ってあった。とくに解説はなかった。老若男女のロシア人が見ていた。あの三十年代の大粛清の犠牲者が近親者にいて、悪の張本人であるスターリンを見てやろうという人々ではなかった。だれも怒っていないし、涙してもいなかった。「珍しいものを見ようというただの見物人」のようだった。スターリングラードを物語る絵画はなかった。歴史は風化していた。



歴史は歴史、映画は映画だが……

だから、映画のタイトルを“Stalingrad”としなかったんだろう。あの激戦があったなど、もう歴史のエピソードにすぎない。互いに相手を求める狙撃者のゲームの方が現実であるかのようだ。そんなものかな、じゃ原爆はどうした、沖縄は、硫黄島、アッツ島玉砕はどうした、「ああ許すまじ原爆を」の歌は、「刃も凍る北海の」の哀しいメロディーはどうした、風化してしまったのだろうか。もし、歴史の風化を恐れる人たちがスターリングラードを映画にするなら、得意然と右手を懐にさしいれたスターリン像があっただろう。共産党と決別したピカソが、スターリン存命中に描いた涙の落ちるスターリン像も、もしかしたら挿入されたかもしれない。とはいっても、映画は映画だ、邦題は気に食わないが、『スターリングラード』はやはり見ておくべきだ。ザイツェフのような狙撃の天才を必要とするのが戦争であることを、殺人が美化され、殺人者が英雄になるのを、世代それぞれで考えてほしい。そう、レイチェル・ワイズの演じる女性兵士ターニャとの恋の話も、あった方がいい。戦争でも、人を愛することはできるのだから。



あの激戦地「スターリングラード」に舞台をかりた
天才狙撃者たちのゲーム。
そこから歴史を学ぶことは難しいことかもしれないが、
戦争において殺人者が英雄になっていく状況については、
映画でじっくりと目をこらしたいと思います。

ご意見募集!
ぜひ、ご意見、ご感想をお寄せください。
このページのアタマへ