鈴木邦男の愛国問答

 これは、「マガ9」のようだな、と思った。森まゆみさんの『「青鞜」の冒険』(平凡社)を読んで、そう思った。〈100年前の“新しい女”たちの、雑誌づくり風雲録〉と本の帯には書かれている。『青鞜』はあまりにも有名だ。僕らも高校の教科書で習った。日本の古い因習に逆らい、ここから「新しい女」が生まれた。女性解放の原点もここにある。僕らは、そう教わった。平塚らいてうの「青鞜発刊に際して」はあまりにも有名だ。暗記するくらい読まされた。

 元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。
 今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のように蒼白い顔の月である。さてここに『青踏』は初声を上げた。現代の日本の女性の頭脳と手によって始めてできた『青踏』は初声を上げた。

 格調の高い文章だ。1911年(明治44年)、創刊された。たった1000部だが、この雑誌は、男社会の日本に〈革命〉を起こした。平塚らいてうを中心にした5人の若い女性によって創刊された。大出版社が出したのではない。情熱や志はあるが、編集、出版には全く素人の5人がやったのだ。無謀だ。暴挙だ。だから、この本の題名も『「青鞜」の冒険』だ。
 その冒険を、『「谷根千」の冒険』という著書がある森まゆみさんが書いたのだ。森さんは早大卒業後、1984年に地元で地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊。終刊の2009年まで編集人を務めた。地域雑誌ではあるが、70年前の『青鞜』をかなり意識したのだろう。3人の女性によって始まった。『谷中・根津・千駄木』の戦いを振りかえり、『「谷根千」の冒険』を書き、さらに今、その長い編集体験を踏まえて『「青鞜」の冒険』を書く。
 だから書く視点が今までの本とは違う。元祖女性誌への敬意と共に、編集者でないと分からない分析や注文も多い。これには驚いた。「偉い」「立派だ」「凄い」…の賛辞だけでは終わらない。これは、全く新しい『青鞜』論だ。「新しい女」たちに対する、全く新しい評論だ。本の帯にはこう書かれている。

 雑誌の立ち上げに高揚したのも束の間、集まらない原稿、五色の酒や吉原登楼の波紋、マスコミのバッシング…。明治・大正を駆け抜けた平塚らいてう等同人たちの群像を、おなじ千駄木で地域雑誌の『谷根千』を運営した著者が描く。

 森さんは『青鞜』を一号一号、丹念に読み、その心意気に感動すると共に、編集作業のあまりのお粗末さや、同人雑誌故の「何でも載せる」といった安易なやり方に対しては批判する。「何もそこまで言わなくても」と思うが、編集生活の長い森さんには耐えられないのだろう。「こうしたら、もっとよくなるのに」「こうしたら、つぶれなかったのに…」という注文でもある。同じ編集者としての「悔しさ」でもある。たとえば、生田長江のアドバイスで、「女流文壇の大家」を賛助会員にする。平塚らは初め反対するが、「無名の若い者だけでは、まったくの同人誌になる」と生田に言われ、渋々受け入れる。それで、声をかけたのは国木田独歩夫人、小栗風葉夫人、森鴎外夫人など、大家どころか多くは「有名人の妻」にすぎなかった。これは間違っていた、と森さんは厳しく批判する。

 こうした著名人の光を活用することは、創刊の辞の歴史的なくだりにある、「他の光によって輝く月」そのものではないか。らいてうは「結果的にはよかった」と回想しているが、有名人の妻の名に頼った権威主義は残念でならない。私たち『谷根千』はその点、著名人に頼ったことはまったくない。むしろ、どんなにこの地域と関係があろうが、他に場をもっている表現者には基本的に原稿は依頼しなかった。(中略)これからという学生や大学院生には書いてもらい、少ないながら原稿料も払った。

 うーん、これは難しい。有名人に頼りはしないが、協力しようといってくる有名人には断れない。森さんは、時代の差か、と言いながら、「生田長江の余計なアドバイスが恨まれる」と厳しい。その厳しい批判については、少々反省もし、森さんはこう書いている。

 (自分たちの『谷根千』は)赤字を補填してくれる母親もなく、円窓のある実家に住めるわけでもなかった。子どもたちは次々生まれ、生活費を稼がねばならなかった。パトロンや大スポンサーのない、まったくの自主独立メディアだっただけに、私は経済的には親掛かりのらいてうの雑誌編集をいささか厳しく見すぎるかもしれない。

 「新しい女」といいながら、良家の子女が多く、教育もあり、らいてうの母は『青鞜』の赤字を補填してくれたりした。恵まれていたのだろう。しかし、社会の「新しい女」を見る目は今とは全く違う。厳しく、差別的だ。そこで闘ってきた。この戦いと『青鞜』は、今の左右の思想運動をやり、あるいは市民運動をやる人が作っている「同人誌」「機関紙(誌)」への〈参考〉にもなる。そう思うからこそ、あえて『青鞜』へは厳しい注文をするのだろう。
 『青鞜』が注目され、軌道に乗り始めた時、「出版・販売」と「編集」を分離した。出版販売を東雲堂にまかせたのだ。今までは出版社も相手にしてくれなかったが、やっていいというところが現れた。いいことだ。発送事務などの雑事は東雲堂で全てやってくれる。会費・購読料の送金、雑誌の申し込み、交換広告なども同社で担ってくれる。これで女性たちは原稿を書き、編集作業に専念できる。いいことずくめだ。
 しかし、雑誌発行において、広告とり、購読料の授受、発送、配送などは、雑務のうちだが粗略にできない、と森さんは言う。

 肉体労働よりも精神労働に重きを置き、“雑用”の嫌いな『青鞜』の同人が、発売・経営すら手放したとき、それは一見、執筆や編集に集中できるように見えて、実はたくさんの読者とのつながりや雑誌そのものの運動力を弱めることになったのではないか。これが『青鞜』廃刊への第一歩ではなかったかと思えてならない。

 これは厳しいが、真実だろう。では今、このネット社会において、もし『青鞜』の人たちが生きていたら、どんなことをやるのだろうか。どんなことが出来るのだろうか。それよりも、『青鞜』の闘いは、今、同人紙(誌)を出し、ネットで配信している多くの市民運動の人たちに、この上ない参考になると思う。又、『谷中・根津・千駄木』の闘いも。これは子供を持つ3人の女性が始めた。『青鞜』は5人の女性が始めた。個性的な、そして情熱的な、志のある女性の力で大きく世の中を動かした。「マガ9」もスタッフの多くは女性だ。それを多くの人々が支援している。「女性の生き方」「憲法」…と、斬り込む角度は違っても、底には同じ志があると思う。「そういった話を、“マガ9学校”で、ぜひやって下さい」と森まゆみさんにお願いした。
 実は、この本を読んで、ぜひ話を聞きたいと思って、新潟県新発田まで行ったのだ。9月16日(月)、台風の中、何度も電車は止まり、やっとのことで、新発田にたどりついた。そして講演会の後の「交流会」で初めて話をした。「マガジン9」のことはよく知っていたし、がんばってほしいという。「ぜひ機会があったらお話ししたい」といってくれた。ありがたいです。この本は、市民運動をする人、情報、意見を発信する人、すべての人に読んでもらいたい。そして考えてほしいと思う。

 

  

※コメントは承認制です。
第134回 『「青鞜」の冒険』を読んで」 に2件のコメント

  1. magazine9 より:

     森まゆみさんには、3年以上前になりますがインタビュー「この人に聞きたい」にご登場いただいています。まちづくりについてのお話を中心に伺う中でお聞きした、「“闘い”は楽しくなきゃダメ」という言葉が印象的でした。
     これまでにも明治~昭和の女性たちの等身大の姿を描いた作品を多数発表されている森さん。『「青鞜」の冒険』も、ぜひ読まなきゃ! と思っていたところ。さっそく本屋さんへ行こうと思います。

  2. かつての「レコンキスタ」もそんな感じの新聞だったじゃないですか〜!

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鈴木邦男

すずき くにお:1943年福島県に生まれる。1967年、早稲田大学政治経済学部卒業。同大学院中退後、サンケイ新聞社入社。学生時代から右翼・民族運動に関わる。1972年に「一水会」を結成。1999年まで代表を務め、現在は顧問。テロを否定して「あくまで言論で闘うべき」と主張。愛国心、表現の自由などについてもいわゆる既存の「右翼」思想の枠にははまらない、独自の主張を展開している。著書に『愛国者は信用できるか』(講談社現代新書)、『公安警察の手口』(ちくま新書)、『言論の覚悟』(創出版)、『失敗の愛国心』(理論社)など多数。近著に『右翼は言論の敵か』(ちくま新書)がある。 HP「鈴木邦男をぶっとばせ!」

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