この人に聞きたい

安保法制関連法案が採決されようとしているいま、2008年に違憲判決を勝ち取った自衛隊イラク派兵差止訴訟から私たちが学べることがあるはずです。ヴェトナム戦争時のご自身の辛い体験を原点に平和運動に取り組み続け、イラク派兵差止訴訟では原告代表を務めた池住義憲さんに、お話をうかがいました。

池住義憲(いけずみ・よしのり) 1944年東京都生まれ、愛知県在住。立教大学卒業後、東京基督教青年会(YMCA)、アジア保健研修所(AHI、愛知県)、国際民衆保健協議会(IPHC、本部ニカラグア)など、36年間にわたりNGO活動に従事。自衛隊イラク派兵差止訴訟(2004年2月~2008年4月)では原告代表として、名古屋高裁で違憲判決を勝ち取る。2015年1月には「TPP交渉差止・違憲訴訟の会」を立ち上げ、現在副代表。元立教大学大学院キリスト教学研究科特任教授。著書に『平和・人権・NGO』(新評論、2004年)など多数。

編集部
 池住さんは、名古屋での自衛隊イラク派兵差止訴訟の原告団長として、2008年に名古屋高裁で違憲判決を勝ち取りました。その観点から、いま審議されている安保法制をどうとらえていますか。

池住
 私が原告代表として名古屋地裁に提訴したのは2004年2月23日でした。法廷闘争は4年2カ月にもおよび、名古屋高裁の判決が出たのは2008年4月17日のことです。この名古屋高裁の判決では、航空自衛隊による多国籍軍の武装兵員等をバグダッドに空輸した活動は、他国の武力行使と一体化した行動であり、また、自らも武力の行使を行ったと評価を受けざるを得ない行動であり、武力行使を禁止したイラク特措法と憲法9条1項に違反するものであると明確に示されました。
 もうひとつ画期的だったのは、憲法の前文に書かれている平和的生存権が、すべての基本的人権の基礎を為す基底的権利だと踏み込んだ点です。平和でなければ、人格権など憲法第3章に書いてあるあらゆる私たちの基本的人権が侵害されかねません。だから、「(戦争の起きない)平和のうちに生存する権利」が保障されることは、すべての権利の基礎をなすものであると裁判官が認めてくれたのです。損害賠償請求自体は退けられたので、形のうえでは敗訴となっていますが、実質的には私たちの200%の勝利でした。私たちは上告しなかったので、名古屋高裁の判決は確定されました。
 あのときは、イラク特措法のもとで非戦闘地域での人道復興支援と安全確保支援ということでやっていましたが、それでもなお航空自衛隊がやっている活動の一部は憲法9条1項に反するという判決がでているのです。その点からみると、いまの安倍政権がやっていることは比較にならないくらいひどいものですよ。いまの安倍政権が進めようとしているのは、明らかに違憲の戦争法案です。

編集部
 この安保関連法案についても、違憲訴訟を起こそうという人たちの動きがあります。

池住
 この法案はあきらかに違憲です。しかし、今はまだ訴訟を起こす時ではないと考えています。裁判をするのは簡単なことではありません。日本には憲法裁判所がないので、当事者間での具体的な権利侵害という事件性があって初めて、その救済を求めて司法府に訴えることができることになっています。イラク派兵差止訴訟でも、イラク特措法ができたときに、特措法自体が違憲であると私たちは確信していましたが、それだけでは裁判を起こしませんでした。裁判を起こしたのは、2003年12月に、愛知県の小牧基地から航空自衛隊の先遣隊が飛び立ってからです。違憲の法律が私たちの税金を使って実行に移された段階で、アメリカのやっている違法な戦争の加害者、加担者にさせられたという権利侵害が生じました。これによって、「戦争に加担しないで平和に生きる」という私の平和的生存権が否定されたので裁判を起こしたのです。
 イラク派兵差止訴訟は本当に大変でした。派遣された航空自衛隊のやっている活動内容を事実証拠として出すのですが、国からは黒塗りの資料しか出てきません。いろいろなルートから苦労して資料を集めました。今は、特定秘密保護法が強行採決によって成立・施行されたので、今後はさらに資料を集めるのは大変だと思います。何が秘密なのかさえ秘密なのですから、もうとんでもない状況になっています。説得力をもって具体的な権利侵害の事実が示せないと、裁判で十分な審議がされないままに「訴えの利益なし」で却下されてしまう可能性があります。そのまま最高裁まで敗訴してしまうと、逆に違憲の行為をした政府にお墨付きを与えてしまう可能性もあります。

編集部
 では、いま私たちがすべきことは何でしょうか?

池住
 いまはとにかく採決をさせないで廃案に追い込むこと、もし強行採決され違憲の法律が成立してしまったら野党に廃止法案を提出させて廃止させること、こうしたことに最大の精力を注ぎこむべきだと思っています。
 私たちが拠って立つところは憲法です。98条には「この憲法は、国の最高法規であって、その 条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部または一部は、その効力を有しない」と書かれています。私たちは、違憲の法律に服従する必要はありません。また、不断の努力で憲法を護る義務も負っています。
 しかし、もし例えば10本に束ねた平和安全法制整備法案の一つである国際平和協力法(PKO協力法)や国際平和支援法によって、南スーダンに派兵された自衛隊が駆けつけ警護や弾薬の輸送などを行うことになったら、そのときは即座に裁判を起こします。これは明らかに憲法9条違反ですし、私たちの平和的生存権が侵害されることになりますから。いまもイラク派兵差止訴訟弁護団の全国組織は解散していません。連絡を取り合って裁判を起こすための準備はしっかりと進めています。

編集部
 自衛隊イラク派兵差止訴訟では、どのように権利侵害を訴えたのでしょうか?

池住
 裁判では、なぜ自分たちが加害者にさせられて、なぜ苦痛を感じるのか、なぜ不利益を被っているのかということを、自分の言葉で裁判官に訴えました。名古屋では第1次提訴から第7次提訴まで、あわせて原告は3268名ですが(全国では5800名)、それぞれが自分の過去の歴史をひもとき、心の叫びを原告意見陳述という形で出したのです。私の場合は、このとき初めて29年間誰にも話せずにいたヴェトナム戦争時のサイゴンでの体験を語りました。

 1975年、私は30歳のときに希望して、当時勤めていた東京YMCAから派遣される形で、世界YMCAヴェトナム難民救済復興事業のワーカーとして、南ヴェトナム・サイゴン(いまのホーチミン市)に赴任しました。現地では日本語教育を担当する予定でしたが、北からの解放が進み状況が緊迫していたので、南ヴェトナム中部から戦禍を逃れてくる避難民の人道的救済活動にあたることになりました。サイゴンから北東に30キロほど離れたフーバンというところに難民臨時収容村(以下、難民村)があったのですが、そこを活動の拠点にしていました。サイゴン大学の学生ボランティアたちとトイレやごみ捨て場づくりをして、4月には難民村の一角に保育所のようなデイケアセンターを開設しました。

当時のデイケアセンターの様子(写真提供:池住義憲)

 デイケアセンターは、子どもたちと歌やゲーム、絵本の読み聞かせ、お絵かきなどを行う場所です。この評判は難民村に広がって、わたしは行く先々で「チャオ・ミー(アメリカ人さんこんにちは)」と話しかけられました。私は日本人ですが、子どもたちからみれば「外国人=アメリカ人」なんですよね。スイス・ジュネーブにある世界YMCAからも視察や取材がくるなどして、使命感と充実感で私は有頂天になっていました。
 しかし、しばらくすると北の解放軍が近くまで来ていることがわかり、いったんデイケアセンターを閉じ、フーバンを離れて学生ボランティアとサイゴンへと戻りました。その後サイゴンが解放されてからフーバンに様子を見に戻ると、難民村には2発の爆弾が落とされていました。1発はデイケアセンターの旗の近くでした。これは私が掲げたYMCAの旗の近くです。もう1発はデイケアセンターの小屋の屋根を直撃していて、ニッパヤシの葉で作った簡素な壁に血しぶきが飛んでいました。その爆弾が直撃した赤ちゃんは亡くなり、お母さんも負傷して病院へ運ばれていったとのことでした…。
 「私が赤ちゃんを殺した」と背筋が凍りました。広いフーバンに2発だけ爆弾が落とされたのは、背が高くて目立つ外国人の私が、西側のジャーナリストを連れて出入りをしていたこと、そして英雄気取りでYMCAの旗を立てていたからです。解放勢力は、おそらくフーバン難民村に一箇所だけ立てられたこの旗のあるところを、米軍やその傀儡政権であった南ヴェトナム政府軍への通信基地かなにかだと思ったのでしょう。威嚇のために、2発だけ打ち込んだのだと思います。このことは、帰国してからも誰にも言えませんでした。「そんなことはない、考えすぎだ」と思おうとするほど、思いはより強くなって、29年間ずっと黙っていました。

デイケアセンターに掲げたYMCAの旗(写真提供:池住義憲)

 これを初めて話したのが、2004年6月18日のイラク派兵差止訴訟第一回口頭弁論の時で、名古屋地裁の法廷でした。わたしがなぜこの訴訟の原告になったのか、どんな苦痛を感じているのかと訴えるためには、この話をせざるを得ませんでした。話しながら身体が震えていました。いまは冷静に話せるようになりましたが、当時の私にとっては大変なことでした。
 自衛隊がイラクに行けば、日本はアメリカがやっているイラク戦争の加担者、加害者になってしまいます。ヴェトナムでの体験が再び繰り返されてしまう。直接・間接を問わず加害者にならず、平和のうちに生きたいという私の思い、人格が否定されてしまう。それだけはできない。そう意見陳述するところから始まったのがイラク訴訟でした。
 意図していなくても、人殺しの加害者になってしまうのが戦場です。そうした想像力がいまの安保法制の審議には欠けています。安保法制で、若者に私と同じ思いをさせたくない。「直接・間接を問わず、いかなる戦争の加害者にも、加担者にもならない」というのは、憲法で保障された私の権利なのです。

(構成/中村未絵・写真/塚田壽子)

(その2に続きます)

 

  

※コメントは承認制です。
池住義憲さんに聞いた(その1)
「戦争の加害者にならない権利」
自衛隊イラク派兵差止訴訟からみる、安保法制
」 に3件のコメント

  1. magazine9 より:

    「安保法制の議論には、戦場の想像力が欠けている」という言葉が、ヴェトナムでの経験を聞いたあとではいっそう重く響きました。日本だけでなく、これまでの各地の戦争で被害者として、または思いもよらぬ加害者になった人として傷ついてきた人の思いや経験に、いまこそ真摯に耳を傾け、私たちは学ばなくてはいけないと思います。「違憲訴訟は最後の手段」と池住先生は仰っていましたが、本来であれば内閣法制局が合憲性を厳しく審査して、こうした法案を通さないようにすべきです。そのチェック機能が果たされていないことも大きな問題ではないでしょうか。

  2. 私も自衛隊イラク派兵差止訴訟の原告団に参加させていただいたものです。

    池住先生の身の震える思い、加害者となってしまったことへの告白、読ませていただきました。

    来年夏の参院選挙に焦点をあわせて、戦争のない世界、日本を追求していきたいです。

  3. 野々村尚史 より:

    現在の自民党議員は、人の話に答えることはおろか、人の話を聞くふりをすることすらしないので、彼らに言語的な働きかけをすることに殆ど意味を見いだせなくなっているので、良い質問をする人がいても、その質問に答える気のない自民党議員の横柄な態度を見ていると怒りを感じてしまい自分の仕事が出来なくなってしまうので国会の審議を詳らかに把握していないのだが、国会議員に一つだけ聞いてほしかったのは、「今回の安保法案が成立した場合は、あなた方が長年主張していた憲法9条改正の必要は一切なくなるわけですね」という確認と、「今回のような法案が現行憲法下で認められるなら、なぜ今まであれほど9条改正を主張して、憲法99条の定めるところの憲法尊重義務を拒否する態度を取り続けたのかをきちんと説明してほしい」という憲法尊重義務違反についての謝罪を求めてほしい。

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