小石勝朗「法浪記」

 冤罪を訴えていた2人が、ようやく再審(裁判のやり直し)を勝ち取った。1995年に大阪市東住吉区で起きた民家火災で小学6年生の女子児童が死亡した「東住吉事件」。殺人罪で無期懲役刑が確定し服役していた母親と同居の男性の2人に、大阪高裁(米山正明裁判長)は10月23日、再審開始を支持する決定を出した。検察が最高裁への特別抗告を断念したため、近く再審が始まり、無罪になることが確実になった。

 2人は3日後に、収監されていた刑務所から釈放された。逮捕から20年ぶりのことである。再審開始は喜ばしいことには違いないが、ともにすでに50歳前後となり、人生で最も活発に動ける30代、40代の時間を奪われた。

 この事件の再審請求では、1審にあたる大阪地裁が2012年3月に再審開始を認める決定を出している。それを不服とする検察が、大阪高裁に即時抗告していたのだ。地裁決定の時点で検察が再審開始を受け入れていれば、2人にとって少なくともこの3年半が無駄になることはなかった。再審開始決定や無罪判決が出た場合の検察による上訴のあり方とあわせて、捜査関係者には冤罪の判定を素直に受けとめる謙虚さを強く求めたい。

 冤罪事件の当事者をめぐっては、ここ1カ月ほどの間に2つの悲しいニュースも報じられた。

 一つは、名張毒ブドウ酒事件(1961年)で死刑が確定したものの、無実を訴えて再審請求を続けていた奥西勝さんが10月4日に亡くなったことだ。89歳だった。死刑が確定してから43年余、逮捕以来の身柄拘束は半世紀に及び、医療刑務所での最期だった。

 改めて強調しておきたいのは、奥西さんはもとの裁判の1審では無罪であり、さらに第7次再審請求では2005年にいったん再審開始決定が出ていたことだ。ともに、その後に覆された。起訴されれば有罪率99%超の日本の裁判所でさえ疑問視した死刑判決が維持されたまま、「獄死」させられたのである。奥西さんの無念に思いを致す時、この国の再審のあり方に大きな疑問を感じざるを得ない。

 もう一つは、布川事件(1967年)で再審無罪となった2人のうちの1人、杉山卓男さんが10月27日に亡くなったことだ。69歳だった。強盗殺人罪で無期懲役刑が確定して29年間も身柄を拘束され、仮釈放後に再審で無罪になったのは逮捕から43年余も経ってからだった。長生きをして失われた時間を少しでも取り戻してほしいと願っていただけに、とても残念だ。

 3つのケースに対して一般市民が共通して抱くのは「もっと早く何とかならなかったのか」という気持ちではないだろうか。もちろん、事件発生後に警察や検察が適正な捜査や公判手続を行い、裁判所が公平な審判をすることが大前提には違いない。しかし、それでも無実の人間の有罪が確定してしまった場合に、少しでも早く的確に雪冤を果たせる仕組みを整えられないものだろうか、と。

 まさにそんな気持ちに応える構想が民間で進んでいると聞き、11月6日に東京都内で開かれたシンポジウムを覗いてきた。設立をめざすのは、その名も「冤罪救済センター」である。

 準備の拠点となっているのは、立命館大学(京都市)だ。アメリカ発祥の同様の活動にちなんで「日本版イノセンス・プロジェクト」を謳っている。ちなみに「イノセンス」とは「無罪」「潔白」のこと。

 何よりユニークなのは、中核を担っているのが法学者や弁護士らの法曹関係者ではない、ということだろう。

 準備室の中心にいる稲葉光行教授の専門は情報科学だ。捜査段階の供述調書をコンピューターで分析し、変遷がないかを視覚化するシステムの開発に当たってきた。供述の不自然さをチェックし、捜査官の誘導や強要による「うその自白」の可能性、つまり冤罪の端緒を見つけ出そうとするものだ。

 背景には、自白が偏重される日本の刑事司法への疑問がある。うそであってもいったん犯行を自白してしまえば、公判で否認しても裁判所は調書を重視して有罪判決を下す。こうしたメカニズムが冤罪を生む大きな原因となっているという問題意識だ。共感するところ大である。

 稲葉教授が冤罪事件に最初に関わったのは、選挙違反がでっち上げられた鹿児島・志布志事件の冤罪被害者による国家賠償請求訴訟だった。それをきっかけに他の冤罪事件を知るようになる。「冤罪ってこんなにあるのか」と驚くとともに、「人間が間違えるのは仕方ないにせよ、二度と同じ間違いを繰り返さないように徹底的に検証するのが工学的な立場」とのスタンスで、このプロジェクトに参加することにしたそうだ。

 では、センターの態勢はどんなイメージなのだろうか。

 冤罪を訴える有罪確定者や弁護人からの相談に無料で応じ、捜査段階での本人や被害者、目撃者らの供述を鑑定・分析したり、DNA鑑定をはじめとする科学鑑定の手法や専門家を紹介したりする。センターには立命館大の内外を問わず、しかも法学だけでなく心理学、情報学、社会学の専門家や司法、社会福祉の実務家らによる検討会議を設けて、裁判に向けた戦略策定に当たるとともに、学外のDNA鑑定などの専門家とのネットワークを築く。学問分野や学閥を超えるのが特徴だ。

 想定される取り組みの事例として、2012年に九州で発生した強姦事件が挙げられていた。

 被害者の胸から検出された唾液とDNA型が一致したという理由で、懲役4年の判決が確定した男性のケースだ。本人は酒を飲んでいて記憶はなかったものの、犯行を「自白」していた。しかし、被害者の供述を分析したところ事実関係に不自然な変遷や詳細さがあり、携帯電話のメール送受信記録にも疑問点が確認された。この鑑定結果を裁判所に提出すると、残っていた精液のDNA再鑑定が認められ、本人とは異なる型が検出されて男性は保釈されたという。

 冤罪救済センターの設立は、来年4月を予定している。当面は個別の事件の検証を主体にするが、ゆくゆくは誤判防止の制度・政策を提言したり、冤罪被害者が釈放された後の生活を援助したりもする計画だ。開設前にもかかわらず、すでに6件の相談が寄せられているそうだ。

 現在は冤罪を訴えて再審請求しようとしても、支援が受けられる仕組みはほとんどない。国選弁護人制度は適用されないし、日本弁護士連合会(日弁連)の支援制度は要件がきつい。ましてや刑務所や拘置所から独力で専門家を探して鑑定を依頼するのは、極めて困難なことに違いない。冤罪救済センターにアクセスさえできれば、法的な支援を無料で受けられる可能性が出てくることになる。早期の雪冤に果たす意義は、とても大きい。

 アメリカのイノセンス・プロジェクトは1992年にニューヨークの大学で本格始動し、今は全米に70を超える組織があるそうだ。これまでに無実が証明されたのは約1700人。このうちDNA鑑定によるのが約330人で、死刑囚も約20人含まれるという。

 もちろん、日本の冤罪救済センターの活動がうまくいくとは限らない。

 法曹関係者によると、一番の課題は資金とスタッフの確保のようだ。アメリカのプロジェクトでは、ロースクールなどの教育活動の一環だったりボランティアが支えたりしており、市民からの寄付が資金に充てられるケースも多いという。6日のシンポで具体的な計画の説明はなかったが、組織運営のあり方がカギになりそうだ。

 再審に向けては、捜査で収集された証拠すべてを検察が握る厳しい枠組みの中で、必要な「新証拠」をいかに構成していけるかが大きなテーマになる。要となるDNA鑑定についても、法医学者の多くに捜査機関との強いつながりがある現状で、冤罪の立証を目的とするセンターへの協力がどこまで得られるかという問題が予想される。

 それでも、こうした組織が動き出すことに期待する向きは多い。布川事件のもう一人の冤罪被害者、桜井昌司さんはシンポで「絶望的な日本の司法にあって、冤罪が普通に検証されるシステムの第一歩になってほしい」と話していた。

 社会を形成する私たちも、冤罪をつくらないための、また、雪冤を後押しするためのこうした営みを、前向きに受け入れていきたい。「疑わしきは罰せず」という刑事裁判の鉄則を厳格に適用することを認め、有罪認定に不審な点があれば再審を始めることを躊躇しない土壌が何より必要だ。

 あした無実の罪を着せられるのは、あなたかもしれないのだから。そう、冤罪は他ならぬ私たち自身にかかってくる問題であることを忘れてはなるまい。

 

  

※コメントは承認制です。
第59回
「冤罪救済センター」が設立される
」 に1件のコメント

  1. magazine9 より:

    一つの再審開始決定と、二つの訃報。刑事裁判のあり方について、深く深く考えさせられた1カ月でした。「有罪認定に不審な点があれば再審を始めることを躊躇しない」。本来は当たり前であるはずのこの原則を、どうすれば定着させられるのか。これまでになかった角度からの取り組みが、新たな動きを生み出すことを期待します。

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小石勝朗

こいし かつろう:記者として全国紙2社(地方紙に出向経験も)で東京、福岡、沖縄、静岡、宮崎、厚木などに勤務するも、威張れる特ダネはなし(…)。2011年フリーに。冤罪や基地、原発問題などに関心を持つ。最も心がけているのは、難しいテーマを噛み砕いてわかりやすく伝えること。大型2種免許所持。 共著に「地域エネルギー発電所 事業化の最前線」(現代人文社)。

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