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2013-08-07up

ニッポンの社長インタビュー〜たそがれゆく日本でぼくたちは何を実践していくのか

インターネットのニュース解説番組をスタートさせた
山田厚史さん
「デモクラTV」㈱インターネットニュース 取締役社長

このコーナーでは、独自の理想を掲げ実践を続けてきた社長や、理念の実現のために挑戦を続ける社長たちの声を紹介します。第2回は、長年マスメディアの世界で経済ジャーナリストとして活躍されてきた山田厚史さんの、インターネットテレビという新しい分野での起業内容や取り組みについて、お聞きしました。

気分はちょっとリベラルな
「自由と民衆のプラットホーム」を作りたい!

山田厚史(やまだ・あつし) 同志社大学法学部政治学科卒業後、毎日放送制作局ディレクターを経て、1971年12月朝日新聞社入社。1996年からテレビ朝日コメンテーターとして「サンデープロジェクト」や「朝まで生テレビ!」などテレビ番組への出演を開始する。1997年4月に政策NPO「構想日本」運営委員に就任。著書に『銀行はどうなる』『日本経済診断』(岩波書店)、『日本再敗北』(文藝春秋・田原総一朗と共著)など。2013年4月に「デモクラTV」を放送するための企画運営会社、株式会社インターネット・ニュースジャパンを有志と共に立ち上げ、取締役社長に就任。「デモクラTV」では、「山田厚史のホントの経済」を担当。立ち上げの記者会見で発表した「デモクラTV宣言」はこちら

●デモクラTVを、なぜ立ち上げたのか?

───今年4月に「デモクラTV」というインターネットテレビがスタートしました。山田さんはその放送局を運営している会社、株式会社インターネット・ニュースジャパンの社長さんですが、番組の前身は、愛川欽也さんが同じくインターネットテレビ「キンキンTV」内で放映していた「パックインニュース」でしたね。

 そうです。さらに言うとその前は、愛川さんが、朝日ニュースターというCSテレビ局でやっていた「愛川欽也 パックインジャーナル」という番組です。愛川さんが司会で、5人ほどのコメンテーターがその時々のニュースを分析していくというもので、16年続きました。そのキャッチフレーズが、「日本で一番わかりやすいニューストークショー」。地上波ではありませんが、全国にはケーブルテレビ経由で配信され、かなりいい視聴率をとっていました。しかし朝日ニューススターが、経営難に陥り、テレビ朝日が朝日新聞から朝日ニュースターを買い取ったことによって、テレビ朝日側が愛川さんに厳しい条件をつきつけてきました。例えば、生放送ではなく録画にする。放映時間はもとの半分の1時間だけ。内容は編集する、などです。そういうことなら自分でインターネットテレビ局を作って、「愛川欽也 パックインジャーナル」の後継番組をやろう、と昨年の4月に愛川さんが「キンキンTV」を立ち上げ「パックインニュース」を始めたのです。
 しかし1年間続けてみて、彼自身80歳を目の前にして、ご自分のエンターテイメントの部分、役者としての集大成の仕事をやりたいということになったようです。そこでニュース部門を「キンキンTV」から切り分けて、私たちのインターネットTVで続けていきましょう、という話になったんです。

───山田さんご自身は、以前からこの番組に関わっていたんですか?

 私は、朝日ニュースターの時からコメンテーターとして参加していました。今もデモクラTVに一緒に出ていますが、軍事評論家の田岡俊次さんと交代で出ていました。そういった関係で、愛川さんとも番組でご一緒してきました。愛川さんは、先ほどの理由に加えて、昨今の政治状況や選挙の結果には、本当に絶望してしまったというか、「もう俺の出る幕じゃないな」とおっしゃっていましたね。それはとても理解できることです。でも、僕らはそうも言ってられない。これまでずっと番組を支えてくれていた視聴者の方たちの「この番組がなくなってしまったら、これから何を見たらいいですか?」「今こそ、政権に対してもの申して欲しい」といった、熱い思いがどんどんメールやFAXを通じて、こちらに届いていましたからね。

───それにしても、あまり時間がなかったと思いますが、株式会社まで立ち上げたんですね?

 本来は、非営利のNPOの方がいいのかもしれませんが、早く動ける体制を作りたかった。NPOは認可に時間がかかるので、株式会社にしました。愛川さんの番組が修了した後に、空白の期間を作りたくなかったんです。まわりにいるコメンテーター15人に声をかけて、出資を募り300万円を初期の運転資金にしてスタートしました。
 立ち上がりは生放送の「本会議」と「ニュースの真相」の2本の番組をとにかく動かす。そして軌道にのったら、個性を持ったコメンテーターの人たちが揃っているわけですから、コンテンツを増やして広げていこうと思いました。

───スタートから、半年ですが、コンテンツはかなり増えましたね。

 ええ。有料放送ですから、制作費をまかなえる会費収入を見ながら、やっているんですが、おかげさまで番組の数は10本以上にまで増えました。今、目標の有料会員は10万人です。

●これからはエディターの時代

───ところで、ぶしつけな質問ですが、なぜ山田さんが社長になられたんでしょうか?

 なんででしょうね? 学生時代から社会人時代も含めて、長と名がつく役職には、大学時代の「寮長」しかついたことがなかったんですが(笑) 。
 ただ、僕がなぜ社長をやるのかはともかくとして、僕たちがなぜ「デモクラTV」をやるのか、と言えば…今の時代状況からみても、僕たちがこれをやる星の下に居るんだ、と考えたんでです。
 「パックインジャーナル」は、愛川さんが築き上げてきた番組だけれども、原動力は、視聴者と番組制作者が社会の問題をいっしょに考えながら作ってきたという面もある、ということで、これはもう、将来につなげていくべき社会的財産になっているのではないか。それをこちらの都合でやめてしまうのは、視聴者に対して大変に失礼なことだ、と思いました。「やむにやまれぬ大和魂」のような心境で始めたんですが、やっぱり誰かがやらなくてはならない。そこで、役者不足ではあるけれど、僕が社長を引き受けることになった。

───山田さんは、ずっとマスメディアで働いてきた人ですが、そこではなく、インターネットメディアで新しいことをやろうと思った理由は何でしょうか?

 大きなマスメディアはもう、機能不全を起こしていますね。私自身も、朝日新聞に長年いたからわかるのですが、問題設定力というか、切れ味が悪くなっているんです。ちょっと視点を変えれば、別の見方ができるんじゃないか、とか。世間から、新聞は大事なことをなぜ書かないのか、という批判をよく耳にするようになりました。よく読めば、決して書いてないわけではない。現場の記者は一生懸命取材し、書こうとしている。しかし、その思いが大きな見出しになったり、キャンペーンになったりして、世間が「しっかり書いているな」と感ずるような紙面作りになっていない。一読者としては、もっとここを突っ込んで書いて欲しい、とか、見出しになるようもっとたっぷり書けよ、ということが多々あります。
 それは明らかに、大手メディアというのが、政府や政党や権力の側に押されているからだと思います。報道というのも、競争ですから、情報へのアクセスを断たれたり、不利な扱いを受けることを恐れる。情報を持っている力の強い権力側に流れがちです。政府や与党には、国民や社会に影響のある情報が沢山あります。しかし、権力情報に群がっているうちに本来は報道しなくてはいけない事柄が、手薄になっているのではないか。批判精神が希薄になり、大事なところが抜け落ち、今のメディアは穴ぼこがたくさん空いている状況にあるんです。

 朝日新聞は創立から130年保ちました。こういうビジネスモデルを作った人ってすごいなあ、と素直に思いますね。権力側からの情報を、自分たちの視点で濾過して、記事にまとめて流す。新聞が書くと、みんなそれを客観的な情報として読むんです。しかしそれは、元々は権力側から出ている情報ですからね。
 記者は、いわゆる記者クラブの財務省クラブ、官邸クラブ、財界クラブなどへ毎日せっせと通って、出てくる情報を集めて、それを濾過して書く。でもそれじゃ、世の中の人はもう満足しないんですよ。どうせあいつら、単なる権力側の情報を流しているだけのブローカーじゃないかってね。
 そうじゃない方法で伝えるメディアがまだ少ない。そこで、僕らに出番がある。今のメディアが十分にジャーナリズムとしての役割を果たせていない、その欠落点を、我々がカバーする。インターネットという武器もできたことですし。

───今、インターネット上には、権力側からじゃない情報や素材は、たくさん上がっていますからね。岩上安身さんがやっているIWJをはじめ、市民ジャーナリストも各地にいるし、素材はたくさんありますね。しかし、情報整理の部分が、これからは必要なのかなと思います。

 そうなんですね。もちろん、我々も現場に行って取材から出来たら一番いいのですが、今、一番必要とされているのは、エディターだと思うのです。インターネットの時代になって、どんどん入ってくる情報をどうさばくのか。素材によってはインチキなものもあるし、それを集めて、並べて、見比べて、精査して。で、視聴者に対して、今日はこれとこれを見たらいいよ、というのを教えてあげる。そういうエディターの必要性が高まっていると感じています。

 ビジネスモデル的に言えば、例えば、信頼できるレストランの、「シェフのお任せ」みたいなものには、お客さんはついてくるわけですよね。ここにアクセスすれば、政治情勢や憲法、原発、TPP…今、気になっている社会問題のたいていのことはわかる。デモクラTVは、そういうプラットホームになっていければと考えています。

●新米記者の苦い経験がジャーナリストとしての出発点

───山田さんご自身のことをお聞きします。ジャーナリストとしての山田さんの出発点は、大学を卒業されて朝日新聞に入社した時からでしょうか?

 私は関西の大学を卒業後、大阪の毎日放送に入社しましたが半年で辞め、朝日新聞社に入社。すぐに青森支局に配属になり5年いました。そこでいわゆる警察担当のサツまわりを2年、それから市役所の担当を2年、教育担当を1年、最後に県政担当を1年やりました。
 青森県は、ちょうどその頃、「原子力船むつ」の関係(※1)でおおいに揺れていましたね。それだけでなく、今の六ヶ所村の問題につながるむつ小川原開発計画や核燃料サイクル(※2)のこと、自衛隊の泊射撃場の問題、また農政も冷害のため収穫量が少なくて大変でした。厳しい気候条件のため、冬になると多くの人が出稼ぎにいく。当時の青森はそのような場所でした。

 新米記者の私は、サツまわりをやっていましたから、エネルギー問題なんて書ける立場にはありませんでした。でも、六ヶ所村関係で、警察がらみでも何か書きたいなと思って、休日に青森市から六ヶ所村まで自転車で往復したことがあります。まだ、車を持っていなかったので。

※1 「原子力船むつ」:日本初の原子力船として、1968年に着工。青森県むつ市大湊が母港だったが、太平洋沖での度重なる放射能漏れにより、住民・漁民らの大規模な反対運動が起こり帰港できず、16年に渡り日本の港を彷徨って改修を受ける。その後、新設されたむつ市関根浜に回航。原子炉部分は撤去された。

※2 むつ小川原開発計画や核燃料サイクル:1960年代より、六ヶ所村を中心とする一体に石油化学コンビナートや製鉄所などを主体とする臨海工業地帯を整備する開発計画が持ち上がった。しかし実現できず、代わりに大規模な原子力関連施設が進出することになった。現在の六ヶ所にある核燃料サイクル施設もその一つである。

───えっ、自転車でですか? 青森市内から六ヶ所村まで、かなりの距離ですよね。

 100キロぐらいありますかね。夜、青森市を出発して深夜に陸奥湾に面した漁場の小屋で仮眠して、朝日の中、またこぎ出すということをやってました。若かったね(笑)。特ダネを自分の力で見つけたい、という思いがあったんでしょう。そう、一生懸命やっていたんですね。

 そのころ、僕は、当時の青森市長の実弟が、収賄罪によって逮捕されたという記事を他に先駆けて書きました。いわゆるスクープです。市の議事堂を建てる時に、口利き代として、設計会社からお金をもらっていたんですね。警察は逮捕をしたのですが、それを発表しなかった。でも、僕が書いたことによって、青森市長は責任をとって辞任をしたのです。この市長は自民党を抜けて革新政党と組んで当選した人で、青森県では革新首長の中心にいた人でした。
 ちょうど同じ頃、六ヶ所村でも村長選挙がありました。いわゆる六ヶ所村の開発賛成、反対をめぐって対立をしていて、現職の革新村長は反対をしていた。しかし、僅差で開発賛成派の村長が当選。結局、青森市長の辞任をめぐるゴタゴタで、革新グループの足並みが揃わず、また選挙応援も六ヶ所村まで手が回らず、そのような結果になったのです。
 その後、親しい警察官に言われました。「担がれたね。あれは、六ヶ所村の村長選挙を見据えてやった捜査だったんだよ」と。

───え! そういうことだったんですか?

 僕としては「スクープ記事を書いてやった」と思っていたのに…まんまと「担がれた」というわけです。
 その時の青森県警捜査2課長が、漆間巌(うるまいわお)氏です。元警察庁長官で麻生内閣の内閣官房副長官でしたね。検事は、服部三男雄(はっとりみなお)氏で、自民党の国会議員にもなった人です。強引な捜査を指示した県警本部長の安田修氏は、山っけのある人で、革新つぶしで手柄をとりたいと思っていた、と現場の警察官は言っていました。
 新聞記者としていい仕事をしたと思っていたのに、結局は、彼らの手の上で踊らされていたんだなということがわかりました。己の功名心のために、どこか冷静さを失っていたというか…。これが僕の一生の不覚であり、今につづくジャーナリストとしての原点でもあります。

───そんなことがあるんですね。たしかに、六ヶ所村の当時を知る人から話をお聞きすると、様々なやり方で「反対派」の分断が行われたそうですから…。

 新聞記者やジャーナリストは、客観的な立場に立っているつもりでいるかもしれないけれど、実はまっ暗闇の中にいて、我々の知らないところで、いつの間にか大きな動きの中に乗せられてしまっている、ということがあるんです。

●「自由と民衆のための」プラットホームを作ろう

開局記者会見(2013/3/26)より

───さて、今後の予定や目指す方向についてお聞かせください。

 デモクラTVは、まぎれもないニューウェイブなんです。今は、チョロチョロとした小さな流れかもしれませんが、やがてはこれが本流になるんです。あそこにも、ここにも、こういった新しい流れがわき起こっている。やがて集まってきて、末は大きな大河になるんです。
 僕たちの流れはまだ、「しばし木の葉の下くぐる」という状況だから、途中で途絶えてしまうかもしれないし、地下にもぐってしまうこともあるでしょう。それでもまた、新たに湧いて出るということもある。色々な試行錯誤が繰り返されると思いますが、大義は我らにあるのです。

 で、僕が社長として何をするのか。個性豊かな人がこれだけ集まっている。これは財産なのですが、でもヘタをすると、かつての革新勢力と同じように、「アイツはいいけれど、コイツは良くない」とか言い出すことのないように、チームワークを整えることです。人の意見は全部同じなんていうことはあり得ない。小さな違いに目が向かい、自分の正しさだけにこだわる、ということがないように。大局を見失わない、方向性が同じ人たちとは、一緒にやる、排除しない、瑣末なところで分裂することがないように、目配りをし調整することです。

 デモクラTVにアクセスすると、いろんな市民団体やNGO、NPOの人たちの声が聞こえてくる、というコンテンツや仕組みも作りたいと思っているんです。今、大事なことは、いろんな場所で発信している人たちがいるんだけれど、お互いどこで何をやっているのか、よくわかっていないところがあるでしょう。

───確かに政治の世界では、リベラルというか、中道左派がいなくなった、と言われていますが、市民社会においては、そんなことはなくて、それこそ潜在的に「今の状況は良くない。変えたい」と考えている人は決して少なくないと感じています。ただ、まとまっていないというか、それぞれが点でやっているのが、もったいないと思いますね。

 そうですね。僕らは、親和性の高いグループや人たちとは、一緒にやっていくということを、積極的に打ち出したいと思っています。つぶし合わずに支え合う関係を。デモクラTVというのは、まさにデモクラシーを表している言葉だし、気分はちょっとリベラルな「自由と民衆のプラットホーム」をつくりたいのです。

───マガ9もその考えに賛同します。ということで、これからマガ9とデモクラTVとのコラボ企画も考えてくださっているんですよね。社長、これからもよろしくお願いします。デモクラTV、期待しています!

(文・写真/塚田壽子)

「親和性の高いグループとは連帯を!」
「自由と民衆のためのプラットホームを作りたい!」
という山田さんの考えには、マガ9も同意するところです。
デモクラTVとの協力企画については、近々発表できる予定です。お楽しみに!

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