秦野章法相(当時)の「政治家に正直や清潔などという徳目を求めるのは、八百屋で魚をくれというのに等しい」という発言を覚えているのは、ある程度の年齢以上の方だろう。1983年の「文藝春秋」でのインタビュー記事だ。失言として猛批判を浴び、その年末の第2次中曾根内閣発足で交代した。
なぜこの発言を思い出したかというと、白紙領収書の一件があまりにも酷いからだ。
政治資金パーティーで白紙領収書を受け取った菅義偉官房長官と稲田朋美防衛相が、自身の事務所で金額などを記入していたこの“慣行”は、広く横行していたらしい。この“慣行”を、高市早苗総務相が「法律上問題はない」と主張していることも理解に苦しむ。
政治資金規正法にそういう条文があるかないか、とかいうことではない。どれだけおかしなことか、常識で考えればすぐに分かることだろう。
これに先立って発覚した富山市議会の政務活動費不正取得も同じだ。市政報告書の印刷代や菓子代などを名目に、白紙領収書に金額を書き込んで提出、政務活動費をちょろまかしていたわけだ。同市議会では定数40のうち12人がこの疑惑で辞職に追い込まれているという。
そう、金額を記入すればその金額を使ったことになって、私たちの血税からその議員に振り込まれる。あまりにも単純な、そして露骨な裏金のつくり方だ。
同じ“手口”なのに、なぜ大臣は許されるのだろうか。こんなバカなことが許されるのであれば、日本の納税秩序は間違いなく崩壊する。
自民党は、領収書に金額など必要事項を記載して渡すよう所属議員に通達し、各党にも改善策を要請したと伝えられるが、まさに目くらましだ。自分の襟を正さず、全議員に責任を拡散するだけ。盗みに入ったのにその家の人に「戸締まりがなってない」などと説教する「説教強盗」と同じだ。
二階俊博幹事長の「政治とカネの問題で細かいことばかり追及している」という不快感が本音を表している。
「徳目」どころか最低限の倫理感すら失っているとしか思えない政治家は、どういう比喩が当てはまるんでしょう、あの世の秦野さん。
(中津十三)
白紙領収書の件、高市早苗総務相が「法律上問題はない」と主張したとある。放送法の運用と同様、法律の運用について独自の視点をお持ちのようだ。他者に厳しく、自らに甘く、という視点だ。 そもそも「 白紙領収書」は、領収書の体をなしているのだろうか。また、同氏は法律上問題がなければ事はOKと理解しているようだ。問題は何も「法律上」に限らない。その辺の理解が希薄な様だ。 同氏は、憲法の理念、法律の趣旨など、法に関する習熟度は決して高い方ではないように見受けられる。 政治と憲法・法律が混沌になれば、「法の支配」ならぬ「人の支配」が横行する。フアシズムの萌芽が見て取れる、という意味では同氏の主張はとても危険である。
納税に関心高く、使い方には低い。安倍政治を支える選挙。その驕りが音を立てて見えるようになった。