11月30日付の東京新聞1面に、こんな記事が載っていた。「渋谷区議会の討論時間制限 検討会議録9行だけ 発言記載せず録音は消去」。東京都渋谷区議会は、本会議での討論時間を議員1人あたり年間20分に制限しようとしている。討論してこその議会だろうに、制限を設けようとしているのだ。
経過を知ろうと東京新聞が情報公開請求したところ、検討した主要会派の代表者による会議録が開示された。記事によると、会議時間は計93分だったが、協議内容に関する記述は「案のとおり答申することと決定した」などたった計9行だったという。
議員の基本的な権利を制限しようとする動きであるにもかかわらず、まるで既定路線であるかのように淡々と進められようとしているのが分かるが、何よりもその方針自体に、驚きを禁じえない。いったい何のための議員なのだろうか。思いたくはないが、仕事をしたくないのか。
この日の紙面には、特定秘密保護法採決時の、前衆議院議員の投票行動も掲載されていた。参議院議員も含めた一覧はこちらで見ることができる(要PDF)。
国会議員は行政を監視する役割、即ち憲法62条に定められた国政調査権を持っている。しかし、特定秘密保護法は情報を握る行政府を優位に置くため、立法府の国政調査権行使に支障をきたすことが懸念されている。国会議員ですら、限定的にしか開示されず、漏洩すれば罪の対象になるのだから。
つまり、この法律に賛成した議員は、自らの手で自分の役割を放棄したに等しい。
討論しない地方議員、自らの手足を縛る国会議員。彼らを“怠け者”と言わずして、何と言うか。私たちは民主主義国家の主権者だ。投票行動によって、“怠け者”議員を甘やかすのか否かを決めることができるはずだ。(中津十三)