2015年、安保法制反対運動では学者も立ち上がりました。重鎮から若手まで、多くの学者が学生や市民と共にデモに加わり、国会前や街頭でスピーチをしています。確かな知性と見識に基づく言葉の数々は、そこに集う人々の視野を広げ、勇気づけ、奮い立たせてくれました。
山口二郎さんも、そうした学者のお一人です。政治学者として、民主主義・立憲主義を回復するための運動を牽引し、発言を続けてこられました。今年は参議院選挙が予定され、憲法改正をめぐる戦後政治の岐路になるといわれています。昨年夏、国会前で示された民意は、参院選にどのような結果をもたらすのか。コラム「風塵だより」でおなじみ鈴木耕さんに聞き手になっていただき、今後の展望を山口さんに伺いました。
安倍政権を支えているのは、
この国を覆っているシニシズムと開き直り
鈴木 年が明けて1月4日から通常国会が開かれています。昨年秋に野党議員が憲法53条に規定された臨時国会の召集を要求したのに、安倍内閣は何だかんだと屁理屈をこねて開かなかった。その上で始まった通常国会は「憲法違反の国会」というしかなく、しかも議論が成立していません。
議論が成立しないのは、安保法案の審議でもそうでしたが、安倍首相が野党議員の質問にまともに答えないことも大きいと思います。都合の悪い質問はごまかし、はぐらかし、追及されると逆ギレする。首相がそのような答弁しかできないのでは、そもそも立法府としての国会が機能していないことになる。山口さんは、安倍首相の言葉、国会答弁についてはどう思われますか。
山口 私はかねてから安倍晋三という人物を評するときに、石原吉郎(詩人・1915-1977年)のエッセイを引用しています。石原はシベリア抑留経験があって「実戦の経験がないことに劣等感を持つ少年兵」、ソ連の少年兵の劣等感について書いています。
安倍首相は、祖父、父に比べて出来がよくないのは明らかで、おそらく彼の劣等感はそこからきている。その劣等感を埋め合わせるために、祖父の悲願だった戦後体制の打破を自分が成し遂げなくてはならないという使命感に凝り固まっています。とにかく自信がないので、他者と対等に向き合うことができない。国会審議でも「これはおかしいのではないか」と指摘されると自己正当化し、それができなければ最後はキレて、コミュニケーションを途絶させるしかないのでしょう。
鈴木 テレビの国会中継を見ていると、安倍首相の答弁は支離滅裂です。あれが個人的な劣等感からきているものだとしても、仮にも一国の首相の言葉ですよ。安保法案の審議の過程でも、日本人を輸送中の米艦防護とか、ホルムズ海峡での機雷掃海とか、論理破綻しているめちゃくちゃなことを強弁していましたが、それは日本の外交自体が崩壊していることになりませんか。
山口 今の官邸を支えているのは、外務省を中心とした官僚たちです。いまや官僚たちは、国益よりも省益、組織益、あるいは名誉心とか権勢欲を追いかけているだけではないのかと私は思いますね。安保法制にしても、外務省の官僚はいかにアメリカと仲良くするか、安倍首相はいかに戦後体制を壊すか。両者の動機は違いますが、その二者がくっついて、安倍政権下で平和主義や立憲主義の破壊がどんどん進行している。官僚たちが、当面は向かうところ敵なしの安倍政権を最大限利用しながら、それぞれの省庁でやりたかったことを実現している面もあるかと思います。
鈴木 安倍内閣と官僚が結託して、集団的自衛権の行使、特定秘密保護法、原発再稼働、辺野古新基地建設、労働者派遣法の改正、TPPなど、さまざまな法律や政策が強引に決められている。それによってこの国が戦後守り続けてきた価値観が崩れようとしているのに、危機感が国民に共有されず、支持率もなかなか落ちない。これはどう考えればいいのでしょう。
山口 各種世論調査が示しているように、安倍政権が推し進める個別の政策は国民に支持されていません。原発再稼働、集団的自衛権の行使も、反対の人のほうがはるかに多い。アベノミクスの恩恵だって、大多数の国民は享受していないわけです。だから「政策に期待できるから」あるいは「安倍首相がリーダーとして優れているから」といった理由で支持しているわけではない。これははっきりしています。にもかかわらず内閣支持率が落ちないのは、消去法による消極的な支持のあらわれでしょう。
民主党政権が瓦解して、シニシズム(冷笑主義)が今の日本に蔓延しています。要するに、理想を追いかけてもだめ、きれい事を言ってもだめ。中国も、北朝鮮も、アメリカも、剥き出しで国益を追求しているのだから、日本もなりふり構わず自国の利益を追求すればいい。そのようなシニシズムとある種の開き直りみたいな空気も、安倍政権を支えているのではないでしょうか。
東日本大震災後、
メディアはなぜ民主党叩きに走ったのか
鈴木 民主党政権がだめだったから、自民党を支持するしかない、と。民主党政権への国民の失望が決定的になったのは、東日本大震災がきっかけだったと思います。歴史に「もし」はありませんが、もしあのときに安倍政権であったら菅政権以上のことができていたかというと。
山口 できていないでしょう。
鈴木 ところが東日本大震災以降、マスメディアはいっせいに民主党叩きに走ってしまった。今の安倍政権に対するメディアの腰の引けた報道とは比較にならないほど、震災の対応から閣僚の発言から何から、すさまじく批判されました。あれはいったい何だったのか。
民主党政権は、官僚にとってやりづらい政権でした。ぼくは、官僚と自民党とマスメディアが民主党を潰しにかかったのではないかと、今でも思っているのですが。
山口 そこは私も確証がないので、はっきりしたことは言えません。言えませんが、あのときはこの国を動かしている体制としての大きな意思のようなものの存在は感じました。日米関係と原発は、現代の国体、国体護持の国体なのではないかと思いましたね。そこに手を触れようとしたら、徹底的に叩きのめされる。
鈴木 東日本大震災後の民主党叩き、そして現政権へのメディアの及び腰を見ていると、得体の知れない鵺のようなものが、永田町、霞が関界隈に渦巻いているような気さえします。
山口 我々も権力に批判の楔を打ち込もうとしているのですが、妖怪の塗り壁に跳ね返されるような感じがしています。これは大きな陰謀を、誰かが描いているというストーリーではないのですよ。自民党の政治家も、官僚も、大手メディアの幹部も、それぞれが自分たちの持ち場を保守しようとして動いています。そういった体制側の個々の意思が積み上がっていったら、憲法破壊のようなことを平気でやる政権ができあがってしまった。
安倍政権の暴走に歯止めをかけるために、
市民が野党の結集をうながす
鈴木 そうはいっても、手をこまねいて見ているわけにはいかないので、安倍政治を突き崩すにはどうすればいいか、お聞きしていきたいと思います。
山口さんは、2014年に憲法学者やほかの政治学者の方々と「立憲デモクラシーの会」を立ち上げました。続いて2015年には「安全保障関連法に反対する学者の会」の呼びかけ人として、積極的に活動されてきた。この間の運動の広がりは、実感としてどのようにとらえていますか。
山口 そうですね、学者は理屈を伝えるのが仕事なので、我々はこの2年あまり運動を通じて理屈を言い続けてきました。例えば「立憲主義」なんて言葉がそれなりに浸透したのは、憲法学者や政治学者が言い続けた理屈をみんながわかったのだと思います。憲法は為政者に歯止めをかけるルールなのだという、立憲主義の基本概念がふつうの市民の間に広がった。
かつてのように憲法を理解している政治家が与党にいた時代には、立憲主義はとり立てて言う必要がないんです。ところが憲法を無視する安倍政権みたいなのが出てくると、市民も「そうか」と。「憲法って、こういう政治家がむちゃなことをできないようにする縛りなんだ」と腑に落ちたのでしょう。「これは見過ごしてはいけない」との認識を持った上でみんなが行動したことは、安保法制反対運動のひとつの成果だったのではないかと思います。そういう意味では、安倍首相は反面教師としてまことに偉大でしたね(笑)。
鈴木 反面教師で終わってくれればよかったのですが(笑)。安保法制は成立してしまい、直後から山口さんたちは動き出して「市民連合」を発足させています。そのいきさつを教えてください。
山口 安保法制が9月19日に成立しました。その後、民主党の呼びかけで、安保法制に反対した野党と、反対運動をした市民団体の意見交換会が開かれました。野党と市民が一堂に会して、10、11、12月と3回にわたって話し合いをしたわけです。
市民団体側はその意見交換会の中で、「安保法成立を許したけれども、参院選でリベンジを果たしましょう」と。「次の参院選で勝って、安倍政権の暴走を止めたい。野党が提携をして選挙で戦う体制をつくってほしい」と要請した。参院選は一人区が32あるので、そこでどれだけ勝てるかが結果に大きな影響を与えます。主に一人区での野党共闘をお願いしました。
ただ、野党同士が交渉して調整をするのはなかなか難しい。3回、意見交換会をして、我々市民がもっと前に出たほうがいいという結論に至りました。それで野党結集を後押しするために「SEALDs」「安保関連法に反対するママの会」「安全保障関連法に反対する学者の会」「戦争させない・9条壊すな! 総がかり行動実行委員会」「立憲デモクラシーの会」の5団体で「市民連合」というひとつの団体を12月に立ち上げたのです。
「市民連合」としての活動は、年が明けて1月5日に新宿西口で街頭宣伝をやったのが第一歩になりました。平日の昼間にもかかわらず人もかなり集まりましたし(約5000人)反安倍政治の気運はまだまだ持続していると感じています。
鈴木 「市民連合」の目的は野党の結集をうながすことと…。
山口 まずひとつは参院選での野党結集をうながし、候補者の推薦や支援をしていく。それから正式名称は「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」ですから、安保法制廃止と立憲主義回復の二つが我々の主張です。もうひとつ「個人の尊厳を擁護する政治の実現」も掲げていて、それらを社会に訴えていくのが我々の役割だと考えています。
参院選では日本人のアイデンティティを守るか、
守らないかが問われる
鈴木 立憲主義は今の安倍政権ではまったくないがしろにされています。それを引っくり返すには、やはり選挙で勝つしかありませんね。
山口 そうですよ。何だかんだ言っても、議席の数を増やさなければ、次から次へと繰り出してくる悪法を止められません。参院選では、何としても勝たなくてはいけない。
鈴木 安倍首相は、「参院選では自公、おおさか維新などの改憲勢力と3分の2の議席獲得をめざす」と明言しています。「市民連合」を立ち上げて約1カ月。手ごたえはどうですか。
山口 うーん…正直なところ、楽観はできないと思っています。地域によっては、野党の協力ができないまま時間切れになる可能性もある。厳しい情勢であるのは間違いありません。
ただ、その一方で「市民連合」の地方団体のような組織があちこちで続々と生まれています。熊本、山形、長野あたりはよい候補者がいるので、野党が調整して、その人を統一候補として市民団体が応援する形ができつつあります。4月には参院選の前哨戦と位置づけられている衆議院・北海道5区の補欠選挙もあって、そこでも市民が動き出しています。とにかく時間がないので、野党間でどれだけ協力体制がつくれるかです。
鈴木 民主党の保守派が、共産党との協力に反対していることは報道でも伝えられていますね。野党協力では、沖縄といういい例があると思うんです。沖縄県は「オール沖縄」の枠組みをつくって、国政選挙、地方選挙でことごとく自公に勝っています。保守と革新ががっちり手を結んだ、ああいういい例があるので、参院選でも野党の共闘を実現してほしい。今度の参院選では、国の形が変わるかどうか、憲法改定がかかっているのですから。
山口 翁長(雄志)知事の「イデオロギーよりアイデンティティ」という言葉は沖縄だけでなくて、今の日本全体に当てはまる言葉です。保守と革新の対立軸ではかる話ではなく、戦後日本が大切にしてきた理念をどうするのかという闘いなんです。憲法、とりわけ9条は日本人のアイデンティティです。「これを守るのか? 変えるのか?」がまさに問われているわけで、「イデオロギーよりアイデンティティ」で集結する構図をつくりたいですね。
2016年は戦後民主主義にとって
「ポイント・オブ・ノーリターン」の年になる
鈴木 選挙の闘いにおいては、選挙制度の問題もあります。小選挙区制に対しては、ぼくは以前から疑問を持っています。2014年の衆院選では、小選挙区での自民党の得票率は48%なのに、76%に当たる223議席も占めている。比例代表のほうは、33%の得票率で、38%に当たる68議席。こちらは得票率に対して、妥当な議席数になっています。つまり小選挙区制を採用しているがゆえに、訳のわからないいびつな選挙結果になってしまう。こうした選挙制度に関しては、山口さんはどう思われますか。
山口 小選挙区制に問題があるのは、私も同感です。ただし選挙制度をすぐに変えるのは、極めて困難な課題です。だから現時点では、自民党の得票数を減らすことに全力を傾けたい。そうして自民党を与党から引きずり降ろしたあかつきには、比例代表を中心とした制度にすべきだと思っています。
私は、参院選では投票率をどうやって上げるかをテーマにしたいと考えているんですね。政権交代が実現した2009年の総選挙の投票率は69%、約70%の有権者が投票した。しかし2013年の参院選と、2014年の衆院選はどちらも52%。その差は約18ポイントで、人数でいえば1700万人から1800万人。これだけの有権者が投票所に足を運んで、もう一回投票すれば小選挙区でも全然違った結果になるはずです。
鈴木 民主党が大勝した選挙から、千数百万人が逃げてしまったのは、なぜだと思われますか。
山口 それは、民主党が期待値を高くし過ぎてしまったからです。民主党はゼロから理想を唱えて、政権をとった。だけど理想が即現実になるかといったら政治はそんなに簡単ではないので、「民主党は嘘をついた」と有権者が離れてしまった。先にお話しした東日本大震災のときのメディアのバッシングもありましたが、有権者も「期待してもだめだ」と投票行動をやめてしまうのは、民主主義を担う国民として問題があると思います。
そうやって千数百万人が投票を放棄して、何が起きたか。第二次・第三次安倍内閣が誕生して、国民の自由はじわじわと失われつつあります。メディアに対する圧力、教育現場への介入、我々大学の世界でもすでに統制が始まっている。
いろいろなところで指摘されているように、1930年代のドイツや日本と、現在の日本は重なって見えます。今の権力は、さすがに直接弾圧はしないけれど、あらゆる手を使って管理体制をつくろうとしている。国民全体に、圧政の高潮はそこまで迫ってきているんだという現状認識が必要だと思いますね。
鈴木 ほんとうに、こんなにキナ臭い時代がくるとは想像しませんでした。だからこそ今度の参院選は重要です。厳しい選挙戦になりそうですが、希望は見出せますか。
山口 希望はありますよ。安保法制反対運動では、みんながいても立ってもいられず「ここで闘わなきゃだめだ」と国会前に行きましたね。同じように「この選挙には行かなきゃだめだ」と投票所に行くようなムードが生まれれば、ブームは起きると思います。
今年は下手をすると、戦後民主主義にとって「ポイント・オブ・ノーリターン」の年になるかもしれません。ここで堰止めなければ、我々の自由な生活も思考も失われてしまう。それくらいの危機感を持って臨めば、千数百万人がまた一票を投じるはずです。希望と危機は常に背中合わせなので、この危機を乗り越えたら、希望はそこから広がると思っています。
(構成・写真/マガジン9)
山口二郎(やまぐち・じろう)1958年、岡山県生まれ。東京大学法学部卒業。同学部助手、北海道大学教授などを経て、2014年から法政大学法学部教授。専門は政治過程論。2014年4月に憲法学者・政治学者らと「立憲デモクラシーの会」を設立(樋口陽一・東京大学名誉教授と共同代表)。著書は『政権交代論』(岩波新書)、『いまを生きるための政治学』(岩波現代全書)、『徹底討論 日本の政治を変える――これまでとこれから――』(宮本太郎・中央大学法学部教授と共著 岩波現代全書)他、多数の政治評論を執筆。
鈴木耕(すずき・こう)1945年、秋田県生まれ。早稲田大学文学部文芸専攻卒業。集英社に入社。「月刊明星」「月刊PLAYBOY」「週刊プレイボーイ」などを経て、「集英社文庫」「週刊プレイボーイ」「イミダス」などの編集長を務める。その後、「集英社新書」創刊に参加、新書編集部長となる。2006年退社、フリー編集者・ライターに。著書は『スクール・クライシス 少年Xたちの反乱』(角川文庫)、『目覚めたら、戦争。』(コモンズ)、『沖縄へ 歩く、訊く、創る』(リベルタ出版)、『原発から見えたこの国のかたち』(同)他。
山口先生が指摘するように、戦後民主主義にとっての「ポイント・オブ・ノーリターン」はもうそこまできている、その危機感を一刻も早く、多くの人たちと共有しなければと思います。ちなみに、「ポイント・オブ・ノーリターン」とは、もはや後戻りできない段階のこと。もともとは、航空用語で、「帰還不能点」(飛行機が燃料がなくて出発点に戻れなくなる地点のこと)を指します。
安倍政権を支えているのは、 国民の自立心の欠如と見ている。 つまり自分で考え、判断し、決断をし、行動する。その結果に対して責任を採る。という構造が欠如しているのだ。主権者が天皇から国民に移行した。戦後70年も経過した。だが、民主義の前提である「自立心」が涵養されていないのだ。逆に権力者に依存する傾向を強めているのだ。これは権力者に対する信頼が前提である。権力者をチェックすべき主権者が権力者を信頼しているのだ。 しかも、現権力者はとても劣等感が強い様だ。とすると、自分に対する他の評価がとても気になる。 他人の評価に頼って生きる人にとっては、人からバカにされたり、否定されるほど辛いことはない。予算委員会で質問者をやじったり、逆切れするのはその証左である。
主権者が権力者を信頼し、権力者が劣等感が強ければ、立憲主義を破壊、全体主義を構築するにそんなにエネルギーを要しないだろう。このことを歴史が教えている。