この人に聞きたい

東京をはじめとする都市部で、大きな社会問題となりつつある「孤立死」。「ひとりで死ぬ」ことが必ずしも不幸とはいえないけれど、家族をはじめとする人間関係の形が、かつてとは大きく違いはじめているのは確かなようです。現代日本の都市部における、「生」や「死」をめぐる現場の状況とは、そこから見えてくるものとは――。僧侶として、貧困や自殺、孤立死などの問題に深くかかわり続けている中下大樹さんにお話を伺いました。

中下大樹(なかした・だいき)
1975年生まれ。真宗大谷派僧侶。大学院でターミナルケアを学び、真宗大谷派住職資格を得たのち、新潟県長岡市にある仏教系ホスピス(緩和ケア病棟)にて末期がん患者数百人の看取りに従事。退職後は東京に戻り、超宗派寺院ネットワーク「寺ネット・サンガ」を設立し、代表に就任。「駆け込み寺」としての役割も担う。在宅ホスピスケアに関わりつつ、自殺問題や貧困問題、孤独死問題等、「いのち」をキーワードにした様々な活動を行っている。ブログ→http://ameblo.jp/inochi-forum/
原点は、タイのエイズホスピスで見た光景

編集部
 前回、中下さんが取り組まれているさまざまな活動についてお話を伺いましたが、そもそも、そうした「いのち」にかかわる問題に関心を持たれたのはなぜですか? 僧侶でいらっしゃいますが、お寺のお生まれではないのですよね。

中下
 僕は、小さいころに両親が離婚して、母子家庭で育ちました。それで、小さいころからずっと、母親に暴力をふるわれていて…。今でも覚えているのは、身体にたばこの火を押しつけられながら「あんたなんか産むんじゃなかった」と言われたこと。そのときは本当に苦しくて、「なんで生まれてきちゃったんだろう」「自分は何のために生きてるんだろう」とかいうことを、子どもながらに漠然と考えた記憶があります。
 あと、小学生のときに母方のおじが自殺したのですが、その第一発見者は僕自身でした。そんなこともあって、生きることや死ぬこと、人はなぜ生まれてきて、なぜ死んでいくんだろうということを、すごくリアルな感覚で考えているような子どもだったんです。

編集部
 それは…大変な経験をされてきたんですね。

中下
 とは言っても、まずは食べていかないといけません。中学までは義務教育ですけど、その後は自分で働けと言われたので、新聞奨学生になって、新聞配達をしながら高校に通いました。そのまま大学、大学院と進みましたけど、基本的には「普通に働いて、普通に食っていければいい」と思っていたんですよ。子どものときは、一日一食くらいしか食べさせてもらえなくて、夢は「おなかいっぱい食べること」でしたから。

編集部
 それが、なぜ宗教者の道に?

中下
 大学院ではターミナルケア、いわゆる終末医療の問題をやっていました。宗教学も専攻していたのですが、オウム真理教の事件などを見ていて「あんなに頭のいい人たちがなぜあんなことをやったんだろう」と思ったのがきっかけで、自分自身が宗教の道に入るなんて思いもしなかったんです。
 ただ、ターミナルケアの研究の一環でタイに行ったとき、現地のエイズホスピスを訪れたんですね。そこは、エイズを発症した人たちが、村から厄介者として「捨てられて」やってくる場所で。朝起きると、ホスピスの前に「捨てられた」人が倒れている。でもまだ息はあるので、それを担架で担いでいって、看取って火葬もする、という感じなんです。
 それで、仏教国なので看取るのはお坊さんで、火葬のあとの供養もしてくれる。こんなところがあるのか、すごいな、と思いました。日本では、特にオウム事件以降、宗教というとどこか怖い、うさんくさいというイメージになりがちだけど、タイの街角で子どもたちに会うと、自然な仕草で合掌してくれたりもして、こういうのって何かいいな、自分の生活の中に、規範というか物差しがあるんだなあ、と思ったんです。
 そうして帰国したときに偶然、大学院の講師の方――以前、ご自身も僧侶としてお寺におられた方でした――から、「生きることや死ぬことの問題に興味があるのなら、僧侶にならないか」と声をかけていただいて。ああ、そういう道があったのか、と思いました。そのご縁で、京都の東本願寺での1年の修行を経て、住職の資格を取ったんです。

ホスピスでの「看取り」から見えてきたこと

編集部
 その後、住職としてお寺には入られなかったんですか?

中下
 それにはまったく興味がありませんでした。今の仏教界というのは――もちろん、素晴らしい住職の方もいますが――戒名がいくらで葬式がいくらでとか、どうしても拝金主義的なところがあると僕は感じていて…。そこに入るよりも、もっと人が生きて死ぬ、その現場に立ち会いたい、と思ったんです。それで、新潟県のある病院のホスピス病棟に宗教者として就職しました。住職資格を取った翌日にはもう、そこで働きはじめていましたね。

編集部
 ホスピスというと、どちらかというとキリスト教のイメージですが…。

中下
 ホスピスというのは、かつて十字軍の遠征の時代に、傷ついた兵士などのためにつくられた療養施設が起源だと言われています。だから、そもそも宗教的な存在で、緩和ケア病棟の中で宗教者がいる場所をホスピスと呼ぶんですね。有名なのはおっしゃるようにキリスト教の牧師さんがいらっしゃるところですが、その仏教版ともいうべき施設も今、日本に2カ所あるんですよ。その一つが、僕が働いていた長岡西病院ビハーラ病棟です。
 緩和ケア病棟というのは、現代医療では治療の見込みがないと判断された方――主にガンとエイズ患者ですが――が、最低限の疼痛コントロールをした上で、残りの日々をご家族や仲のいい人に囲まれて、穏やかに過ごすための場所です。私はそこで、主にメンタル面のサポートを担当していました。患者さんのお話を聞いたり、あとは亡くなられた後、ご遺体をきれいにしてから、お釈迦様の像を設置した仏間のような場所があるので、そこで遺族のほか医師や看護師も一緒に思い出を語り合う「お別れの会」をやったり…。

編集部
 ホスピスには、どのくらいいらしたのですか?

中下
 在宅での看取りをさせていただいていた時期を含めて、4年くらいですね。下は中学生、上は100歳を超えた方まで、500人以上の看取りに立ち会いました。そうすると、本当にいろんな場面に出会います。テレビドラマでよく見るように、家族に見守られながら「ご臨終です」と静かに亡くなっていく人ももちろんいるけれど、家族も誰もいない状態で深夜に亡くなられて、すぐにカルテに書かれていた連絡先に電話をしたら「今何時だと思ってるんだ、ふざけるな」と切られる、なんていうこともしょっちゅうでした。あるいは、まだご本人が生きていらっしゃるのに、子どもたちが相続をめぐって殴り合いのけんかをしたりとか。
 つまり、家族のあり方が本当に多様化しているんですよね。もちろん、家族って、かけがえのない存在であり、心の居場所でもあり、素晴らしいものであると感じている方も多いでしょう。ですが、すべての人にとって家族という存在が「素晴らしいもの」であるとは限らないんだと、改めて〈いのちの現場〉で気づかされました。人間関係の希薄さをはじめ、社会が抱えるさまざまな問題が、現場では浮き彫りになっていたように思います。

人は、生きてきたようにしか死んでゆけない

編集部
 それが、今のような活動に身を投じられる直接的なきっかけになったのでしょうか。

中下
 そうですね。忘れられないのが、僕が看取ったひとりである、80歳くらいの女性のことです。最初は「坊主なんて縁起でもない」と、すごく僕のことを嫌がっていたんですけど、身の周りの世話をする家族のいない方だったので、だんだん僕がよく呼ばれるようになって。
 その方が亡くなる直前、僕の手を握って、苦しい息の下から一言一言絞り出すようにしてこう言ったんです。「人の痛みの分かる人になってくださいね」。…なんだかそのとき、「いのちのバトンタッチ」をされたような気がして、涙が止まらなくなりました。これだけはという大切なことを、遺言のような形で僕に伝えていってくれたような気がしたし、背筋が伸びたというか、バトンを「受け取った」者の責任として、僕は今度は次の世代に何を伝えていけるだろうと、深く考えました。
 それで、病院での経験を通じて学んだことを、今度は自分の地元で活かそうと考えて、東京に戻ってきました。家族のサポートがしっかりしている人は、言ってみれば放っておいてもいいんです。でも、世の中はそういう人ばかりじゃない、僕はいろんな問題を抱えた「訳あり」の人のことを支援していこう、そこにニーズがあるんじゃないか、と思って。最初は新宿の路上生活者の支援や看取りにかかわりはじめて、そこから徐々に貧困や自殺などの問題にもかかわるようになりました。

編集部
 本やイベント、ツイッターなどを通じて、ご自身が活動を通じて見聞きしたこと、感じたことについても、積極的に発信されていますね。

中下
 先ほど、家族のあり方が多様化していると言いましたけど、同時にまた、家族がたくさんいて、お金があるからその人が本当に心の底から幸せを感じているかというと、必ずしもそうではないと思うんです。これもまた、ホスピスでの経験から感じたことですが…。逆に、1人で誰にも看取られずに死んだからかわいそうかというと、これも必ずしもそうではない。1人きりで懸命に生きて、満足そうに微笑んだ顔で亡くなった人の姿も、何人も見てきました。
 結局、人間というのは、生きてきたようにしか死んでゆけないのだと思うんです。みんな、生まれてきたからには年をとって、いつかは必ず死んでいく。つまり、死は誰もが通る道なんだけど、普段なかなかそれについて考えることはありませんよね。見たくないものであるがゆえに、見ないふりをしているというか。
 でも、死を考えるということは、生を考えることでもあります。自分の死をしっかりと見つめれば、今何をしなければいけないのか、何をしたいのかを自ずと考えるようになる。その逆に、死について考えようとしないあまりに、生きることについてすら真剣に考えなくなっている、そういう人が多いのではないかと感じます。

編集部
 「死」を遠ざけるあまり、生きることについても考えなくなっている、と…。

中下
 そうなんです。そうするとやっぱり、なんとなく生きてなんとなく死んでいく、ということになる。もちろん、それが悪いというわけではないんですが、普段から生きること、死ぬことについて考えていない人が、死ぬ間際になって考えられるはずがありません。東京には直下型の地震が来ると言われていますが、普段から防災について全く考えていない人が、「その時」に迅速な行動を取れるでしょうか? というのと同じです。今この瞬間、どんな思いで何を大事にして生きているのかが、いざというときにつながる、その人の生き方がその人の最期に直結するというのは、これまでたくさんの方の死を看取ってきて、強く感じたことです。
 僕はたまたま縁をいただいて、「いのちの現場」で活動をしているので、そこから見えたこと、感じたことを、社会に発信して、還元していきたい。これまで出会ってきたたくさんの方の死を無駄にしないような、そしていつか自分が死ぬとき、あの言葉をくれた女性に「あなたの言葉をずっと大事にしてきましたよ」と言えるような生き方をしたい。そう思っています。

福島が抱える状況は、日本社会全体の縮図

編集部
 最後に、東日本大震災以降の、被災地での活動についても少しお聞かせください。特に原発事故のあった福島には、何度も通われていると伺いました。

中下
 被災地へは震災の直後から入っていますが、当初は宮城や岩手を中心に、ご遺体の火葬や供養に携わっていました。4月ごろからは福島へも行くようになり、ご遺体の供養などの数が落ち着いてきた2011年の夏以降は、主に福島在住の子供たちの保養、住まいの支援、そして仮設住宅に暮らす人たちの支援を続けています。

編集部
 福島で出会った人たちの声を、ツイッターなどで積極的に発信されていますね。また、東京から被災地へのツアーも定期的に開催されていて。

中下
 東京にいると、なかなか現地の声は聞こえてきません。「福島」といってももちろん一枚岩ではないし、いろんな意見がある。例えば、被害のひどかった場所への献花一つ取っても、忘れずにいてくれてうれしいと受け取る人もいれば、「その花は誰が片付けるの?」と、複雑な思いを抱く人もいる。あるいは、同じ仮設住宅に暮らす人の中にも、「来てくれてありがとう」という人もいれば、放っておいてほしいという人もいるわけで…そういう微妙な心理って、直接話をしないと分からないところがあるし、粘り強く対話を試みていくことが重要だと思うんです。ただ、なかなか今、それが十分にできているとは言えなくて。

編集部
 たしかに、原発問題や福島の状況、あるいは被災地への関心そのものも、一時期に比べて薄れてしまっているところがあると思います。私たち自身も含めて。

中下
 でも、今の福島が、被災地が抱える状況は、日本社会全体の縮図です。仮設住宅では、子どもの虐待、中高年の男性無職者に多いアルコール依存・ギャンブル依存、そして自殺や孤立死の問題も深刻化しています。そして、私を含む東京都民は、福島や新潟で作られた電気を享受してきました。原発がなぜ東京になくて、福島など大都市から離れたところにあるのか? 沖縄の米軍基地の問題と同じく、それが誰かの犠牲の上に成り立っているという構図を、今の時代に生きる「当事者として」しっかりと見つめることが大切ではないでしょうか。

編集部
 本当に、驚くほど共通した構図があります。

中下
 さらに、そうした問題は、別に震災で急にはじまったわけではありません。原発だけではなくて、例えば自殺の問題にしても、震災前から東北は自殺率が高い地域でした。過疎や医療従事者の不足なども、もともと以前からあった問題ですよね。つまり、問題は以前からずっと継続していて、それが3・11を機により深刻化したに過ぎないんです。
 そこをしっかりと見ていかないと、福島や東北以外の地域が抱えるさまざまな問題も絶対に解決できません。だから僕は、「いのちの問題」をキーワードに、自分が見聞きしたことを継続的に発信し、異なる意見にも耳を傾け、様々な立場の方と対話をしていきたい――特に福島については――と思っています。
 命を使うと書いて「使命」と書きます。虐待を受けていた子どもの頃、自分の「使命」が何なのか全く分かりませんでしたが、あれから30年経って、今、やっと自分の「使命」が見えてきた気がしています。正直に言うと、さまざまな活動は苦しいことも多いですが、今は生きていくことそのものが楽しいんですよ。自分の「役割」が見つかったからかもしれないですね。

(構成・仲藤里美/写真・塚田壽子)

 

  

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中下大樹さんに聞いた
(その2)
「どう生きてきたか」が「どう死んでいくか」を決める
」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    人は、いつか必ず死んでいく。分かってはいても、どうしても目を背けてしまいがちな事実です。「人は、生きてきたようにしか死んでいけない」との言葉、胸に刻んでおきたいと思いました。
    中下さんと、福島からの避難者の一人であるシンガーのYukariさん、そして作家の雨宮処凛さんを迎えてのトークイベント、ただいま参加者募集中です。詳細はこちらから。

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